384話:叔父さんと悠里
喉が狙われたのは幸いだった。
悠里の放った刺突は、首に巻かれた赤いマフラーによってあっさりと弾かれる。
【マフラー:あかいマフラーはえいゆうのあかし】
この〈コラン君〉のプロフィール上はまったく説明になっていないマフラーだが、実はとんでもない防御力を誇る。
物理攻撃も魔術攻撃も、その衝撃さえ弾いてしまうのだ。
これで全身を覆えれば護身が完成しそうだが、残念ながらマフラーの面積が足りない。
それでもこのマフラーには過去に何度も助けられた。
今回も助かったのは良いが、現状の打開には繋がらない。
悠里の猛攻は止まらないため、俺は大剣で攻撃を防ぐので精一杯だった。
「ああ……あああああぁぁぁぁっ!」
「くそっ、どうすればいんだよっ」
『いざとなったら私たちが出張る?』
『私が出ても役に立たないよ』
『折角ここまで隠し通してきたのに、今我々が外に出ては外様の神に見つかってしまうのでは』
『しかしトウジさんの命には代えられません』
視界の隅に映る四次元頬袋の中でサシャ、レジータ、ブロンディア、エリスといった神々が騒いでいる。
最悪、神々に頼らなければならないのだろうか?
『いや、そのまま耐えるんだ。少し様子が変わってきたようだよ』
猫の言う通り少しずつ悠里に変化が見られ始めたが……。
「………けないで」
「悠里?」
「ふざけないで! なんで〈コラン君〉の姿が見えたり、藤治叔父さんの声が聞こえるのよ。こんな地獄みたいなところにいるわけないじゃない!」
変化はあったが、これはよくない変化だ。
俺のことはまやかしか何かだと思っているようで、怒りのボルテージを上げた悠里の剣速と威力が増す。
『うああああ風よ!』
堪らず精霊魔術を発動させると、不意に発生した《突風》を受けて悠里の体が吹き飛ばされる。
よかった、咄嗟に出してしまったが《風刃》じゃなかった。
こんな状況だが絶対に悠里は傷つけたくない。
傷つけるくらいなら俺が斬り殺される方がましだ。
もうこうなったら悠里が疲れるまで、気が済むまで戦い続けるしかないか?
とりあえず距離を取って一息つきたかった俺だが、その暇すら与えてくれない。
悠里は体に纏っていた黒いオーラを足先から伸ばし、板状の小さい壁のようなものを空中に作る。
壁に張り付いて突風に耐えると、今度は壁を蹴って突っ込んできた。
「ぐおおっ」
大剣の腹で刺突を弾き、切っ先が地面に突き刺さる。
悠里の剣はサーベルのように細身なのだが、真正面から俺の大剣とぶつかっても折れる様子はない。
刃にも黒いオーラが纏わりついているので、強度も増しているのだろう。
悠里は地面に刺さった剣を支柱にして飛び蹴りを放つ。
しかも爪先に刃状の黒いオーラが付いていて殺意が高い。
顔面に迫るそれを仰け反って躱すと、悠里が俺の体の上を通過した。
背後に着地した悠里は間髪入れずに剣を繰り出してくる。
『風よ!』
再び時間稼ぎの精霊魔術を放つが、悠里は吹き飛ばずに地面をずりずりと後退する。
よく見ると足裏から黒いオーラが杭のように伸びて、体と地面を繋ぎ留めていた。
まずい、対応が早い。
このままだとすぐに捌ききれなくなる。
焦りがピークに達した俺のエゾモモンガの耳に、四次元頬袋の中から聞き慣れない声が届いた。
『くふ、くふふ。いい加減私の出番じゃないかしら』
「その声はルーちゃん!?」
四次元頬袋内の暗黒空間に、巨大な女がいる。
シンプルな黒いドレス姿で、陶器のように白い肌と渦を巻いた黒目。
横に大きい唇は朱色で、外に跳ねた黒髪が触手のように蠢いていた。
彼女は〈変容と不朽の神〉ルトアニマ。
俺の中の〈コラン君〉の人格が暴走した際に、彼女が司る変容の力を使い俺を子供の頃の姿にすることで、強制的に人格を取り戻させてくれたことがあった。
しかもそれだけでなく〈一度だけ、一刻の間、望んだ姿に変身する〉という祝福までくれていたのだ。
このタイミングで望んだ姿に変身する、ということはあの姿だろう。
だが本当にそれで悠里が正気を取り戻すかは自信がない。
しかし他にもう選択肢は残されていなかった。
「ええい、ままよ!」
『大丈夫、もしトーちゃんが死んだら、私が魂をもらってあげるから』
『ちょ、抜け駆けはなしよ!』
『あら、私も立候補してよろしいですか?』
神々の不穏なやり取りが聞こえてくるが構っている暇はない。
まずはとにかく時間を稼ぐ。
『風よ! 風よ! 風よ! 風よ! 風よ!』
突風で出来るだけ悠里を遠くに追いやった。
『大地よ!』
最後に分厚い土壁を作り、望む姿を脳裏に思い浮かべた。
すぐにルトアニマの祝福が発動し、俺の体が発光し始める。
……あ、やばい、結構変化が遅いぞ。
早く変身してくれ。
悠里が壁をガリガリと削る音が聞こえてきた。
エゾモモンガの灰褐色の腹が引っ込み毛が抜け落ち、筋力の低下により大剣を持っていられず手から零れ落ちる。
もうこうなってしまっては抵抗もできない。
早く変身が終わるのを祈るばかりだ。
壁を打ち破った悠里が突っ込んでくるが、動体視力も低下しているのか黒い影にしか見えなかった。
もう間に合わない――――
「え、藤治叔父さん?」
戸惑うような悠里の声が聞こえた。
先程までの泣き叫ぶようなものではない、落ち着いた声音だ。
「そ、そうだ。俺は藤治叔父さんだよ」
そう、俺が望んだのは元の姿、益子藤治三十歳の姿である。
声を俺のものと認識しているなら、姿も戻れば本物だと信じてくれるかもしれない。
そしてその賭けに勝ったのだ。
体や顔を覆っていた黒いオーラが霧散すると、悠里は驚きの表情で俺を見つめていた。
その瞳にはさえないおっさんの姿が映っているはずだ。
「な、なんとか間にあ……」
……あれ、何だか腹が熱い。
そう思って視線を下げると、着慣れたシャツ姿の俺の腹に、悠里の剣が食い込んでいた。
血がどくどくと流れ出していて、急激に気が遠くなる。
うん……微妙に間に合ってなかったようだ。
「お、叔父さん!」
慌てふためく悠里の声を聞きながら、俺は意識を手放した。




