53話:ゆるキャラとアトリエ
「いやー、先程は取り乱してしまい失礼しました。もう落ち着きましたので大丈夫です」
てへへと舌を出しながら頭を掻くリリエルだったが……ゆるキャラの心中は穏やかでない
。
〈混沌の女神〉の分神殿の司祭リリエルに案内された場所を、端的に説明するならアトリエだった。
キャンバスやパレット、油壺や筆といった画材が乱雑に置かれている。
一部のキャンバスが倒れているのは、ゲドン老人に呼ばれて出てくる時に体をぶつけたのだろう。
大きな物音がしていたので、慌てて出てきた様子が想像できる。
リリエルが絵の具で汚れたエプロンを身に着けているのと、先の言葉から察するに、今壁中に貼り付けられている絵も彼女が描いたようだ。
描いた絵を売って税金を払おうとするくらいだから、その実力はなかなかのものに違いない。
実際に上手いとは思う……ただし、絵のモデルのほうに問題がある。
「ええと、これらの絵は全部リリエルさんが?」
「はい!私の五年間の血と汗と涙と魔素の結晶で生み出した、〈コランクン〉様たちです!」
そう、部屋の壁中に貼りつくされている数十枚、すべての絵が〈コラン君〉だったのだ。
例えるならばテレビドラマでよく見る、ストーカーが隠し撮りしたスナップ写真を壁中に貼り付けるアレだろうか。
モデルは全部〈コラン君〉だが、絵の内容は全てが違った。
被写体の向きや風景、動作や持ち物が違えば、画風も写実的だったり抽象的だったり、油絵だったり水彩画だったりとバラエティに富んでいる。
おかげ様でゆるキャラは終始ドン引きである。
てか魔素まで込めてるんかい。
クラリーナもこの異様な光景には困惑していた。
「すごーい、トージが一杯あるよ!」
「むう、ぜんぶかわいい」
一方で初めてレヴァニア王国の城下町を見た時のように、目をキラキラと輝かせているのは妖精と竜のコンビだ。
一枚一枚〈コラン君〉の絵を見ては「「ふわあああああ」」などと感嘆の声を漏らしている。
恐ろしいことにこのアトリエの狂気加減を理解していない。
というか家主のリリエルを含めれば、なんとも思っていないのが多数派になるという。
……助けて、外で待機している騎馬兵さん。
「リリエルさんは俺の事を知っているのですか?」
「はい、もちろんです。五年前に神託を受けてからは、私の生活はがらりと変わりました。生活の全てを〈コランクン〉様に捧げてきたと言っても過言ではありません」
うふふと恍惚の表情を浮かべながら、リリエルは自身の半生を語りだした。
リリエルが思い出せる最初の記憶は、荷馬車に取り付けられた檻越しに見た山々だ。
周囲も遠くの山々も、雪に覆われて真っ白だったのは覚えているが、それ以外の記憶はひどく曖昧だった。
それから物心が付き始めた一年後くらいになってようやく、自分は亜人の羊人族だということと、口減らしのため住んでいた村から奴隷に売られたのだと理解した。
リリエルは理解はしたが悲観はしない。
何故なら生まれた村も両親も記憶に無いので、悲観したくても出来なかったからだ。
その後すぐにとある国の男爵家の小間使いとして買われて、奴隷生活が本格的に始まる。
奴隷の小間使いは決して良い待遇とは言えなかったが、リリエルはそれ以外の環境を知らないため苦にはならなかった。
たまにお使いの途中の街中で、幸せそうに母親と手をつなぐ同年代の子どもを見かけたりもする。
しかし自身の境遇と重ねて嘆くという発想には至らない。
今の境遇しか知らないという意味で買い主に従順だったリリエルは、心理的には平穏な奴隷生活を過ごした。
転機が訪れたのは成人した十五歳の時だ。
同い年である男爵家の三男が、騎士団への入隊を拒否し冒険者になると言い出した。
貴族といってもほぼ末端の男爵家の三男なので、平民の裕福な商人の長男のほうがよっぽど将来の展望は明るい。
家を継ぐ長男も予備の次男も健在のため、両親はあっさりと三男の要求を認める。
むしろ金のかかる騎士団の訓練学校に入れなくて済むので歓迎したくらいだ。
冒険者向けの加護が備わっていたリリエルは、三男の従者として付き合わされることになった。
それからの五年間は冒険者として充実した日々が待っていた。
身分上は奴隷のままだったが、三男はリリエルのことを対等の仲間として扱ってくれる。
加わったパーティーメンバーも気の良い連中で、彼らはリリエルのことを奴隷だから、亜人だからといって差別はしなかった。
こうして冒険者になって初めて、リリエルはかけがえのない友人と仲間を手に入れる。
今まで知らなかった幸福を得てようやく、リリエルは心に灯が付いたのを自覚できた。
……しかし幸せな生活は長くは続かない。
「いやー二つ名も付いてすっかり調子に乗ってたんですよね、私たち。迷宮の未踏階層に不用意に踏み込んで、転移型の罠を踏んじゃって一気に全滅。ああ、私だけご主人様に庇われて右腕だけで済んだんですけどね」
そう言ってリリエルがローブで覆われている腕をまくると、右肘部分につなぎ目のような跡があった。
不思議と右腕自体は健在なのだが。
「転移型の罠って転移先の物質を〈押しのける〉タイプと〈交換する〉タイプがあるんだけど、私たちが踏んだのは〈押しのける〉タイプの罠だったんです。私以外の三人は迷宮の壁の中に転移させられて、〈押しのける〉場所が無くて壁の中で潰れました。私だけご主人様が咄嗟に付き飛ばしてくれたので、座標がずれて右腕だけが壁と接触して破裂しました」
物質同士が重なると破裂するそうだ。
地球の物理学では再現できそうもない事象だが、無学な頭で想像するに原子や分子がありえない状態になって、何か大変なことになるのだろう。
仮に〈交換する〉タイプでも壁の奥の方に転移させられたとしても、身動きすら取れずそのまま窒息死するのでなはいだろうか。
即死できる〈押しのける〉タイプのほうがまだ救いがあるかもしれない。
それにしても、リアルに〈いしのなかにいる〉がある世界だとは恐ろしい……。
「右腕を吹き飛ばされ、そのまま失血死するかと思われた私の耳に、ささやきが聞こえました『力が欲しいかい?』と」
またそのパターンかよ。
裏での暗躍具合が、チェーンソーでまっぷたつになる某神とそっくりじゃないか。




