243話:ゆるキャラとアンデッド?
イエティが斜面の下から続々と現れる。
胴体から生えた毛むくじゃらで短い手足を使い、四つん這いでよじ登ってくる光景はなかなかに気持ち悪い。
全体的に色が赤で口が裂けるほど大きくなければ、某子供番組のキャラクターに見えなくもないのだが。
ローカルなゆるキャラ〈コラン君〉とは違って、全国区で恐竜が相方のあの大先輩だ。
(てぃあねー がんばえー)
ユキヨはユキヨで日曜の朝の女児向けアニメを視聴しているかのような応援をしていた。
そんなゆるキャラのどうでもいい雑念はともかく、ティアネは登ってきた白い雪男を迎え撃つ。
大きな口を開けて齧りつこうとしてきたイエティを横に飛んで躱し、そのまま回り込むのと同時に足払いを放った。
鞭のようにしなる蹴りがイエティの短い足を文字通りすくい、ゆるキャラ似のずんぐりとした白い体が仰向けに倒れ込む。
死に体となったイエティに逆手に持っていた短刀が振り下ろされた。
出ましたトロール一族伝統のダウン攻撃。
争いごとが嫌いなティアネにもしっかり踏襲されており、短刀がイエティの頭……と思われる部分に深々と突き刺さると、大きく裂けている口からは豚を絞めたかのような甲高い悲鳴がこだました。
絶命し動かなくなったイエティを斜面に蹴落とすと、ティアネはリリンと連携しながら他のイエティを屠っていく。
このイエティという闇の眷属は図体がでかいだけで、さほど脅威は感じなかった。
攻撃手段も噛みつき一辺倒なので、第三位階冒険者くらいの実力なら余裕だし、第四位階でも十分いけそうだ。
こいつら自身よりも引き起こされた雪崩のほうが遥かに厄介だったが、ニールによって容易く防がれている。
雪崩が引き起こすエネルギーというのはそれこそ土石流に匹敵するくらいだが、ニールの【念動】はどれだけ強力なのだろう。
ゆるキャラが猫にもらったこの体や能力よりよっぽどチートではなかろうか。
イエティは数だけは多く、次から次へと斜面を登ってくる。
「トウジは参加しないのか?」
「イエティの相手はティアネとリリンで十分だろう。俺はこの子たちの護衛に専念するさ……あれ?」
雪崩を防ぎきったニールがこちらに戻ってくると、それまでゆるキャラにしがみ付いていた兎形族の子供二人が離れて彼女に抱き付く。
二人とも救出以降は終始言葉数が少なく、【精神感応】で心を明け透けにできるニールだけに懐いていた。
元々人見知りする性格だったのか、それともトロールに虐げられたことによる心的外傷によるものか。
前者は過去にシンクという竜族の幼女の例があったが、あの縋るような抱き付き方は後者の影響が大きいのだろう。
さすがに心に傷を負った子供を取り合うほどゆるキャラも愚かではない。
「なら子守りはニールに任せて俺も戦闘に参加……あれ?」
そう思って四次元頬袋から大剣を取り出した矢先、同胞が一方的に惨殺されてもお構いなしに襲い掛かってきていたイエティたちが突然、回れ右で撤退し始めた。
蜘蛛の子を散らすように白い巨体が山々へと逃げ帰っていく。
今更になって叶わないと見切りを付けたのか、それとも……。
「ふっふっふ、この〈コラン君〉に恐れをなしたか」
「単にこれ以上の損耗を嫌って逃げただけでしょ」
大剣を肩に担いで、戦国武将のように嘯くゆるキャラをリリンがジト目でたしなめてくる。
無論本気でそう思っているわけではなく、子供たちを安心させようという気遣いである。
「あの子たちなら貴方の事を見ていないわよ」
「おおっとティアネは全身返り血まみれじゃないか。洗ってやるよ」
子供たちはニールに夢中だったので、いそいそと大剣を仕舞い代わりに〈聖杯〉を取り出す。
聖杯の見た目はワイングラスを寸胴にしたような形状をしていて、取っ手などは付いておらずつるりとしている。
