262話:ゆるキャラと朝チュン
ゆるキャラの体の中には益子藤治とは別に〈コラン君〉という人格がいる。
普段は表に出てこないがゆるキャラや周囲の人が危機に陥った時、どこかの不気味な泡さんみたいに自動的に現れる。
〈コラン君〉が表に出ている間はゆるキャラの中の人の意識は無く、気が付いた頃には危機を乗り越えていることが大半だ。
意識が切り替わる予兆はあるので自覚はできた。
特に他者の危機の際には「よわいものいじめはだめだよ」という、昔のいじめ防止ポスターのような決まり文句が脳内で反芻する。
一度切り替わりが始まると阻止するのは難しい。
少なくとも直接的な危機の時は阻止率ゼロパーセントだ。
いや、阻止したら窮地から脱出できなくなるのでするつもりもないのだが。
この体をくれた猫こと〈混沌の女神〉は、〈コラン君〉の人格のことをセーフモードと言っていたな。
本体がピンチになると自動でBOTが動くシステムが組み込まれていて、この体の本来の用途はそっちだとも聞いた。
本来の用途というのが非常に気になる。
益子藤治の死自体が猫の失態によるイレギュラーだったわけだし、〈コラン君〉の肉体も益子藤治用に作ったわけではないのだろう。
もし専用で作ってくれるなら、せめて人の体にして欲しいところだ。
もっと欲を言うならセーフモードぐらいの戦闘力を常備させて欲しい。
度重なる危機を救ってくれる〈コラン君〉には感謝する反面、意識を乗っ取られるという恐怖がある。
今のところ危機が去ればすぐに〈コラン君〉の人格は引っ込むが、切り替えを繰り返すうちにどんどん〈コラン君〉でいる時間が延びて、いずれ益子藤治の人格は消えてしまうかもしれない。
そしてそんな危惧に拍車をかけるのが今の状況なわけで……。
目が覚めると見知らぬ天井が視界に入った。
張り巡らされている木造の梁は、古びてはいるものの太くて立派なものだ。
ゆるキャラはベッドに寝ているようで、視線を下に動かすとずんぐりとした体には清潔感のある白いシーツが掛けられていた。
部屋の面積の半分近くをベッドが占有していて、結構手狭に感じる。
宿屋の一室といった感じだ。
寝起きのぼんやりとした頭だからなのか?目覚める前の状況が全く思い出せない。
とりあえず体を起こそうとするが、左右の腕が持ち上がらなかった。
一瞬ベッドに括り付けられているのかと思ったが、そういうわけではないようだ。
その証拠にもう少し力を入れて左腕を持ち上げようとすると、シーツの下から「……んっ」という可愛らしい声が聞こえてきた。
どこか懐かしく感じる声音を不思議に感じていると、シーツからはみ出た声の主の顔が露わになる。
「なんでシンクがいるんだ」
ゆるキャラの腕に抱き付いて寝ていたのは、見覚えのある竜の幼女であった。
透き通るような白い肌に眠たそうなとろんとした垂れ目。
小振りで可愛らしい唇や鼻。
彼女はゆるキャラの腕から生えているオジロワシの手羽に顔を半分埋めて、気持ちよさそうに眠っている。
シンクとは離れ離れになって数週間が過ぎているというのに、どうして突然一緒に寝ているのだろう。
驚きながらまじまじと寝顔を見ていると、シンクが身じろぎして頭に被っていたシーツがはだけた。
「……え、角が無い?」
そう、額から生えているはずの角が無いのだ。
シンクは《人化》に不慣れなため、竜の証である角と尻尾は人の姿に変身していても残ったままだった。
事あるごとに額の角をゆるキャラの体にぐりぐり押し付けられて、地味に痛かったのを良く覚えているが、それが無い。
確かめるようにつるりとしたおでこを撫でた所で、新たな異変に気が付いた。
シンクは燃えるような赤い髪の持ち主だったが、それが今は肌と同じくらい白い。
一瞬光の加減で見間違えたかとも思ったが、エゾモモンガのつぶらな瞳を何度ぱちくりさせても白いままだった。
あれあれ、そもそもシンクってこんなに大きかったっけ?
一緒に旅をしていた時もこうやって抱きつかれながら眠ったものだが、記憶にあるシンクより幾分かずっしりしている。
成長したのだろうか?というか《人化》してるのに成長とかあるのか?
大きさ的にはもはや幼女ではなく少女であった。
この子はいったい誰だ……。
あー、この辺でようやくゆるキャラの頭も覚醒してきたようだ。
いるではないか、シンクより一回り大きくて似たような姿の存在が。
依然として今の状況に至った経緯は思い出せないが、謎が一つ解けて少しほっとする。
さて、左腕だけでなく右腕にも誰かが抱き付いている感触があるわけだが、こっちは誰だろう。
ニールは二人とは別行動を取っていると言っていた。
という事はその二人のうちのもう片方の可能性が高いのではなかろうか。
「ふわあ。もう朝?昨日は遅かったからまだ眠いわね」
不意にシーツ越しに右腕のあたりから声が聞こえてきた。
この時点でゆるキャラの予想は外れたことが確定する。
だって予想していた人物の声は聞いたことが無いが、今の声は聞いたことがあるんだもの。
同時に一緒に寝て朝を迎えたという事実に対して、急激に不安を覚える。
その人物があくびをしながらシーツから頭を出すと、ビロードのように艶やかで白い兎耳がぴょこんと飛び出した。
人と獣の中間のような顔をした亜人。
常にゆるキャラの貞操を狙っていた兎形族のミーナさん、その人であった。
衝撃のあまり硬直していると、がちゃりと部屋のドアが開いて誰かが入ってくる。
「あら、起きてたのね。……貴方はトウジかしら?」
「リリン!たすけて!」
「あ、間違いなくトウジね」
「ちょっと、もしかして起きしなになんかすごく失礼なこと言ってない!?」
ぎゃーぎゃーと三人で騒いでいたが、シンクに似た少女は起きることなくすやすやと眠り続けていた。




