336話:少年とこの先生きのこる
「ほーーーー」
気の抜けた声を上げながらシンクが魔獣を観察している。
そいつはシンクが手を使って上から押さえつけているので、抜け出せずじたばた藻掻いていた。
白い柄の上には朱色の傘。
つばとつぼと呼ばれる部位からは、それぞれ人の手足のようなものが一対ずつ生えている。
シンクの拘束を解こうと手をばたつかせるが、いかんせん短くて届かない。
そいつの全長はシンクが屈んだ状態でも胸元くらいまでしかないので、精々四十センチくらいだろうか。
歩き茸と呼ばれる魔獣である。
茸なのに獣とはこれいかにだが、魔獣とは広い意味で「魔素を濃く纏った人種以外の生物」だ。
言い換えるならモンスターやクリーチャーといった大雑把な区分なので、気にするだけ無駄だろう。
四十センチサイズの茸、と考えると十分でかい。
実際に朱色の傘の部分は結構グロテスクだ。
動きはコミカルで可愛らしいので、もう少しデフォルメされていれば人気が出そうなのに。
毒がなくても素手では絶対に触りたくないが、シンクはなんとも思っていないようだ。
がっつり触っている。
子どもの頃は平気だったのに、大人になると虫とかに触れなくなるのはなんでだろう。
僕の見た目は子どもだが、精神はおっさんなので歩き茸も遠巻きに見学である。
ここは〈残響する凱歌の迷宮〉の第六層の〈大森林〉。
迷宮の中だというのに見上げれば青空が広がり、周囲は地平線ならぬ森平線が続いている。
ラーナム冒険者ギルド支部長の助言通り、早速迷宮に入った僕たちだ。
(う~ん、おいしそう?)
「焼いたら食べれるかな」
シンク同様キッズ枠のユキヨとフィンも、歩き茸を取り囲んで指先でつんつんしている。
魔獣は食えるのだろうか?
魔獣とそうでない生物……牛や馬といった家畜との境界は曖昧だ。
この世界に生きるものは全て体に魔素を纏っていて、先に述べた通り「魔素を濃く纏った人種以外の生物」が魔獣なので薄ければただの家畜となる。
つまり魔素の濃淡で決まるのだが、明確な基準があるわけではない。
魔素を濃く纏った馬も存在するし、纏う魔素が薄めでも狂暴だと魔獣扱いになったりもする。
学術的な定義、分類はちゃんとあるのかもしれないが、一般知識としては浸透していない。
大陸の南方に自由都市キールという街がある。
どこの国にも属していない独立都市で、国の法律や関税、宗教や倫理といったしがらみが無いため、多くの学者や研究者が集う街だという。
大陸最先端の技術や魔術、研究施設が整っている環境なので、そこに行けば何かしらの知見は得られるかもしれない。
興味はあるので、いずれ訪れてみたい街である。
現時点で言えることは、普通の茸があるのにわざわざ魔獣の歩き茸は食べないということだ。
食い詰めてもいないし、補給する暇がないほど急ぐ旅路でもない。
竜に食われた妹がいなくてよかった。
なんて僕が雑念にまみれている間も、マリウスとシナン、ルリムの三名は歩き茸の別個体と戦っている。
たったの一体だが、シンクが観察している個体より遥かに大きい。
全長は二メートルを超えているだろうか。
胴体となる柄は丸太のようで、生えた手足も人の腕より太い。
シルエットだけなら〈コラン君〉のような着ぐるみに見えなくもないが、年季の入った生々しい茸の質感が気色悪かった。
子どもが囚われて激高している(かどうかは知らないが)歩き茸が、器用に胴体を捻ると、鋭い右ストレートを繰り出す。
それをマリウスが盾を使って正面から受け止める。
黒塗りで重量感のある盾と歩き茸の拳が激突すると、金属を叩く音と共にマリウスの体が地面を滑り後方に押しやられた。
木製の扉くらいなら易々と打ち破り、鉄製だとしても大きく凹みそうな威力だったが、盾もマリウスも健在だ。
マリウスたちの装備は僕が竜族から譲り受けた財宝の中から貸し出している。
一般的に売られている武具よりは大分性能が良い。
並の冒険者なら今の攻撃は回避一択だったであろう。
右ストレートを受け止められ、動きの止まった歩き茸の背後に回り込んだシナンが剣を振るう。
