233話:ゆるキャラと吐き気
石造りの廊下は床も壁も天井も白かった。
左右には扉が並んでいるので、これで廊下を塞ぐように事務机なんて置いてあれば、ゆるキャラは新たな異世界に飛ばされていたかもしれない。
ここはマルズの〈空虚神の加護〉によって造られた空間で、外の世界とは隔絶している。
気温は適温、風は無いが適度に換気されていて湿度も高くない。
マルズの手のひらを介して物体はここへ送られるが、時の流れは外と同じなのでここに果物などを置いておけば腐敗もする。
ただ腐りにくくはなるそうだ。
多分この空間自体に腐敗を促進させるような微生物がいないせいだろう。
マルズ本人もこの空間に入ることができるため緊急時は逃げ込むのだが、その場合は外の世界との出入口が固定されるため注意が必要だった。
例えば海底で溺れて苦しまぎれに避難しても、海底から移動は出来ないといった感じだ。
生き物をこの空間に入れるには、先ほどゆるキャラが鳥足を掴まれたようにマルズ本人が連れ込まないといけない。
だが入れた後の配置は融通が利くようで、近くにマルズはいなかった。
どこかの扉の向こうに潜伏しているのだろう。
ゆるキャラの持つ〈四次元頬袋〉とは似て非なる能力なので色々と興味深い。
全体的にはこちらの下位互換だが生き物が入れるのは羨ましいので、なんとかインチキして〈四次元頬袋〉の中にも入れないだろうか。
などとティアネの説明を思い出しながら傷を癒し、落ち着いたところで探索を開始する。
ここは敵の本拠地と言える空間なので慎重に手前の扉から調べていくのだが、一番手前の扉に近づいただけで腐臭が漂ってきた。
罠があったとしても探知も解除もできないので、警戒だけして扉を開ける。
……開ける前から嫌な予感はひしひしと感じていたが、そこには攫われたレキの同胞たち、兎形族の皆がだだ広い部屋に吊るされていた。
商品として処理された彼らは今晩引き渡される予定だったのだろう。
このままここに置いてはいけないので、覚悟を決めてから〈聖杯〉を取り出し聖水で彼らを清めて〈四次元頬袋〉に仕舞っていく。
生きていた彼らを一瞬とはいえ口に含むという行為に抵抗はあるが、我慢して全員を吞み込んだ。
こみ上げる吐き気は生理的嫌悪感だけではない。
その証拠に暫く引っ込んでいたあいつがまた、ゆるキャラの脳内で騒ぎ出している。
全員を回収して他の部屋も調べると、空き部屋や物置、トロールたちの居住スペースとなっていた。
ちらほらと戦利品と見られる他種族の角や毛皮、人族用の武具のようなものも置いてあり、トロールたちがいかに創造神の子らを狩り続けてきたかがよく分かる。
耳鳴りのように脳内でこだまする声を無視して探索を続け、遂に最後の扉の前にやってきた。
室内の気配を探ると、浅い呼吸音をエゾモモンガの耳が拾う。
そっと押せば建付けの良い扉は音もなく開いていき、呼吸音の主が現れる。
「まだ生き残りがいたのか」
怯えた表情の兎形族の子供が見えて思わず呟いき近づこうとしたが、その華奢な首に太い指が食い込んでいるのに気がついて立ち止まる。
完全に扉が開ききると、子供の首を後から掴んでいるマルズがいた。
「―――――」
「何言ってるかわかんねえよ。まあ脅してるんだろうけどさ」
戦闘による負傷で手首が折れ骨が飛び出ているというのに、兎形族の子供の首をしっかり掴み盾にしているマルズが何か喋っている。
その子は鎖で繋がれていた子と違って外傷は見当たらない。
だが首を捕まれ宙吊りにされているため、苦しそうに喘ぎながら恐怖で涙を零していた。
その姿に反応するかのようにゆるキャラの脳内であいつが喚く。
あまりにも大声で喚くものだから目眩を起こして足元が一瞬ふらついてしまう。
その隙をマルズは見逃さなかった。
子供を掴んだまま突っ込んできて、ゆるキャラの丸い腹を思い切り蹴りつける。
ブーツの爪先が腹に食い込み、ピンボールのように吹っ飛び対面の扉をぶち破り、部屋にあった様々な戦利品を巻き込みながら壁に頭から激突する。
内外から脳を揺さぶられ意識が遠のく……今意識を手放すのはまずい。
なんとか起き上がろうとしたところを、走り寄ってきたマルズに腹を踏みつけられた。
マルズは兎形族の子供を放り投げ、周囲に散らばっていた戦利品から剣を拾う。
左脇に鞘を挟んで刀身を逆手に抜き放つと、雄叫びを上げながら真っ直ぐ振り下ろした。
「―――――――!」
「うおおおおおっ!」
負けじと叫びながらじたばたともがいて必死に体をよじる。
心臓を貫こうとした切先をなんとか肩口辺りまで逸らしたが、肉を深く抉られて激痛が走った。
叫んで己を鼓舞しながら鳥足でマルズの腕を蹴りつける。
黒曜石のように輝く鋭い爪が閃めいて、折れた状態でも異常な膂力を発揮しているマルズの太い手首を深く切り裂き、遂に切断した。
両手を失ったマルズは手首から噴き出す血を止めることもできず、絶叫しながら後ずさり膝をつく。
ゆるキャラは肩に突き刺さったままの剣を、手が傷つくのを厭わずに強引に引き抜き放り投げた。
剣と柄に残っていた手首が舞う中、腕と首に体重を乗せて跳ね起きてマルズへ迫る。
両手と片目を失った邪人トロールが、顔を歪めて嗤いながら最期に放った言葉はなんだったのだろうか。
ゆるキャラに対しての呪詛だったかもしれないが、《意思伝達》のネックレスを失い言葉を理解できなかったので悪いが受け付けられないな。
首元に放った蹴りを避けようともせず、マルズは裂かれた喉から血を迸らせながら崩れ落ち、事切れた。
主を失った世界に急激な変化が訪れる。
四方の壁が熱せられた飴細工のようにどろどろと溶けはじめ、足元が埋もれていく。
急いで兎形族の子供の姿を探すと、部屋の隅で気を失い床に埋もれそうになっているのを発見した。
底なし沼のような床を掻きわけて進みなんとか子供を抱き寄せたところで、ゆるキャラたちの体は床に飲み込まれてしまった。




