275話:ゆるキャラと信仰
それは最初、直径三メートルほどの黒い球体であった。
頭上で浮かんでいたそれは縦に細かく裂けると、上部から花の蕾が開くように捲れる。
内部にいたのは巨大な女の上半身だ。
ミンドナファムと同様に陶器のような白い肌と、黒い筋線維が剥き出しの間接部。
蜂蜜色の長く真っ直ぐな髪が、大きく隆起した胸元を隠していた。
捲れた球体だったものが百八十度まで反り返ると、女の下半身を成形していく。
液体のように混ざり合った後に硬化して出来たのは、機械的で機能美を感じさせる逆関節の脚だった。
ゆっくりと立ち上がると、それまで閉じられていた目が開かれる。
黒い眼球に浮かぶ黄金の虹彩を煌めかせて、異貌の神がこちらを見下ろしていた。
「これはなんのつもりだ?我が主の忠実なる眷族よ」
冷たく不機嫌そうな声音で跪くミンドナファムに問いかける。
「詳しい説明もせずお越し頂いて申し訳ありません。ご覧の通り外の連中に知られると厄介でしたので」
「そうであろうな。よくここまで不揃いな連中が集まったものだ。特に其方」
黄金の双眸がゆるキャラを射抜く。
そこに込められた竜族を超える殺気に、ゆるキャラの周囲だけ空気がひりつき、重くなったように感じた。
もちろん全身の毛は総毛立っている。
「その体にあの忌々しき混沌を宿しているではないか。我の前に姿を現して復讐の機会を与えるとは良い心がけだ」
おい猫よ、なんかすごい恨まれてるんですけど。
相手は外様の神だから敵対しているのは当然だが、特に混沌の女神を恨んでいるご様子。
もしかして開拓の女神の宇宙進出の言い出しっぺが猫だったりするのか?
仮にそうだとしても、ゆるキャラは無関係なので八つ当たりはやめてほしいのだが。
「いや待て。其方はもう一つ体に神の残滓を宿しているな。忌々しい混沌に形を変えられているようだが、とても懐かしい気配だ」
言葉の後半の口調は柔らかく、心なしか能面のような顔も微笑んでいるような気がした。
「義憤、じゃなくて憤怒の神をご存じなのですか?ええと……」
「おっとご紹介が遅れて申し訳ない。この方はエリス神の右腕たる小柱神ブロンディア様です」
ミンドナファムにブロンディアと呼ばれた神は、豊満な胸下で腕を組み鷹揚に頷く。
「憤怒とは帰郷に至るための旅路で共闘した仲だ。不覚にも戦いに敗れた主と我は星の外へと送還されたが、憤怒めは討ち取られてしまった」
「ということは憤怒の神は……外様の神なのでしょうか?」
「ふん、外様のう。一体何が内で何が外だというのか」
ブロンディアはゆるキャラの質問に答える気はないようだ。
「それで我に何の用だ?」
「ブロンディア様にご提案が御座います。是非私を含めたこの者たちで帰郷の御手伝いをさせて頂きたいのです」
「ならばまずは主に信仰を捧げよ。話はそれからだ」
「信仰は必要でしょうか?」
「無論だ」
「現在の信仰のままでもお役に立てますが」
「ならぬ」
「信仰の外側だからこそお役に……」
「くどい」
怒気が迸る。
ブロンディアも外様の神であり、アトルランで顕現するには結界である〈世界網〉を潜り抜ける必要があった。
故に神としての力は大きく削られているはずなのだが、圧倒的なプレッシャーを放っていた。
「信仰なくして何が忠誠か。言葉すら交わせない輩の何が信用できる」
「えっ、そうなの?言葉通じてないの?」
ゆるキャラが周囲を見渡すと、厳しい表情のニールとハクアが首を縦に振った。
(わたしは分かるよ~)
ブロンディアの圧に怯えてゆるキャラのマフラーに潜り込んでいたユキヨが顔を出す。
相変わらず万能な言語理解能力である。
フレンはぼーっとブロンディアを見上げていた。
すごい胆力……ではなくあれは何も考えていないだけかな。
「ユキヨ、ニールたちに翻訳してやってくれないか」
(わかった~)
「そもそも創造神の僕が我らに何を望む」
「それは勿論、開拓の女神としての力でございます。そこの白い女は異邦人でして、故郷へ帰るためにエリス神のご助力を」
「それはつまり我が主を足代わりに使うということか?」
更に怒気が膨れ上がるが、飄々としたミンドナファムは一歩も引かなかった。
「我らが主と同様に故郷への帰還を望む者です。どうかご慈悲を頂けないでしょうか」
おっとまさかの泣き落としだ。
「当てもなく暗い空を彷徨えというのか」
「当てならございます」「座標は分かるんだろう?ニール」
話を振られたニールは懐から拳大くらいの何かを取り出す。
それは正方形の金属の塊で、ファンタジー世界には似つかわしくない精密機械だった。
「俺と一緒にこのガイドビーコンがこの世界に転送されたんだが、こいつの片割れが地球にある。これに超能力の【精神感応】を使えば、微かにだが片割れの方向が分かるんだ」
そう言ってニールは洞窟の天井のある方向を指さした。
その方角にニールの地球があるというのか。
「というわけで方向は分かるそうです」
「信用できん。我が主に信仰を捧げ、そやつの言が真実か頭を覗いて確かめた上でなら考えてやらんこともない」
「わかった。俺の信仰を捧げよう」
「ニール!」
ハクアの叫びを無視してニールがブロンディアの前へと進み出る。
異貌の神はニールの頭上に手の平を翳すと、黒い靄のようなものが溢れ出て……。
「お待ちなさい」
その時、どこからともなく声が聞こえた。