「おらっ」
剣閃が煌めき、歩き茸の背中に切れ込みが入る。
縦方向の繊維が水平に切断され、束ねた綱がぶちぶちと切れるような鈍い音がした。
「マリウスさん、シナンさん下がってください」
「わかりました」
「おう」
後退するマリウスを歩き茸が追いかけようとするが、前かがみの姿勢のままもたついている。
背中の筋を切断されて、体のバランスを失っているようだ。
マリウスとシナンが退避するのを見計らって、ルリムが魔術を唱える。
『狂い刳る外淵の星辰よ 無像の影を有象の槍へと変貌させ 彼の敵を縫え』
詠唱により構成が展開される。
そこに魔力を注ぎ込むことにより、魔素を媒介として事象が発現した。
杖のように掲げた得物の戦斧の先あたりに漆黒の結晶が生まれる。
直径一メートル程の細長い円錐の形をしたそれは、黒曜石のように輝いていた。
ルリムが戦斧を歩き茸に向かって振るうと、円錐の結晶が射出される。
水平に撃ち出されたそれは、よろよろと立ち上がった歩き茸の傘、人間でいうところの顔面あたりに直撃。
綺麗に貫通して大穴を空けると、歩き茸は仰向けに倒れて動かなくなった。
「相変わらずすげえ威力だな」
「ルリムさんが敵でなくてよかったと、つくづく思います」
「でも深淵魔術なので人前では使えないんですよねえ」
ルリムが放ったのは《闇槍》という深淵魔術だ。
深淵魔術は邪人である闇森人にしか扱えなかった。
「やっぱり威力は高いの?」
「少なくとも第三位階冒険者の魔術師じゃあ、歩き茸に穴を空けるなんて無理だな」
「そうなんですか? 故郷での私の魔術の腕は真ん中ぐらいだったのですが」
シナン曰く、ルリムの放つ深淵魔術は威力が高いらしい。
ただそれがルリムの実力なのか、深淵魔術自体が他の魔術と比較して強力なのかは判断がつかなかった。
そんなに強いかなあ?
「トウジ。言っとくが、フィンやユキヨと比較するなよ? こいつらも大概だからな」
「むっ、大概ってなによー」
(そうだそうだ~)
「寄るな寄るな。一応褒めてるだろうが」
抗議するようにフィンとユキヨが周りをしつこく飛び回るので、シナンは集る蠅を追い払うかのように手を振るう。
「世の中には強い奴なんてたくさんいるからな。んで〈混沌の語り手〉の面子も十分強い部類に入る。少なくともマリウスに守ってもらう必要があるほど弱い奴はいねえぞ」
「はは、それは十分理解しているよ」
自身のトラウマをシナンに揶揄されて、マリウスが苦笑いをしている。
マリウスは弟のラルズを戦争で亡くして以来、仲間が戦場に立つだけでラルズの死を思い出し、弟のように失われてしまうのではと恐怖し委縮するようになってしまった。
頭では理解していても、一度深層心理に植え付けられた恐怖は簡単に拭えない。
少しでも仲間が傷つかないよう、盾を構えて敵の攻撃を引き受ける壁役をしていることから、トラウマによる影響が伺える。
それでもパーティーを組んで一緒に戦える程度には改善していた。
「そうですよ。私たちはそう簡単に死にません。だから安心して戦ってください」
「うっ、はい。わかりました。わかりましたので手を……」
ルリムが両手を握り至近距離から見上げてくるので、マリウスが頬を赤く染めてたじろいでいる。
ああ、あれは破壊力抜群だ。
ルリムはちょっと距離感がバグってるんだよなあ。
邪人故にこれまでは他者との接触が希薄だったことによる弊害だろう。
僕がいない間にも、あの距離感故に勘違いした冒険者が多数いるとかいないとか。
「ところでシンクさんや、その子はそろそろ放してあげなさい」
「むう」
ずっとシンクが押さえつけているものだから、小さな歩き茸はすっかりぐったりしていた。
「うちの子にしようと思ったのに」
渋々シンクが歩き茸を解放すると、彼はよろよろと歩いて森の奥へと逃げて行った。
倒れている同胞には見向きもしなかった。
あの様子なら人前に出なければ、暫くは狩られないだろう。
相手は魔獣ではあるが、強く生きて欲しいものだ。
「ばいばい。きのこさん」




