267話:ゆるキャラとあざとさと
巨大な竜が出現すると、遠巻きにこちらの様子を伺っていた近隣住人たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
古戦場跡はイスロトの街に隣接しているが公式の街ではない。
ここには東南北を支配する犯罪組織の構成員だけでなく、彼らの家族や単独の犯罪者、孤児などが住んでいる。
外付けの、都合よく切り離されたスラム街といったところか。
森に同化するようにいくつものあばら家が立ち並び、中からは住人の気配がする。
彼らは得体の知れないゆるキャラには決して近付かず、通り過ぎるまで家の中で息を潜めているのが常であった。
今回は珍しく出てきたなと思ったのだが……ああ、幽霊屋敷の噂を確かめに来たのか。
「Gyaoooooooooooon!(背中にのって)」
「背中に乗れってさ」
「え、貴方って竜の鳴き声まで理解できるの?」
「リリンから借りているペンダントの《意思伝達》の効果のおかげだぞ」
そう言ってからハクアの背中に飛び乗ると、無数に生えている棘と棘の隙間にすっぽりと体を収めた。
何度も乗っているので慣れたものだ。
くっついてきたユキヨも棘の間を縫うように飛びまわっていてご機嫌な様子。
一方でリリンは恐る恐るといった感じで飛んでくると、棘の密度が薄い背中の後方に着地する。
そして自前の蝙蝠の翼を変形させると、棘と棘の間に即席で一人掛けの座席を作ってしまった。
なんか一人だけ快適そうでずるい。
「それじゃあちょっと行ってくる!ティアネ、ミーナをよろしく頼む」
竜の出現にも逃げなかった(おっさん一名を除く)ティアネや冒険者たちに別れを告げたところで、ハクアが羽ばたき空へと舞い上がる。
風圧で木々を放射状に揺らしたかと思うと、あっという間に古戦場跡が見渡せるくらいの高さまで上昇した。
不意にエゾモモンガの耳が名前を呼ぶ声を拾ったので下界を見下ろす。
すると見覚えのある中年男性が丁度ティアネたちの元へ駆けつけたことろで、肩で息をしながらこちらを見上げて手を振っていた。
なんとなく嫌な予感がしたゆるキャラは、聞こえなかったことにする。
……すまぬギルドマスター。
黒い竜が襲撃してきたのはニール及びハクアが原因なので、損害賠償を請求しに来たのだろうか。
責任逃れをするつもりは無いが、今はニールたちの元に駆けつけることを優先したい。
幸いにも他の面子はギルドマスターに気が付いてないし。
ハクアが再び翼を羽ばたかせると、強力な推進力が生まれる。
周囲の景色が一気に流れて、諦めず呼び続けていたギルドマスターや見送るティアネたちを置き去りにした。
「想像より遥かに快適な空の旅ね」
「その割に顔色が悪いぞ」
リリンが顔色を吸血鬼のように青白くさせている……いや、そもそも彼女は吸血鬼か。
普段から日光の下で活動しているので忘れがちだ。
日傘を差したりして直射日光を避けてはいるが、なら微塵も日光に当たっていないかと言えばそんなこともないわけで。
風に煽られないと分かってからは、自作の座席に日よけの幌も追加していた。
別に日よけが無ければ無いで問題無いようだし。
座席自体も立派な造りで、リリンだけ飛行機の最上級客席のようになっている。
ずるい。
異世界の生物たちは、単なる物理法則ではなく魔術的な力で空を飛んでいた。
ハクアの体表付近は謎の障壁で守られており、風圧で飛ばされることもなければ、羽ばたきによる揺れもほとんど無い。
昔シンクにどういう仕組みか聞いてみたけど、本人も当たり前のこと過ぎて逆に説明できないと困っていたのを思い出す。
「もしかして高い所が苦手なのか?それとも乗り物酔いか?」
