116話:ゆるキャラと月下美人
月明かりに照らされて鈍く光る鋭い牙が、目の前にある柔らかい肉を食い千切ろうと踊りかかる。
しかし漆黒のスカートがひらりと舞うと、牙は躱され虚空を噛み締めた。
上下の牙が激しくぶつかり合い、ガキンという金属に似た音と共に滴る唾液を撒き散らす。
後ろに飛んで紙一重で牙を躱したのは、黒と白の対比が際立つ衣装―――メイド服姿の美女ことルリムだ。
邪人で闇森人のルリムはスカートをふわりとさせながら着地すると、「ふっ」と短く息を吐いて地面を蹴る。
薄紫の長い髪を水平になびかせて高速で動くその姿は、一筋の紫電のようだ。
そして得物の戦斧を横薙ぎに振るうと、加速と遠心力を乗せた一撃が眼前で噛み締められたままの牙を打ち据えた。
まるで歪な音叉を叩いたかのような耳障りな金属音が響き渡ると、戦斧の一撃と共振に耐えられなかった一本の牙が粉々に砕け散る。
衝撃で牙の持ち主の巨体が後方に吹き飛ばされるが、しなやかなに体を捻って草むらに着地した。
牙を一本失ってもその闘争心が衰えることはなく、低い声で唸りながら緑色に輝く目でルリムを睨みつけている。
この魔獣の名は剣牙猫という。
見た目を簡単に説明するなら、数千万年前に地球上にいたとされる剣歯虎、いわゆるサーベルタイガーにそっくりだ。
虎を一回りほど大きくした巨体で、全長は四メートル近い。
上顎からはその名の通り、剣のように鋭い牙が二本生えている……片方はたった今砕かれてしまったが。
というか《意思伝達》の翻訳を通しているのだし、素直に分かりやすい剣歯虎でもいいのに。
虎柄ではなく黒に近い濃紺の毛並みだから、あえて「猫」なのだろうか。
ぱっと見で虎に見えたが改めて観察すればする程、虎要が減っていく気がしないでもない。
色だけで判断するなら黒豹のほうが近いか。
とにかくそのでっかい猫が、今度こそ噛みつこうとルリム目掛けて襲い掛かる。
対するルリムは引き戻し、腰だめに構えていた戦斧で迎え撃った。
横一文字の斬撃は、音もなく飛び上がった黒い巨体を捉えることができず空振る。
猫科らしく器用に空中で身を捻り、ルリムの頭上を飛び越えると、月光が遮られメイドの姿が闇に消えた。
それでも剣牙猫の緑目の、縦に伸びた瞳孔はしっかりと暗闇に潜む彼女を捉えているようだ。
牙に匹敵するくらい鋭そうな前足の爪を、落下しながら突き立てる。
いくら防刃仕様のメイド服でも防ぎきることはできないだろう。
無惨に切り裂かれるルリムの姿を幻視したが、それが現実となることはない。
落下する剣牙猫の側面から、空気を切り裂くようにして戦斧が強襲したからだ。
ルリムは戦斧の一撃を躱された後、手元には引き戻さずにその場で一回転半。
ハンマー投げの要領で(投げてないが)戦斧を剣牙猫に直撃させた。
遠心力が増して牙を砕いた初撃に劣らない一撃が、剣牙猫の毛皮を切り裂く。
腹の肉を断ち、肋骨を砕かれながら剣牙猫は弾き飛ばされ、草むらを転がった。
驚異的な生命力ですぐさま起き上がったが、はっきり言って致命傷だ。
腹の傷口からは止めどなく血が流れ、内臓も潰れたのか口からも血を垂らしている。
このまま血を流し続ければ、まともに動けるのもあと十数秒程度だろう。
だが手負いの獣ほど危険な相手はいない。
ルリムもそれは承知しているようで、気を緩めることなく追撃に移る。
自身の身長よりも長い戦斧を肩に担ぐと紫電と化し、剣牙猫に突撃していった。
どうやらゆるキャラの出番はなさそうなので、短めの腕を組みながら引き続き戦況を見守る。
後方彼氏面、もしくはゲーセンで他人のプレイを背後から観戦する○○立ち勢というやつだ。
ゆるキャラとルリムは二人で、とある村の郊外にある草原に来ている。
帝都への旅路は四日目の夜。
本日の終点である村の酒場で夕食を摂っていると、人食い猫が出たと村人たちの間で騒ぎになっていた。
なんでもここ一ヶ月で四人の村人が食われたらしく、二週間前に冒険者ギルドに討伐の依頼を出したそうだが、なかなか依頼を受けてくれる冒険者が現れず困っていたというのだ。
人食い猫こと剣牙猫は、一匹なら第四位階冒険者パーティーで難無く倒せる相手とのこと。
ならば一宿一飯の恩を返そうと(お金は払ってるけどね)、アレスたちとゆるキャラたちで別れて剣牙猫を捜索、討伐する流れとなった。
剣牙猫は夜行性ということなので、フィンたちはお留守番である。
最初は参加したいと駄々をこねていた三姉妹(一名は控えめ)だが、夕食後はあっさり睡魔に負けて夢の中へ。
というわけで予定通り未亡人のルリムと夜のデートとあいなった。
試しにゆるキャラのエゾモモンガの鼻をすんすんさせて、獣臭い方角へ歩いてみると草むらを進む黒い獣とあっさり鉢合わせる。
猫と言われるとどうにもラブリーな印象、こやつめハハハという印象しか抱かなかったが、現物を見るとああ人食い虎の事ねと納得。
剣牙猫は樹海で戦った氷熊と似たような身体能力だが、魔術は使わなかった。
ルリムからは事前に自分の実力を見て欲しいと言われていたので、ピンチになるまでは手出し無用と打ち合わせ済み。
加えて魔術なしで挑むと縛りプレイ宣言も頂いている。
それにしてもまさか得意な武器が戦斧とは思わなかった。
普段はどちらかというとお淑やかな雰囲気で、三姉妹を世話する姿も見た目が若いので、母親というよりはお姉ちゃんといった感じだ。
それが今は闘争心を剥き出しにしている。
紫の瞳を爛々と輝かせ、形の良いふっくらした唇は弧を描いていた。
メイド服姿でゆるキャラの提供した戦斧を華麗に振り回していると、本当に格闘ゲームのキャラみたいだな。
「トウジ様。終わりました」
決着がついたようだ。
更に攻撃を加えられて全身傷だらけになった剣牙猫は、血を失い過ぎて立ち上がることができなくなっている。
自らの血だまりの上にへたり込み、綺麗な緑色の目からは次第に生気が抜けていく。
多少息は上がっているものの、ルリムは無傷での完勝だ。
最後に戦斧を振って血糊を払うと、ゆるキャラに向かって微笑む。
月明かりで全身に付着した返り血が照らされていて、褐色の肌の頬は上気している。
その姿はなんとも背徳的で妖艶だった。




