364話:少年と妖狐の秘密
「改めて先に言っておくと、僕の住んでいた世界と橘さんの住んでいた世界は、似ているけど同じではないんだ」
日ノ本ではなく日本だし、1960年時点で江戸時代は100年以上前に終わっている。
類似点が多いが、決して同郷ではないと橘に説明した。
「確かに厳密には同じ世界ではないのかもしれん。じゃが同じ言葉を使い、同じ味の饅頭がある。望郷の念で涙を零したが、藤治殿を同胞だと思ってはいかんのか?」
「いや、別に駄目ってわけではないですけど」
幼女の姿で上目遣いに懇願されては断れない。
まさか皇帝の正体が異邦人だったとは。
「それでどうして皇帝なんかやってるんですか?」
「話せば長くなるのじゃが……」
橘は日ノ本で暮らす妖狐一族の末娘だそうだ。
日ノ本では人間以外にも様々な種族、いわゆる妖怪が暮らしていて、妖狐一族は幕府の要職を努めてきたという。
「妖怪ということは、他には河童や天狗とか?」
「うむ。藤治殿の世界にはおらぬのか?」
「あくまで架空の存在だったよ。もしかしたら秘匿されているだけで、実在はしていたのかもしれないけれどね」
僕が知らないだけで、前世の地球でも超能力者や妖怪やドラゴンや吸血鬼や宇宙人が暗躍していた可能性はある。
個人的には未確認生物や超常現象は浪漫があって好きだ。
某連邦捜査官のコンビが活躍する海外ドラマのDVDは全巻コンプリートした。
トウジあなた疲れてるのよ。
閑話休題。
橘は妖狐一族の将来の当主となるべく、毎日修行に明け暮れていたという。
橘がアトルランにやってきた理由は、妖術【位相】が関係していた。
「妖術……他人に化けたり狐火出したり、尻尾も九本だったり?」
「架空という割に詳しいのう。やっぱり実在しておったのでは」
妖術とはアトルランにおける魔術や、ニールが使っていた超能力とはまた別基軸の異能らしい。
橘が〈混沌教〉の本神殿に誰にも気付かれることなく侵入できたのは、妖術が別基軸なのでアトルランの魔術探知等に検知されなかったからだ。
「【位相】は近い空間と遠い空間を繋いで一瞬で移動したり、空間の狭間に物を仕舞ったりできる妖術じゃ」
「ふむ、魔術の《転移》だけでなく《次元収納》も使える感じか」
妖狐一族が幕府の後ろ盾なら幕府転覆を企む種族もいた。
それが鼬一族で、その因縁は鎌倉時代まで遡るという。
「鼬一族の両儀めが、極大妖術で【鎌鼬台風】……刃付きの台風を生み出したのじゃ。あんなものを都市に放たれたら無辜の民に甚大な被害が出る。だから儂も極大の【位相】で対抗した。台風のすべてを【位相】に閉じ込めたのじゃ。そして限界を超えた【位相】の制御のために儂自身も中に入り、二度と開かないように入口を封じた。間違っても台風が外に出ないように相手の術者ごとな」
聞くところによると橘の位相空間は、〈コラン君〉の四次元頬袋の暗黒空間と似ているようだ。
暫くは位相空間内で鼬の両儀と戦っていたらしいのだが、相打ちになって共倒れ。
位相の藻屑となったはずだったのだが、
「気が付くと儂だけ【位相】の外に放り出されていた。両儀との戦いで満身創痍。そのまま命が尽きようとした時、グルエルと出会い助けられたのじゃ。ここが日ノ本どころか地球ですらないことは、意識を取り戻してすぐにわかった。何せ言葉が全く通じないからのう」
「ちなみに銀色の毛並みの猫に会ってたりしないです?」
「猫? いや、会っておらんが」
一応セーフか?
原因も分からずアトルランにやってきたようなので、猫こと〈混沌の女神〉の暗躍を疑う。
橘本人が気付いていないだけかもしれないが。
〈混沌の女神〉は混沌を司り、乱数調整と称していたいけな女の子を生贄にするような輩である。
そうすることにより多くの人の運命が変わって命が救われるらしいのだが、生贄の場面に出くわしてスルーできるかと言えば否だ。
グルエルに助けられた橘はそのまま養女として引き取られた。
見た目はアトルランの狐人族と変わらないがその正体は妖狐。
一族の中で一番若いとはいえ当時で齢百歳を超えていたそうだ。
「儂は幕府の要職として培ってきた橘家の知略と妖術を、グルエルへの恩返しのために使った。その結果がヨルドラン帝国の誕生じゃ」
グルエルの快進撃の裏には橘の暗躍があったのだ。
「儂の存在を知っているのはグルエル以外だと息子、娘たちまでと限られておる。妖術の存在がこの世界では異質だからのう。妖しい力を使っていると知られれば、貴族社会では致命的な失点になりかねない。グルエルが死んでもう十年になる。妖狐一族はあくまで幕府の、権力者の支えとなる存在で権力者そのものではない」
グルエルの死は急病による突発的なものだったという。
なので橘がグルエルに化けて皇帝を演じるのも、後任に譲るまでの一時的なもののはずだったが、
「グルエルの息子グルニカ、娘のルーエルも皇帝に就きたがらなくてのう。儂の正体を知っているせいか畏れ多い、儂が公の皇帝になればいいと尻込みしてしまった。儂にとっても息子と娘みたいなものだから、つい甘やかしてしまった。だから孫たちには正体を明かさず、帝位争いをさせているというわけじゃ」
「まあ橘さんという長命で国造りに長けた存在がいるなら、その人に任せたいという気持ちはわかるかも」
「だがそれではいかん。日ノ本でもそうじゃが特定の優れた誰かが国を統べるのではなく、仮に暗愚な王が誕生しても安定した治世になるような国の仕組みが重要なのじゃ」
確かに国の未来を王の才能だけに任せるのは不健全だろう。
それなら支配者だけで国を統治する専制政治をやめて、国民も政治に参加する民主政治に切り替えたいところだ。
某惑星同盟の名将も「悪の民主政治でも最良の専制政治にまさる」って言ってたし。
しかしこの世界ではまだ時代が追いついていないか。
「ところで儂のことは梓と呼び捨てにしてくれ。ほぼ同郷のよしみでもっと気安く接して欲しいのじゃ」
「わかったよ、梓。僕のことも呼び捨てでいいよ」
「嗚呼……六十年ぶりに儂以外から聞こえる日ノ本の言葉が、なんと愛おしいことか」
梓が瞳を潤わせて抱き着いてくる。
「藤治はエルメアにはやらん! 儂がもらう!」
「ええ……」
「あと饅頭もっと食べたい!」
「饅頭は在庫が……煎餅ならあるよ」
「煎餅!!」
リリンに出してもらった煎餅を美味しそうに食べる梓は、見た目相応の女の子に見えた。