「人の運転する乗り物って信用できないのよ」
これまたまるで、リリンは何かしらの乗り物の運転ができるかのような言い回しだな。
この世界で運転できるようなものといえば、馬車くらいしか思い浮かばないのだが。
ただ他人の運転が信用できないというのは、個人的には共感できる。
北海道の移動手段としては自家用車が一般的で、ゆるキャラの中の人もその例に漏れない。
万年フリーターで高級車には手が出ないので、年式の古いコンパクトカーが相棒だった。
通勤といった移動は自らの運転が大半で、他人の運転する車に同乗する機会は少ない。
たまに友人の運転する車に乗ることがあるが、運転が荒かったりすると小心者なゆるキャラの中の人的には非常に落ち着かなかった。
小心者になってしまった明確な理由もある。
過去に一度、他人の車に同乗中に事故に遭ったことがあるのだ。
幸い大きな怪我はしなかったが、それ以来他人の運転は怖いし信用できない。
これはバスやタクシーといった交通機関に乗っても同じなので、今思えば立派なトラウマだよなあ。
ところが現在進行形でハクアという乗り物に乗っていても、不思議とトラウマは感じていなかった。
リリンの発言を聞くまでトラウマだったこと自体忘れていた。
これまでにシンクや馬車にも何度も乗っていたが何も感じなかった……こういうのって普通は忘れたくても忘れられないものだと思うのだが。
本当にゆるキャラの中身は益子藤治なのだろうか。
(きれいだね~)
ユキヨの嬉しそうな念話で我に返る。
雪女の恰好をした小さな精霊は、雲海のように広がる冠雪した森の一方向を見て目を輝かせていた。
その方向は進行方向と同じで、ハクアが黒い竜と戦った痕跡がありありと残っている。
戦闘の余波で森の木々がハクアの吐息を浴びて樹氷、ならぬ氷像と化していた。
黒い竜の死体(氷像)も残っていて、それらが太陽光を浴びてキラキラと輝く光景は幻想的だ。
「でもちょっとMMOのルート案内っぽい」
(え~なあに~?)
何がおかしいのか、キャッキャと笑いながらユキヨがゆるキャラの懐に飛び込んでくる。
今度目の前で箸でも転がしてみようか。
(ユキヨもいつかはハクアみたいになれるかな)
「え、竜になりたいのか?」
(ううん、そうじゃなくてあれあれ~)
ユキヨが指差すのは道標と化した氷像たちであった。
「え、氷像になりたいのか?」
(ちがうちがう。ユキヨの魔術でもあんな風にできるかな~ってこと)
察しの悪いゆるキャラに頬を膨らませる。
土地柄か氷熊のユメ、凍原狼のリュフ、そして雪精霊のユキヨといった氷属性な面子が揃い踏みする中でも、ハクアは圧倒的な実力差をつけて頂点にいる。
対象を氷漬けではなく氷そのものにしてしまうのだから、格上もいいところだ。
(というわけでもっと強くなりたいから、羊羹ちょうだい~)
両こぶしを顎下に持ってきて、あざといポーズを決めたユキヨが羊羹をねだってくる。
豊満な胸は両肘に挟まれて強調され、あどけなさの残る顔に並ぶ双眸は切なげに潤んでいた。
本当に強くなりたいかどうかは怪しいところだ。
仕草は完璧だが、口元の端から一瞬垂れた涎を見逃すゆるキャラではないぞ。
「しょうがないなあ」
(わ~い!)
目的と手段が入れ替わっていそうだが、今後に備えて英気を養うのは正解か。
〈ハスカップ羊羹〉を四次元頬袋から包装を剥がした状態で出してやる。
ユキヨは自身の体長の半分近くある棒状の羊羹を、抱き枕のように両腕で抱え込む。
そして一心不乱に食べ始めた。
頬一杯に羊羹を頬張り、無垢な子供のような笑顔を咲かせている。
さっきまでのあざとさはどこへやらだ。




