259話:ゆるキャラと白銀と真白
マットは【地母神の加護】持ちだ。
地母神自体は他大陸の守護神になるくらいメジャーだが、授かった能力はマイナーでピーキーなものだった。
具体的にどんな能力かといえば、マット自身の感覚及び外部からの刺激が全て増幅される、というものである。
この全てというのが厄介で、代表的な五感に限らず痛覚や皮膚感覚、他にも感情や記憶力といった、マットが自覚できるありとあらゆるものが増幅された。
五感が鋭くなるのは斥候としてプラスに働くだろうけど、痛覚や感情……特に恐怖心といった負の感情が増幅されるとしたら、果たしてトータルでプラスと言えるのだろうか。
五感だって鋭すぎると感覚過敏で精神的にまいってしまいそうだ。
出会った時から妙に臆病だなとは思っていたが、その背景に加護があるとは予想できなかったな。
外部からの刺激、つまり支援魔術なども増幅されるので、やっぱりアウラやナスターシャとは相性が良いということになる。
何故そんな能力が大地を司る【地母神の加護】なのか分からなかったのでマットに聞いてみると、分類としては豊穣にあたるからだそうだ。
痛覚や恐怖心まで豊穣にされても困るでしょ……というかそういうのはもっと別の適した神がいそうなものだが。
較正や寛容に特化した神がいるくらいなんだし。
《すばやさ》の魔術が増幅され、ルーファス以上のスピードを出したマットがこちらへ駆けてくる。
その背後には撒くのに失敗して追いかけてきた新手の魔獣も一緒だ。
ルーファスと交戦していた灰色狼を三倍くらい大きくした狼で、頭の位置がマット背丈よりだいぶ上にある。
白銀の毛並みが美しく、良い声で「黙れ小僧!」とか言いそうだ。
もしくは特大の両手剣を口にくわえてぶんぶんと振り回してくるか。
突然の闖入者に灰色狼たちは驚いて硬直しているので、白銀の狼が群れの長というわけでもないようだ。
灰色狼と違ってルーファスの反応は素早かった。
戦うのをすぐにやめてマットと一緒にこちらへ走って逃げてくる。
反応の遅れた一部の灰色狼が、突進してくる白銀の狼に跳ね飛ばされて宙を舞った。
トラックに轢かれたゆるキャラの中の人もあんな感じだったのだろうか。
「ちょっと、こっちにこないでよ!」
「トウジさん、早く逃げ―――」
慌てるナスターシャとアウラの声を遮るように轟音が響き渡る。
音の正体は地響きと森の木々が大量にへし折られるもので、それはつまりゆるキャラたちでも狼たちでもない、第三の存在だということになる。
必死に走るマットとルーファスが白銀の狼に追い付かれそうになる直前、そいつが姿を現した。
「Vuruuuuuuuuu!」
そいつは咆哮と共に森から飛び出し、白い巨体で白銀の狼の横っ腹に体当たりをかました。
狼の煌めくような白銀とはまた違う、新雪に似た真っ白な毛皮だ。
巨大質量同士の衝突が低く鈍い音が周囲の空気を震わせ、白銀と真っ白な塊は雪原をもつれ合いながら転がっていく。
(あーーーーーっ、山に帰りなさいって言ったのに。もう)
「あら、ついてきちゃったのね」
ユキヨは頬を膨らませぷりぷりと怒り、リリンは仕方ないわねといった感じの反応をしている。
二人とも野良犬に懐かれちゃったなーみたいなノリだが、実物はそんなに小さくもないし可愛くもない。
いやまあ、つぶらな黒い瞳は可愛いけども。
その正体とは先日にユキヨがとっちめて、今朝がた山に返したはずの氷熊である。
もつれた状態から先に離脱したのは白銀の狼だ。
身を翻して着地すると、狩りの邪魔をしてきた闖入者を蒼い双眸で睨みつけ咆えた。
「Gaooooooooooon!」
咆哮が契機となって魔素が具現し、事象が発生する。
白銀の狼の周囲の空気が凍り付き、小さな無数の結晶が太陽光に反射してきらきらと輝く。
いわゆる細氷というやつだ。
ゆるキャラの中の人の地元である北海道胡蘭市でも真冬にはよく見かけたなあ。
胡蘭市は盆地なので、夏は暑く冬は寒い。
特に真冬はマイナス二十度まで冷え込む日もあるので、バイトで〈コラン君〉の着ぐるみを纏っていても余裕で凍えて震えていたのを思い出す。
「……きれい」
隣りでぼそりと呟いたティアネと一緒に眺めていると、空気中を舞っていたダイヤモンドダストが突如指向性を持ち、氷熊へと襲い掛かる。
氷熊は避けるどころか上体を起こして立ち上がり、体の前面でダイヤモンドダストを受け止めた。
まるで背後を走るマットとルーファスを庇うかのように……いや、実際にそうなのだろう。
魔力を帯びた微細な氷の結晶は美しいだけでなく、まるで散弾のような威力を持って氷熊に突き刺さった。
肉を穿たれた氷熊の全身に赤黒い点が生まれると、そこから血が勢いよく噴き出す。
「まさかあいつは〈風雪〉のリュフか!?」
「!?誰だそれは」
なにその有価証券の価格を変動させる目的で、虚偽の情報を流してそうな名前は。
アウラが変な名前を叫ぶから思わずツッコミを入れそうになってしまった。
「こっ、この辺りを縄張りにしている名前持ちの魔獣だ」
「この辺りといってもかなり森の奥だったと思うけど、どこまで斥候に行ったんだい?」
「す、すまん。見つかっても撒けると思ったが無理だったようだ」
珍しくボケなかったルーファスに指摘されて、マットがしょんぼりと肩を落とす。
撒けると思った自信過剰な面や、息子ぐらい年の離れた青年からの指摘を受けての落ち込みようといい、感情の振り幅がとても大きい。
改めて観察してみれば厄介な【地母神の加護】の影響が見て取れる。
「それで名前持ちってのは?」
「特別に強い魔獣のことさ。普通の凍原狼なら討伐されてお終いだが、あいつは何度も冒険者を返り討ちにしてきた。そういう強くて危険な個体は他と区別するために名前が付けられ、冒険者ギルドから懸賞金がかけられるんだ」
「なるほど賞金首みたいなものか。それじゃあ同じくらい強そうな氷熊にも名前はあるのか?」
人に直撃すれば挽肉にされそうな氷の散弾を喰らった氷熊だったが、分厚い毛皮と驚異的な再生能力のおかげか致命傷にはなっていない。
出血も一瞬のことで、すぐに傷口から白煙が上がり再生が始まっていた。
「Vruuuuuaaaaaaaaaa!」
そんな攻撃は効かないぞ、と言わんばかりに氷熊が咆える。
「氷熊は凍原狼と比べるとめったに人前に現れないから、そもそも名前付きになる機会がないんだよ。それに氷熊という魔獣自体が名前持ちの特別な凍原狼と同じくらい強いから、名前を付けるまでもない。遭遇したら全力で逃げる相手だからねえ。もっと頻繁に遭遇して被害が広がれば氷熊にも名前が付くだろうけど」
それもそうか。
名前なんて人種が勝手につけたものであり、魔獣からしたら知ったこっちゃないよな。
〈風雪〉のリュフ君だって人種からそう呼ばれているとは思うまい。
(君の名前、フーセツノリュフっていうんだって)
いや、ユキヨはわざわざ教えなくていいから。
凍原狼が一瞬こちらを見て「えっ?」みたいな反応をしたような気がするが……気のせいだろう。




