269話:ゆるキャラと生け贄(三回目)
塔の頂上にぽっかりと空いた穴の直径は十メートルくらいだろうか。
一切の光を吸収しているのか遮断しているのか、縁に立って覗き込んでも真っ暗だということしか分からない。
空気の動きに敏感なエゾモモンガの髭も、穴を出入りするような風を感知することはできなかった。
床を吸光率の高い黒塗料で丸く塗っただけだと言われたら信じてしまいそうだ。
そんな深淵にハクアは躊躇なく飛び込む。
白亜のワンピース姿の少女が物理法則に従って真っすぐ落ちていくので、ちゃんと穴はあったようだ。
ゆるキャラたちも慌てて後を追いかける。
「うわっ、なんだこれ」
(不思議な感じ~)
「………」
周囲は依然として深淵だが、光源も無いのに一緒に落下している面々の姿は何故かはっきりと見える。
見上げると穴の入口がみるみるうちに小さくなり、やがて見えなくなった。
辛うじて自由落下による風は感じられるが、自分が本当に落下しているのかと次第に不安になってくる。
もし一人だったら正気度ががっつり削られていただろう。
こんな状況でもユキヨはマイペースで、はしゃぎながら周囲を元気に飛び回っている。
ゆるキャラより肝が据わっているな。
一方でリリンは落ち着いた様子で沈黙を保っている。
こちらは肝が据わっているというよりは、初見じゃないといった様子で……。
「この塔がエリステイルなのか?」
「ううん、これは創造神から隠れるためのもので、邪神本体はもっと下にいる」
スカイダイビングのように水平姿勢のまま落下しているハクアが答えた。
「えっ、邪神ってこの世界には直接来られないんじゃなかったっけ。創造神が〈世界網〉とかいうやつで世界を守ってるんだろ?」
「うん。だから邪神エリスは自分の脊髄だけを伸ばして〈世界網〉をすり抜けてきたの」
〈世界網〉とは創造神がアトルラン全体に張り巡らせた巨大な結界で、外様の神といった外敵の侵入を防ぐ役目を果たしている。
名前通り網目状の結界なので、残念ながら小物は通れてしまう代物だった。
「無防備な脊髄だけを先にこちらに伸ばして、邪神の力は少しずつ転送しているってミンドナファムが言ってた」
ふむ、だからエリステイルなのか?
脊髄を尻尾扱いして良いのかは疑問だが。
あとエリスっていかにも善良な女神っぽい名前なのに、侵略する外様の神側なんだな。
「どうしてニールはエリステイルを探していたんだ?」
「それは邪神エリスが宇宙を彷徨う〈船〉であり〈動力〉であり、〈永久機関〉だから……見えてきた」
質問タイムはここまでのようだ。
先に聞いておけよって話だが、朝起きてからはなんだかんだ忙しかったから仕方がない。
まずは悪い魔法使いとやらに攫われたニールの救出を優先する。
広い場所に出た。
相変わらず光源は不明だが、薄暗いながらも周囲の景色が見渡せるようになっている。
そこは地底湖のような場所だった。
直径二百メートル程の空間の底は液体で満たされ、中心から外側へと波紋が広がっている。
水面から上はドーム状の壁になっていて、黒光りする水晶のようなものでびっしりと埋め尽くされていた。
この空間は塔の幅より全然広いわけだが、過去に神々が作った迷宮に潜った際に似たような経験をしているのでそこまで驚かない。
そんなゆるキャラを驚かせるのは、中央でゆらゆらと揺れている存在だ。
地底湖から飛び出ているそいつは、押し潰して平らにした脊椎を連結したような形状で、表面は黒い粘膜で覆われていた。
脊椎どうしは無数の透明な管のようなもので繋がれ、管の内部をきらきらと光る何かがしきりに移動している。
端的に説明するなら巨大な蛇腹剣、もしくは骨だけの尻尾が湖面から飛び出してうねっている、といったところか。
奇妙な見た目もさることながら、そいつから発せられる威圧感によってゆるキャラの灰褐色の毛が総毛だつ。
竜族の殺気を数倍にも膨らませたようなそれにあてられ、余裕綽々だったユキヨが慌ててゆるキャラのマフラーの中に逃げ込んだ。
ハクアに確認するまでもない。
エリステイルだ。
これで無防備とか邪神は桁違いだな。
揺れる巨大脊髄の側には小さな足場があり、祭壇のようなものが見える。
祭壇には青空のような済んだ髪色が特徴的な少女が横たわり、側には白いローブ姿の小柄人物がこちらに背を向けて佇んでいた。
「フレン!」
ニールたちと一緒にリージスの樹海を出奔した竜巫女の名を、ハクアが叫ぶ。
声に反応してローブの人物がこちらに振り向く。
その顔は人種とは形容し難い。
肌は白磁のように無機質で、ギョロリとした双眸は白目部分が真っ黒で、赤い瞳が際立っていた。
波打つ赤毛と整った顔立ち自体は人間の女性のそれだが、異様な質感と目により否定される。
ローブから覗いている首回りの皮膚は黒く、筋繊維のようなものが剥き出しだ。
新手の邪人か闇の眷属だろうか。
そいつが上体を捻らせて振り向いたことにより、祭壇の少女の手元が見える。
祭壇からはみ出した左の手首が、半ばまでざっくりと切り裂かれていた。
骨まで断たれているのか、蝶番のように外側へ折れた手首の内側からは血がぽたぽたと滴っている。
あんな裂かれ方をすれば大量出血は免れないが、既に出尽くしてしまったのだろう。
その証拠に祭壇の下は血で真っ赤に染まっていた。
助ける、助けないの瀬戸際はとうに過ぎていたが、ゆるキャラの中にいるあいつが一瞬で目を覚ます。
頻度が増えるにつれて、あいつの感情も感じ取れるようになってきていた。
あいつは淡白な口調とは裏腹に、怒りの感情を爆発させていたのだ。
「まずい……リリン、ユキヨをたの―――」
マフラーに貼り付いていたユキヨを引きがしたところで、ゆるキャラの意識はあっさりと〈コラン君〉に奪われてしまった。




