321話:少年と恥じおじ
アレフの竜の姿を一言で表すなら火竜だろうか。
赤い鱗と無数の鋭い棘は姪であるシンクのそれと似ているが、フォルムは大分違う。
シンクは細身の飛竜タイプで、アレフは下半身がどっしりした二足歩行タイプだ。
砦で見た時のサイズ感からして、全長十メートルは優に超えているだろうか。
堂々とした姿は放射熱線を放つあの大怪獣を彷彿とさせる。
いや、翼があるしどちらかというと敵役の三つ首のほうかな?
デフォルメしたなら最後まで進化したほのおタイプの、国民的なあのモンスターにそっくりだが、いかんせん迫力がありすぎる。
アレフは翼を大きく羽ばたかせ浮かび上がると、雷虎の頭上を取った。
暗雲立ち込める薄暗い空から、赤く燃えるような目が下界を睥睨する。
そうして放たれた吐息は意外にも普通だった。
火炎放射器のように、めらめらと燃える火が雷虎を炙るべく噴出する。
シンクのように熱線でも放つかと思ったのだが……などと侮ってはいけない。
アレフが薙ぎ払うように吐息を放つと、炙られた地面が消失した。
高熱でガラス化するでもなく、溶ける音がするでもなく、周囲に熱気を撒き散らすでもなく、言葉の通りにただ消失したのだ。
今ので竜渓谷の標高が十メートルは下がったのではなかろうか。
「う、あ……」
これまで以上に異常な光景を目の当たりにして、ヘルカは言葉を失っていた。
顔色は真っ青で、僕を抱えている腕も小刻みに震えている。
竜と神の戦いに恐怖を覚えているようだが、これが普通の反応なのだろう。
他の面子は僕を含めて驚きはするがヘルカほどではない。
あの吐息を浴びれば〈コラン君〉の姿の僕やリリンでも余裕で即死するだろう。
怖いとは思うがそんな経験はこれまでに沢山してきたからなあ。
平たく言うとそれなりに慣れているということだ。
慣れって怖いね。
「むうう。叔父さんだけはしゃいでてずるい、ずるい」
シンクは相変わらず不服そうに頬を膨らませていた。
同じ竜であるシンクからすれば、あれははしゃいでいる程度なのか。
竜って怖いね。
存在そのものを焼き尽くすような吐息を浴びそうになった雷虎であったが、〈較正神〉の女によって守られる。
雷虎の前で再びバリアーのようなものを展開して火を防いでいた。
「忌々しいトカゲが。私の土地から出ていけ!」
「Gyaoooooooooooooooown!!(うるさい消えろ)」
防戦一方なのに妙に威勢のいい女の罵倒にアレフが咆哮で返事をすると、吐息の威力が一気に増す。
火の吐息はバリアーごと女と雷虎を包み込むようにして通過し、背後の地面に深く突き刺さった。
五秒ほどして吐息が収まると、地面には深さ二十メートルはあろうかという縦穴ができていた。
間にいたはずの女と雷虎の姿は見当たらない……。
「もしかして焼き尽くしちゃった?」
「そうみたいね。竜と違って神側には色々と制約があるの。たった二つの分体では勝ち目はないわね」
「神は地上に過度に干渉しちゃいけないんだっけか。でも竜はいいのか?」
「よくないわ。だから盟約で調停者としての役割が与えられたのだけど……」
などと僕とレジータが話していると視界が閃光で覆われ、思わず目をつむる。
目を開けると、人の姿に戻ったアレフが僕の目の前で腕を組み、仁王立ち(空中だから仁王浮き?)していた。
「君はカチュアの子孫、ヘルカリードだな」
「……へっ、あっ、はい。そうです」
僕ではなく僕を抱えているヘルカをアレフが見つめている。
優しげというか嬉しげというか、かつて見たことのない穏やかな表情だ。
「やはりそうか。その艶のある黒髪に顔立ち、面影があるどころかカチュアそっくりで美しい」
アレフはヘルカにぐっと顔を近づけて観察するだけでなく、風でなびいていた黒髪を手に取り感触を楽しんでいる。
急な接近にヘルカが戸惑い仰け反っているがお構いなしだ。
「事情は君の兄、シヴァンから聞いている。まさかたった四十年そこらで私の国が人種に支配されるとは。助けるのが遅くなり申し訳ない。君も神殿へ迎えに行くつもりだったが、ここで出会えたのも運命の巡り合わせか」
仰け反るヘルカやその下にいる僕の様子も気にせず、アレフは歯の浮くような台詞を並べる。
「私が来たからには安心して欲しい。人種から国は取り戻すし君も自由にしよう。望むならば我が妃となることも認める。子を作り、新生する竜王国の将来を共に紡ごうではないか。自己紹介が遅れたな。わかっているかと思うが我が名はアレンフリューズ。ラディソーマ初代国王である」
「うわあ」
「うわあ」
レジータとフィンから僕の心情を代弁するような呆れ声が漏れた。
色々とうわあである。
初対面で顔を近づけ勝手に髪を触り、ヘルカが明らかに引いているのに、上から目線で一方的に口説くときたものだ。
というかいくら代離れしているとしても、子孫なんだから倫理的にもNGじゃないか?
立場的には許されるのかもしれないが、心情的には完全にアウト。
どれだけイケメン、イケボ、偉大な祖先だろうが千年の憧れも冷めてしまいそうだ。
何でもポジティブに物事を捉えるフィンさえも引かせるとは、たいしたものだ。
「あのう、も、申し訳ありませんアレンフリューズ様。お心遣いは大変嬉しいのですが、私は既に〈混沌教〉に身を捧げています。巫女として使徒であるトウジ様に生涯仕えることをお許しください」
「……トウジ、だと。何故奴の名前が出てくる」
僕の名を聞いた途端に、アレフがいつもの険しい表情に戻る。
「はい。この方です」
ずいっとヘルカが僕を持ち上げ、アレフの前に突き出す。
まるで盾のような扱いだが気のせいだろうか。
「この子どもが? 奴は醜い獣だったはずだが」
「どうもアレフさん。色々と事情があって今はこんな姿ですが、僕がトウジです。マリアさんとクレアさんはお元気ですか? あと宝物庫の財宝ありがとうございました。おかげで旅がとても楽になりました。ボールペンの在庫はまだありますか? 元の姿に戻ったらまた進呈しますね」
当事者しか知り得ない情報を言ってみると、僕がトウジであるとアレフは納得したようだ。
眉間に皺を寄せながら僕を問い詰める。
「本当にお前がトウジなのか。何故ここにいる……っ!?」
多分ヘルカ以外眼中になかったのだろう。
今いる面子を見渡して、一人の幼女を見つけたところで動きが止まったがもう遅い。
それはもちろんシンクだ。
先程まで好き勝手に暴れるアレフに不満たらたらだった彼女だが、何故か今はニッコニコだ。
「ん、叔父さんひさしぶり。叔父さんとヘルカ、番いになるの?」
あーっとこれはいけない。
いけないですよ。
恋バナ好きの姪っ子の前でとんだ醜態を晒したものだね。
これほど恥ずかしいものはない。
僕が同じ状況を姪の悠里に見られたら……おいは恥ずかしか! 生きておられんごっ! と薩摩藩士となり即座に切腹するな。
アレフからすんっと表情が消えた。
「叔父さん。おーいアレフおじさん」
そのまま彫像のように固まってしまった叔父さんの周りを、姪っ子がぐるぐると飛んで回る。
アレフが正気に戻るまで五分はかかっただろうか。
何が面白いのか、途中からフィンとユキヨも混ざってアレフの周りをずっと飛び回っていた。




