319話:少年と頂上決戦(場所的な意味で)
「また騒動を起こしてるの?」
「おおっと、誤解のある言い方はやめてもらおうか。僕は騒動を起こしていない。身の回りで勝手に起こっているだけだ」
竜渓谷の頂上目掛けて飛んでいる僕らに、どこからともなく現れて合流したリリンにそう答えた。
自分で言って気が付いたが、自ら騒動を起こすよりも意識して回避できないから質が悪いよなあ。
リリンは吸血鬼なのだが、こうやって普通に日中も出没している。
彼女は外様の神を信奉する闇の眷属であり、この世界の創造神とは敵対しているため人前には出られない。
なので普段は人のいない街道近郊の森などに潜伏しつつ僕らを追跡していた。
完全な野宿生活のはずだが、身に纏っている赤黒のゴスロリドレスは卸したてのように綺麗だし、長い銀髪もしっかり手入れされたかのようにさらさらふわふわだ。
ゴスロリドレスは魔力で生成されたもので再構築が可能で、体も《洗浄》の魔術を使えば清潔に保てるのでさほど不思議ではない。
まあリリンは魔術を使えないのだが。
その辺を聞いても「乙女の秘密よ」とか言ってはぐらかされた。
「リリンお姉ちゃん」
「あらあら、シンクちゃん。今日も可愛いわね」
空を飛びながら器用に抱き付いてきたシンクの頭を、リリンが相好を崩しながら撫でる。
旅の道中でリリンと他の面子の顔合わせは済ませてあった。
邪人で闇森人なルリムとアナが既に仲間にいたので、闇の眷属で吸血鬼なリリンもあっさり受け入れられる。
その中でも特にシンクはリリンに懐いていた。
シンクは可愛いものが好きで、〈コラン君パスケース〉といった小物や〈シマフクロウの島袋さんぬいぐるみ〉が大のお気に入りである。
そんなシンクの琴線に触れたのが、洗練されたデザインを誇るゴスロリドレスだった。
シンクからすると、リリンはそんなドレスを着こなす憧れのお姉さんというわけだ。
闇の眷属故に他者からは怖れられることが多いリリンにとって、慕われるというのは嬉しいことなのだろう。
いつもの妖艶な微笑みは鳴りを潜め、太陽のような笑顔を咲かせている。
「お饅頭食べる?」
「ん、食べる」
背中に生えている影のように真っ黒な蝙蝠の翼から、〈コラン君饅頭(八個入り)〉の箱が、ずずずと生れ出てくる。
変幻自在なリリンの黒い翼は空間収納の役割も果たしていた。
僕が以前あげた饅頭を隠し持っていたようだ。
それ、賞味期限は大丈夫か?
「あっ、ずるい私も食べる!」
(わたしも~)
「はいはい。数量に限りがあるからお一人様一個までね」
言語の違いからユキヨ以外とは直接会話出来ないはずなのに、しっかりと会話を成立させているリリン。
いやまあ会話というほどの中身もなかったが。
その様子は姪っ子たちを可愛がる親戚の叔母さん、いや、孫を可愛がるおばあ……。
「余計なことを喋るのはその口かしら」
「いや、口には出してないし」
「へえ、思ってはいるのね」
「あっしまった。 むぐっ」
「あわわ……み、皆様! 頂上が見えてきました」
リリンの紫紺の瞳が妖しく光り、翼の一部が糸のように伸びて僕の口を塞いできたが、ヘルカのフォローのおかげですぐに解放される。
頂上は荒涼とした岩場だった。
竜渓谷はこの辺りで唯一人が通れる場所ということもあり、標高が低めで四方は険しい山脈に囲まれている。
帝国軍によりある程度整備されているが、あくまで通過点なので建物の類はない。
そんなバスケットコート一面分くらいの広さの場所で、二人の人物が対峙していた。
片方は赤い髪の男だ。
細かい刺繍が施されている高級そうな赤いローブを身に纏い、腕を組み正面の相手を見据えている。
ウェーブがかかった赤髪の下には堀の深い端正な顔があり、ハリウッドスターのような貫禄がある。
額の赤い角を隠せば余裕で銀幕デビューできるだろう。
もう片方は黒ずくめの女だった。
黒い上着に黒いスカート姿で、すらりと伸びた足も黒い。
顔は色白なので、素肌が黒いわけではないようだ。
その服装を現代風に表現するなら黒スーツに黒タイツ……というかそものにしか見えない。
履いているハイヒールも黒ならば、髪も黒のショートカット。
黒い瞳の細目美人で、唯一耳を飾るイヤリングだけが翡翠色の輝きを放っていた。
「今更戻ってきて何のつもりかしら? 破壊しか能のないトカゲは巣のある森に引っ込んでいなさい」
「相変わらず傲慢な態度だな〈較正〉よ。小柱の神如きの言葉に、星の調停者である竜の私が従うわけがなかろう」
ただでさえ鋭い眼差しを更に険しくして女が言い放つが、男の方は動じていなかった。
なにやら中二なワードが飛び出したが、イケメンが言うと様になっている。
僕らの登場に二人ともこちらを一瞥したが、すぐに正面に向き直った。
「ここから去らないというなら、強制的に排除するわ」
「ほう、五百年前に似たようなことを言って、追い詰められて半泣きになっていたのは、どこの神だったろうな」
その台詞でかつての屈辱を思い出したのか、女は頬を歪め肩を震わせながら男にびしっと指先を突き付ける。
「あの時とは違うわ! この五百年で私がどれだけ強くなったのかを教えてあげる。それに貴方に恨みを持っているのは私だけではない」
急に周囲が暗くなった。
見上げると晴れていた空に暗雲が立ち込め、渦を巻くように蠢いている。
そして眩い光と共に耳をつんざく轟音。
一瞬の目が焼けるような光量に晒され遅れて瞬きをすると、次の瞬間には女の横に巨大な獣の姿があった。
白と黒のコントラストが映える毛並みは雷を帯びて逆立ち、大地を踏みしめる四肢は柱のように太い。
大きく裂けた顎には鋭い牙が並び、翠玉色の双眸がぎろりと男を睨みつけた。
それはそれは、見事な白虎である。
「おお、格好良い」
「うげ、雷虎だ」
僕の歓声とは裏腹に、抱えていたレジータが嫌そうな声を上げた。
「らいこ?」
「〈風雷神〉に連なる小柱の神よ。あいつは引き籠っていたい私を無理やり外に連れ出すから、関わりたくないの」
陽キャに絡まれる陰キャみたいなことを言っている。
それにしても多種多様な神がいるものだ。
元日本人としては八百万の神に通ずるものが合って親しみやすい。
「〈風雷神〉といえばフィンに加護を与えている神じゃないか」
「へ? そうだっけ」
フィンがこてりと可愛らしく首を傾げている。
いやいや、自分を加護する神を忘れたら駄目でしょう……とは思うが、意外と誰もが加護を重要視しているわけではなかった。
よほど優れた加護を賜らない限り、意識することもないのだろう。
加護の内容や強さは人それぞれで、この世に生まれた瞬間に種族や血統に関係無く決定し、生涯変わる事がない。
そう聞いた時はこの世界は加護至上主義で、ハズレ加護を賜った貴族の嫡男は追放! くらい殺伐としているのかと思ったものだ。
だが冷静に考えると強さの大小はあったとしても、神から頂いた貴重な力に対してハズレだなんて吹聴したら罰当たりもいいところだよな。
(うわっまぶし~)
雑念に囚われていた僕を、再びの閃光とユキヨのどこかで聞いたような思念が現実に引き戻した。
どうやら竜対神の戦いが始まったようだ。