くすんだ真鍮色のみすぼらしい杯だがその正体は《浄化》の水、すなわち聖水を生み出す唯一無二の珍しい魔術具である。
ティアネは素直にゆるキャラの元にやってきて跪いたので、頭上で聖杯をひっくり返して魔力を籠めた。
すると空だった杯に魔素で造られた聖水が生み出され、ティアネに降りかかる。
日光に反射してきらきらと輝く聖水は黒装束やヴェールに付着した血に触れると、炭酸水が反応したような音と共に薄く煙をあげながら洗浄していく。
聖水自体も少し間を置いてから魔素に分解され空気中に溶けて消えるので、寒空の元ずぶ塗れのままになることもない。
「ありがとう」
大きな体を丸めたまま、聞き取れるかどうかの小声でティアネが礼を言った。
ヴェールの下のその表情は、風呂上りのようにさっぱりとした感じだ。
「リリンは汚れてなさそうだな」
リリンはティアネと違って変形させた蝙蝠の羽による遠隔攻撃なので、本人までイエティの返り血が飛ぶことはなかった。
その分蝙蝠の羽にはべったり付着しそうなものだが、撥水加工でもされているかのように血糊を弾いていた。
「あら、汚れたら私も洗ってくれるの?」
「えっ?」
戸惑うゆるキャラをよそにリリンは側に転がっていたイエティの死体の元に近寄ると、ロングブーツで踏みつける。
厚底の踵で踏まれるとイエティの頭部の傷からは血が噴き出し、ブーツの編み上げ部分と赤黒のコントラストが映えるフリル付きスカートにべったりと付着した。
「あら、汚れてしまったわ。トウジ洗ってくれる?」
「溶けたり爛れたりしないのか?」
「私をなんだと思ってるのよ」
不死族の吸血鬼だと思ってますが何か?
リリンがどこか楽しそうに碧眼を揺らしながらゆるキャラを見つめている。
不死族にとって《浄化》の力を持つ聖水は弱点のはずだが。
本人が良いというなら洗ってやろうじゃないか。
イエティを踏みつけた姿勢のまま待っているリリンに近付き、恐る恐る聖杯を傾けて聖水をかける。
ブーツやスカートが白煙を上げるが、それはティアネの時と同じでイエティの血を洗浄しているだけだ。
「足にも少し付いてるから宜しく……っん」
リリンが少しだけスカートをたくし上げると、ニールとは違い未成熟な少女の白い生足が露出する。
そこに聖水がかかると冷たかったのか声が漏れた。
ええい、変な声を出すんじゃあない。
こっちは聖水が悪影響を及ぼさないか気が気じゃないというのに。
「リリンは吸血鬼じゃないのか?」
「この世界の住人からはそう呼ばれているわね。綺麗になったわ、ありがとう」
「お楽しみの所悪いが、私の《温暖》のアンクレットに魔力を籠めてくれないか。効果が切れてきたようだ」
リリンを問い詰めようとした矢先に、ニールが青白い顔をして会話に割り込んでくる。
天然の毛皮である兎形族の子供が左右から抱き付いているが、それでも体は寒そうに震えていた。
ニールの唯一の弱点は魔力が操れないことである。
一応体に魔力は備わっているらしいのだが、この世界の神の加護がないので操る感覚を掴むのに苦労していた。
《温暖》のアンクレットは結構燃費が悪いようで、半日に一回は充電が必要な代物だ。
消費魔力もそれなりだったので、魔力に余裕のあるゆるキャラが充電係になっていたのだ。
「トウジは足フェチなのかしら」
ずい、と踵落としの要領で持ち上げ差し出される成熟した女性の足を引っ掴み、アンクレットに魔力を籠めているとリリンからそんな言葉が浴びせられる。
失敬な、どちらも半ば仕事みたいなものじゃないか。
人間の男としての感情を失っている〈コラン君〉は君らの足では欲情しないのだよ。
という言葉は頬袋に溜めて飲み込む。
声に出して彼女たちを怒らせてもしょうがないからな。
それに毎度のことながら全く反応できない自分にちょっと、いやかなりへこむゆるキャラであった。




