52話:ゆるキャラと分神殿
木造平屋のボロアパートというのは比喩表現ではない。
不揃いな板が打ち付けられた壁に、木製の扉が均等に三つ並んでいる。
壁も扉も劣化なのか所々に穴が開いていて、材質がバラバラな薄い板で無造作に補強されていた。
これで表札が付いていれば、築年数四十年越えの趣のある長屋が完成していただろう。
もう少し奥の道を進めばスラム街に直結しそうなギリギリの立地で、荒廃具合がおんぼろ長屋にマッチしている。
ちなみにゆるキャラたちは王族の家紋が入った馬車に護衛の騎馬兵二人、案内役のクラリーナと大所帯。
王家印のこうかはばつぐんだ。
道中の混雑していた人混みも、王家の馬車が通るとなると海が割れるかのように開けたので、渋滞無しでここまでたどり着いた。
「本当にここですか?」
「そのはずですけど……あ、あそこに〈混沌教〉の聖印があります」
クラリーナが指差したのは長屋の屋根の軒下だ。
縦に細長くした楕円の輪っかを逆ハの字にしてくっつけたような、金属製のシンボルがぶら下がっていた。
形状的に蝶が翅を広げた状態を抽象化したようなデザインだ。
ただしそのシンボルも相当雨風に晒され続けたのか、錆びて赤茶色になっている。
それにしても〈混沌教〉って不穏な宗教名だな。
先程クラリーナがこの第四大陸の守護神である地母神を崇める〈地神教〉が国教だと言っていた。
ということは〈混沌の女神〉が守護神である第二大陸では〈混沌教〉が主要な宗教なのだろうか。
そうであれば具体的な教義は一切知らないが、字面的には物騒そうな大陸だ。
「とにかく訊ねてみましょう」
クラリーナが中央の扉を叩くと、やや暫くしてからぎいと扉が開いた。
扉の隙間から顔を出したのは、上下ともにボロボロの布切れを羽織った、みすぼらしい恰好の人族の老人だった。
護衛騎士仕様の鎧姿のクラリーナを見て驚いている。
「王国の騎士様がこの老いぼれに何の用ですかな。税金ならしっかり払っておりますぞ」
「いや、そうではなくてだな。ここは〈混沌の女神〉の分神殿で間違いないか?司祭殿に用事があるのだが」
「〈混沌の女神〉……?」
老人は顎に手を当て、首をかしげるとそのままの姿勢で硬直。
そしてもそのまま十数秒の時が流れた。
それにしても老人は身なりからして、とても神殿関係者には見えない。
浮浪者だと言われれば納得してしまうだろう。
百歩譲って旅の巡礼者だろうか。
「ええと、繰り返すがここは〈混沌の女神〉の分神殿ではないのか?」
「……ああ思い出した、管理人さんのことかい。彼女なら隣だよ」
ようやく再起動した老人はポンと手を叩くと、ゆるキャラたちから見て左隣の扉を指差した。
「そ、そうか。教えてくれて感謝する」
「おーい、リリエルさん、お客さんだよ。しかも久しぶりに〈混沌教〉に用事みたいだよ」
老人が風貌に似合わず良く通る大きな声で呼びかけると、「なんですって!」という女性の声が左隣の部屋の中から聞こえた。
そしてドタンバタンという謎の物音を響かせた後、扉が勢いよく押し開かれた。
「〈混沌の女神〉の分神殿へようこそいらっしゃいました!私が司祭のリリエルです。本日はどのようなご用件で……げぇっ、騎士様!?」
現れたのは背の高い亜人の女性だった。
癖のあるふわっとした銀髪を肩口まで伸ばしていて、側頭部からはそれぞれ渦を巻くように角が生えている。
いわゆる羊の角だ。
エプロンを付けているのだが、至る所が様々な色の絵の具で汚れている。
そのカラフルなエプロンの上から、煤けたような色の〈混沌教〉の聖印が刺繍されたローブを羽織っていた。
リリエルと呼ばれた女性は満面の笑みを浮かべていたが、クラリーナが視界に入るとその表情が青ざめ引き攣る。
そして流れるような滑らかな動きで、扉の前で土下座を決めた。
「ぜ、税金ですか。すみません、まだ払えませんっ。でも今描いてる絵が売れたら払えます。だから今日のところは許してください。お願いします!」
「みんな税金を気にしてるけど、騎士って税金を徴収する仕事をしているんですか?」
「いいえ、基本的に督促は役人の仕事です。ただし滞納の常習犯だと荒れ事になることが多いので、兵士や騎士を帯同させることがあります」
「ぐぬぬ、ゲドン爺さん騙したわね。騎士だと分かっていたら居留守したのに」
リリエルが土下座しながら毒づくのが聞こえてきた。
なかなかに個性的な女性だ。
「おっほん、税金の件は今日の所は不問にする。こちらのトウジ殿が〈混沌の女神〉について伺いたいことがあるので来たのだ」
「なーんだ、本当に〈混沌教〉関係だったのね。本日の御用は改宗ですか?であれば今なら特別料金で……」
税金の取り立てでないと分かると、リリエルはすっくと立ち上がりエプロンに付いた埃を手で払った。
そして謎のセールストークをしつつ、今度はゆるキャラの姿を視界に入れると、その表情がみるみる驚愕で歪む。
見開いた紫紺の瞳が潤んだかと思うと、滂沱と涙を流した。
「えっ、何、ちょっと怖いんだけど……」
「あ、貴方様は神獣〈コランクン〉様!ついにこの世に顕現されたのですねっ」
先程から表情と感情がころころ変わるのを目撃して、引き気味になっているゆるキャラ目掛けてリリエルが突進、抱き着いてくる。
不意を突かれたうえにリリエルは体格が良いので、押し倒されそうになった。
ゆるキャラの胸元に顔を埋め、まるでシンクのように角をぐりぐりと押し付けてくる。
リリエルは身長があるので、傍から見ると縋りついているようだ。
……何やら実際に縋りつかれているような発言も聞こえた。
「このリリエルめは五年間、ずっとお待ちしておりました」
「ちょ、涙と鼻水が」
「ああっ、ずるい!久しぶりにフィンもやる!」
「むう、はなれて」
何故か対抗心と独占欲を発揮した妖精と竜族が参戦。
おしくらまんじゅうに発展した。
「ええっと、何かしら、これ」
「若者は元気があっていいのう」
途方に暮れるクラリーナと騎馬兵の横で、何故か満足そうにゲドン老人が頷いていた。




