19話:ゆるキャラと助っ人
『風舞え なぎまえ 空を……ひらべて? 切りきり舞えばぁかまいたち!』
疑問符の入ったたどたどしい詠唱が聞こえる。
小学生が九九の暗算をうろ覚えでそらんじたような感じだ。
どこかで聞いたような声だが、〈森崩し〉の咆哮を至近距離で食らった影響で耳鳴りが酷く判別がつかない。
そしてその耳鳴りを上書きする勢いで、新たな轟音がエゾモモンガの耳をつんざく。
やめてくれ、とっくに〈コラン君〉の鼓膜のライフはゼロだ。
だがおかげで本体のライフは守られる。
轟音と共に、目の前で大きく顎を開いていた〈森崩し〉の右側頭部が突如陥没した。
まるで横から見えない何かに殴られたみたいだ。
ゆるキャラを喰い破ろうとしていた鋭利な牙は、その衝撃により軌道が逸れて横を掠めた。
「あーっ、はずしたぁ!」
必死に滑空して逃げる俺の視界に、見慣れた緑髪の妖精少女の姿が映る。
悔しそうに、器用に空中で地団駄を踏んでいる。
「フィン!お前がなんでいるんだ?」
「トージを助けに来たに決まってるでしょ。トージが死んだら誰がわたしに甘いものくれるのよ!」
「お前、魔術使えたのか」
「うん?なんか見よう見まねで頑張ったら出たよ」
フィンは妖精としてはまだ若い個体で、碌に魔術も扱えないと妖精女王のフレイヤは言っていた。
にもかかわらず謎の気合とノリで魔術が発現したようだ。
たとえ甘味目当てだったとしても、助けに来てくれておっさんは嬉しいよ。
先程の詠唱はゆるキャラの記憶が正しければ、空気の刃を飛ばす魔術のはずだ。
ところが詠唱が不完全だからだろうか、フィンが放ったのは刃というより鈍器である。
しかもフィンは魔術を外したらしい……ファールチップであの威力かよ。
地面に着地して振り返ると、頭部の抉れた〈森崩し〉が苦痛に吠えながらビチビチとのたうっている。
陸に上がった魚のようだ。
よく見ればフィンの一撃で側頭部と一緒に右目も潰れていた。
よしナイスだ、両目を潰せばもう碌にこちらを捕捉できまい。
いまのうちに距離を取るべく俺が走り出すと、〈森崩し〉がピクリと反応して頭部を持ち上げる。
両目から血の涙を流した巨大魔獣は、こちらを向くと顎を開けて真っすぐ襲い掛かってくる。
「はぁ!?なんで俺の居場所がわかるんだ?てかタフ過ぎるだろ、いい加減死んどけよ!」
「へぶっ」
頭上をふらふら飛んで俺を追いかけていたフィンを引っ掴むと、速度を上げてひた走る。
妖精少女が変な声で鳴いたが構っている暇はない。
木々の間をジグザグに逃げても、〈森崩し〉はぴったりとくっ付いて俺たちを追いかけてくる。
音や臭いで判断しているのだろうか?それにしては正確すぎる。
聴覚と嗅覚に優れた〈コラン君〉でも視覚無しで同じ真似は出来ないだろう。
となると他に感知する手段があるはずだが、今考えても答えは出ない。
「フィン、もう一発魔術をお見舞いしてくれ!」
「無理ぃー」
「なんで!?」
「魔力使い切ったから」
……まじかよ。
確かに雑に胴体を掴んで運んでいるフィンの顔色は真っ青で、萎びた野菜のようにぐったりしている。
先の戦闘で魔力切れを起こした迎撃部隊のエルフや妖精と同じ症状だ。
一発の魔術で魔力を使い切るとか、どこぞの誰かさんのようだな。
折角被害を出さずに済んでいるのに、このまま逃げ続けると他の迎撃部隊の面子に追い付いてしまう。
なので九十度方向転換するが、その先には〈森崩し〉の胴体が待ち構えている。
出来るだけ隙を作らぬよう低空ジャンプで鞭のようにしなる胴体を躱し、頭上から迫る顎は着地と同時に屈んでやり過ごす。
遠くまで行かずその周辺で大きな円を描くように逃げ回っていると、次第に〈森崩し〉の胴体に包囲されて逃げ場を失っていく。
相手が力尽きるのを待ちたかったが、このままだと逃げきれず先にこちらが牙の餌食になりそうだ。
追い詰められる前にフィンを逃がせばよかったと後悔する。
「くっそー、魔力さえあれば今度こそかまいたちでぶっ飛ばしてやるのに」
幾分か顔色を取り戻したフィンが、腰回りを掴んでいる俺の手をポカポカ叩きながら憤る。
魔力を回復する手段……あるじゃないか。
「フィン、饅頭を食べたら魔力は回復するか?」
「えっ?でも……」
「食べてすぐは回復しないのか?」
「だって、今日食べていい分はもう食べちゃったよ?」
「……緊急事態だから気にしなくていい」
「ほんと?やったー!饅頭より羊羹がいい。あっちのほうが回復するから」
この状況で一日一種類ルールを守ろうとしていたとは、妙なところで律儀な妖精である。
許可が出たのを聞くや否や、嬉しそうに身を乗り出してゆるキャラの口に手を突っ込む。
「ちょ、ちょっと待て、まだ四次元頬袋に繋げてないから口の中には涎しかないぞ」
慌てて念じて視界に現れたアイテムウィンドウから〈ハスカップ羊羹(一本)〉を選択する。
口内で待機していたフィンの手が、実体化したそれを掴んで取り出す。
不思議なもので羊羹の箱に涎は付いていなかったが、フィンの両手にはべっとり付いていたので結局羊羹も涎まみれだ。
妖精の少女は涎など気にすることもなく羊羹の包装を剥がして捨てると、すごい勢いで食べ始めた。
俺はその間、必死に逃げる。
縦にうねる蛇の胴体は横に走って、続け様に噛みついてきた頭部は真上に飛んで躱す。
フィンを掴んでいない左腕の翼を羽ばたかせ、僅かに生まれた推進力で〈森崩し〉の後頭部に降り立つ。
そして滑り台の要領で後頭部から首、胴体へと滑り落ちる。
背中を移動するゆるキャラを振り落とそうと胴体が波打ったので、弾かれる前に飛び降りようとして―――。
「あっ」
鱗に付着している血で鳥足を滑らせた。




