63話:ゆるキャラと動物園
ガチャリと玄関の鍵が開けられる音が聞こえた。
そうか、もうそんな時間なのか。
遮光カーテンを閉めっぱなしだったので朝になっていることに気が付かなかった。
「叔父さんおはよー!外はいい天気で動物園日和だよ……ってああっ、また徹夜したの!?」
元気よく居間の扉を開けて入ってきたのは、元気溌剌な女の子。
姪っ子の悠里だ。
彼女は夏休みを利用して胡蘭市の祖父母の家に遊びに来ていた。
悠里の祖父母とはすなわち俺の両親で、このアパートから自転車で十五分ほど離れた所に実家がある。
「今度はなんのゲームをやってるの?」
最近は北海道でも夏は暑い。
特に胡蘭市は盆地にあるので、夏はフェーン現象で暑いし冬は放射冷却現象で寒い。
まだ午前中のはずだが、真夏の炎天下の中自転車を漕いできたのだろう。
汗で前髪を額に貼り付けた悠里が、俺とディスプレイの間に頭を差し込んでくる。
「うおっ、見えない死ぬ死ぬっ」
画面の中の俺が操るロボットに、対峙している蛸のような巨大機械生物の、鞭のようにしなる触手攻撃が直撃。
装備していたアサルトライフルごと、左腕がひしゃげて千切れた。
これはBreak off Onlineというゲームで、プレイヤーたちはカスタマイズしたロボットを操り、宇宙から迫り来る巨大機械生物を協力して撃退するのが目的だ。
このゲームの特徴は、プレイヤーが操るロボットには敵である巨大機械生物のテクノロジーが使われているという点で、敵を倒して素材を得ることにより自機を強化できる。
また敵味方共に脆く、攻撃を受けると大抵どこかしらが千切れるが、プレイヤーはパイロットが死なない限り戦線からは離脱しない。
手足や武器を失っても、その場で敵の武装や物資を剥ぎ取り奪い、換装して戦い続けるのだ。
パイロットも生身から強化人間、四肢切断のうえロボに神経直結。
もしくは脳味噌のみから選択出来る……と、某シューティングゲームをリスペクトしたかのような設定だ。
後者になるほどロボとの親和性が上がり能力を引き出せるのだが、ロボへのダメージがパイロットにフィードバックしやすくなるというデメリットもあった。
Break off Onlineはまだオープンβだが、斬新なシステムとダークな世界観、高難易度が受けてプレイヤーは日に日に増加していて……閑話休題。
「オフだがオンだが知らないけど、はいゲームはおしまい!今日は動物園に連れて行ってくれる約束でしょ。てか徹夜で運転大丈夫なの?」
「大丈夫だ、問題ない。ゲームで一徹、二徹は当たり前だからな」
「でも前にそろそろ徹夜もしんどい歳になってきたって言ってなかった?」
「うぐっ」
確かに俺はアラサーになって体の変化を感じている。
二十歳の頃よりも疲れやすくなったし、ちゃんと寝ても疲労が翌日に残るようになってきた。
さすがに仕事の前日に徹夜は出来なくなったが、小六の姪っ子の子守りくらいなら余裕だ。
「そうだなー、体しんどいし動物園は明日にするかー」
「だめだめ今日行くの!明日はプールに行く予定だから、動物園は今日じゃないといけないの」
「ふうん、明後日帰るのか……ってまさかプールも俺が面倒見るのか?」
「当たり前じゃない」
マジかよ俺の土日潰れるじゃん……。
「プールなら地元帰ってから友達と行けよ。わざわざこっちで俺と行くことないだろ」
「べ、別に叔父さんと行きたいわけじゃないし!休み明けにプール授業があるから練習したいだけだし。プールに付き合ってくれなかったら、お父さんに言うからね」
「やめてくれ悠里、その技は俺に効く」
兄貴には学生の頃から世話になっていて頭が上がらない。
今回も事前に連絡があり、悠里を宜しくと言われている。
姪っ子はしっかりと接待して、気分良くお帰り頂かねばならない。
というわけでやってきました大翼動物園。
胡蘭市は旧胡蘭町と旧大翼町が合併して出来た市だ。
動物園は胡蘭町時代にできたものだが、何故か名前は大翼動物園だった。
俺が子供の頃は規模も小さければ人気も無く寂れていたのだが、ペンギンの施設を改築したことをきっかけに人気が爆発。
それからは増改築を繰り返して今や道内屈指の動物園になっていた。
「ふわああああああ」
悠里が呆けた顔で水中トンネルを見上げている。
水槽をくり抜くように作られたトンネルは、三百六十度が透明なアクリル製でできていた。
太陽光が反射してきらきらと輝く空を、ペンギンたちが自由に泳いでいる。
夏休みの土日ということもあって、親子連れで混雑していた。
人気なのは良いことだが、おかげでゆっくり見れないのが残念か。
寂れていたあの頃がちょっと懐かしい。
「次はこっち!」
悠里に手を引かれペンギン館から外に出ると、容赦ない直射日光に襲われる。
―――おっとこれはちょっとまずい、徹夜が祟ったか眩暈がしてきた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ悠里。少し休ませてくれ」
「えー」
ぶー垂れる悠里をなだめて木陰のベンチで休憩させてもらう。
座っているにも関わらず、眩暈が治まらない。
視界がぐるぐると回り、姪っ子の姿も視界には入っているものの、焦点が定まらずぼやけて見える。
「もしかして熱中症かな……待ってて水買ってくる!」
「水?水なら飲みかけがまだ残って……」
慌てて走り出す悠里の背中を呼び止めようとしたところで、ぶつりと意識が途切れて視界が暗転する。
次に目覚めると、担架に寝かされていた。
相変わらず眩暈で視界が覚束ないが、悠里が心配そうにこちらを覗き込んでいるのが辛うじて判別できる。
「叔父さん!」
「大丈夫ですか?声は聞こえていますか?」
悠里の顔の横に知らないおじさんの顔が現れる。
白地に赤い二本線の入ったヘルメットを被っているので、どうやら救命救急士のようだ。
いやいや、そんな大事にしなくてもちょっと休めば……。
「自分の名前は言えますか?」
名前?そりゃ言えるとも。
俺の名前は……なんだっけか。
―――俺は、誰だ?
再び視界は暗転する。
見えたのは知らない天井……ではなく、最近よく見る木漏れ日が眩しい緑の天井だ。
「うなされてたけど大丈夫?」
心配そうに悠里……ではなくフィンがこちらを覗き込んできた。
むくりと上半身を起こしてぺたぺたと体を触ると、エゾモモンガの毛皮のふかふかな感触が返ってきた。
「なんだ夢か」




