129話:ゆるキャラと泪
「冒険者ギルドで聞いてもらった通りだが、俺たちが帝都を訪れたのは人探しのためだ。迷宮に潜って新たな情報が得られなければ、本来の目的地である旧ラディソーマに向かう」
「ラディソーマへは何をしに行くんですか?そのあとはどうするんですか?一年、二年くらいなら待ちます」
「……俺は〈混沌の女神〉の使徒みたいなものなんだが、ラディソーマにある本神殿で神託を受けるのが目的だ。神託を受けたあとのことは、その内容によるとしか言えないから今断定はできない。場合によってはそのまま別の地へ旅立つことになるだろう」
転生のくだりはややこしいので省略して説明する。
ゆるキャラが元人間だというのは、クルールには関係のないことだしな。
「それに帝都に留まって第一皇子派に所属し続ければ、そのうち戦争にも駆り出されるだろう。レヴァニア王国にもヨルドラン帝国にも知り合いがいるから、俺たちは戦争に参加するつもりはない。どちらかの肩を持つなんてできないからな。最初から帝都に長居するつもりはなかったから、デクシィ侯爵の要求は聞き流して用事が終わったら逃げるつもりだったんだよ。クルールはただの案内役と聞いていたし、まさかここまで君の人生に大きく影響する展開になるとは思わなかったけど」
クルールは一度だけ食い下がったが、その後はゆるキャラの話を黙って聞いていた。
先程までの紅潮は嘘だったかのように引いていて、俯き加減で組んだ両手を膝の上に乗せている。
力が入っているのかその指先が白い。
仮にレヴァニア王国に知り合いがいなかったとしても、あの性格の悪い侯爵の部下として生活するのは嫌だなと思う。
クルール自身については別に問題はない。
むしろ若くて可愛いお嬢さんだから、ゆるキャラと政略結婚させられるなんて可哀そう過ぎる。
多分歳の差はダブルスコアぐらいじゃなかろうか。
異世界ではありがちな歳の差かもしれないが、ゆるキャラの中の人的にはクルールは完全に姪っ子枠である。
愛でる分にはいいがそれ以上はない。
「デクシィ侯爵はその場の思いつきで俺との結婚を思いついたみたいだし、クルールにはちゃんとした許嫁がいるんじゃないのか?」
「いましたがお父様の処刑の影響で、政治的思惑から外れたため破談になりました。ちなみに嫁ぎ先は四十歳の子爵の第三夫人の予定でしたので、正直破談になって良かったと思っています」
だ、ダブルスコアどころじゃないな。
「それにたとえデクシィ侯爵の思いつきだったとしても、没落寸前の男爵令嬢にとっては絶対命令に等しいんです。つまりあの言葉は私にトウジ様の首を縦に振らせろ、という指示なんです」
「クルールにじゃなくて直接俺に言えばいいのに」
「私が失敗したと知れば直接言うと思います。ですが先程の話ですと私との結婚は断って帝国から出て行かれるのですよね?」
「……」
真顔で確認されて思わず言葉に詰まった。
表情の急激な変化にクルールの情緒が心配になってくる。
原因の一端はゆるキャラにあるのだが。
「ま、待ってくれ。君の目標はシャウツ男爵家再興だろ?俺と君の結婚以外にも再興する方法がある。ずばり言えばマリウスお兄さんのことだ」
「マリウス兄様、ですか」
クルールもゆるキャラの言いたいことは分かったようだ。
シャウツ男爵家の事情については、馬車の中や昨晩の夕食中に聞いていたのでおおよそ把握できている。
そもそもシャウツ男爵家の跡取りはマリウスなのだから、彼が臆病を克服して辺境伯とやらの期待に応えられるようになるのが本来の正しい姿だろう。
辺境伯の期待とは簡単に言うと武芸であった。
父親であるシャウツ男爵がそうであったように、マリウスも武芸で己の力を示して自領の騎士団をまとめあげる必要がある。
貴族の当主の全員に武芸が求められているわけではなく、各々の領地の特色に合わせた能力が必要であった。
もし武勲均一だったならデクシィ侯爵のような贅肉達磨は貴族になれるわけがないしな。
シャウツ男爵領は代々武芸に秀でた家系で、領内の治安維持や魔獣の駆除対策の優秀さにおいて領民から支持を得ていた。
逆に言うとそれ以外はからっきしだったのだが、生活するうえで治安というのはとても重要な要素であり、シャウツ男爵領ではそれが全てと言える。
マリウスの父親のように殊更武芸に秀でた存在は稀だが、治安部隊の陣頭指揮ぐらいはできなければ領主は務まらない。
実力も大事だが、見栄と建前も貴族にとっては重要である。
しかしマリウスは弟を亡くしたショックで臆病になり、屋敷に引き籠るようになってしまった。
「昔はラルズと頻繁に組手をしていたんだろ?それなら問題は精神面だけで戦闘能力の才能は十分にあるはずだ。というわけで、君と結婚はできないがマリウスの助けにはなれるかもしれない。例えば俺が稽古を付けたり、良い武装を提供することもできるだろう。己の強さに自信が持てれば領主の役目も果たせるだろう。なので彼を帝都に呼べないだろうか?」
「……」
「辺境伯に確認してみてくれないか。マリウスが帝都に来れるなら全面的に協力するから」
「私との結婚にも全面的に協力して欲しいのですが?」
「ごめん。その代わりに帝都にいる間は、俺のことを兄だと思って頼ってくれていいからさ」
最後のは咄嗟に出た言葉だったが、失言だった。
ラルズを失って辛いというのに思い出させるようなことを言ってしまったと後悔したのだが……。
「ほんとに?いいの?」
「あ、ああ」
「ラルズ兄さまは私が落ち込んだり不安になった時は、耳や尻尾を触らせてくれたの」
ずっと馬車内の座席の対角線上で話していたクルールが、するするとゆるキャラの隣に移動してくる。
そして上目遣いでじっと見つめてきたので、頭を傾けてエゾモモンガの耳を触らせてあげた。
「実はトウジ様の毛並とラルズ兄様のは似てるんじゃないかと思ってたけど……ああ、やっぱり似てるわ。少し弾力があるけど柔らかいところが……あ、あれ」
穏やかな表情でゆるキャラの耳を触っていたクルールの両目から、止めどなく涙が溢れている。
咄嗟に目元を手で押さえたが本人の意思とは関係無いようで、「あれ、あれれ」と言いながらぽろぽろ涙を流し続けていた。
そうか、クルールは心細かったのか。
立て続けに家族を二人失い、心に傷を負った兄を頼ることもできず、これまで緊張の糸を張り続けていたのだろう。
ゆるキャラがその糸を散々引っ張った挙句切ってしまった。
どこまで罪滅ぼしになるか分からないが、帝都にいる間は兄の代わりを務めよう。
涙が止まらず慌てているクルールの頭を撫でると、彼女は次第に落ち着きを取り戻す。
そしてゆるキャラの丸い体に身を預けるように寄りかかり、流れる涙をそのままにそっと目を閉じた。




