108話:ゆるキャラと悪鬼
時刻は夕暮れ。
月華団との戦闘及び事後処理があったため、馬車の行程に遅れが生じていた。
日が暮れる前に今日の目的地であるアネアド村とやらに到着したかったのだが、新たなトラブル発生である。
夕焼けで赤く染まる街道の先から、剣戟の響きと共に血のにおいが漂ってくる。
サンドラが御者に指示して馬車の速度を落とす。
次第に見えてきたのは武装した男女と、それに群がる無数の小人。
小人たちの全長は男の腰の高さくらいで、ボロ布を体に巻き付け背生を丸めた姿はまるで浮浪者だ。
禿頭で尖った耳を持ち、老人のような皺くちゃの顔だが、その眼だけは生命力に溢れぎらついている。
粗末なこん棒や鉈といった統一感のない得物を各々が持ち、断続的に男女へと襲い掛かっていた。
「あれは村付きのライナードさんとリエスタさんだ!ゴブリンの群れに襲われてる……助けなきゃ」
タリアが両手を額に当てて庇を作り、双眼鏡を除くような仕草で遠くを見ながら叫ぶ。
まだ距離にして三百メートルは離れているが、タリアはなかなかに遠目が効くようだ。
ゆるキャラもオジロワシの眼がなければ何かの集団がいるな、くらいにしか見えていなかった距離だ。
ほほう、あれがかの有名なゴブリンですか。
確かサハギンと同様に闇の眷属なので、〈外様の神〉の加護を受け〈創造神〉によって造られたこの世界に住むあらゆる生命と敵対する存在である。
前方の騒ぎを聞きつけてアレスとジェイムズもやってきた。
「ゴブリンなら我々が加勢すれば十分でしょう。すみませんがトウジさんたちは馬車を守ってもらえますか」
「わかった。任せてくれ」
ゆるキャラが答えるや否や、アレスは三人を引き連れて加勢に向かった。
どれどれ、第四位階冒険者のお手並み拝見といこうじゃありませんか。
ゴブリンはざっと数えただけでも十数体いて、タリアが村付きと呼んだ男女を包囲していた。
見たところ二人に大きな外傷は無いが、疲労の色が濃く肩で息をしている。
アレスがそこへ駆け寄りながら剣の柄で盾をガンガンと叩くと、包囲していた数体のゴブリンが驚いてアレスのほうに振り向く。
そのうちの一体に高速の何かが飛来して、右の眼窩に突き刺さった。
そいつは「ギャッ」と甲高い悲鳴を上げて倒れると、数秒のたうった後に絶命した。
倒れたゴブリンの眼窩から塔のようにそびえ立つのは一本の矢だ。
それを放ったのはアレスの背後を追従するタリアだ。
彼女は小走りのまま、小型の複合弓に素早く次の矢を装填して、放つ。
次弾はアレスに襲い掛かろうとしていた別のゴブリンの胸元に吸い込まれた。
突如胸を襲った激痛に狼狽えたゴブリンは、手にした棍棒を放り投げて刺さった矢を引き抜こうと両手で掴む。
目の前に剣を持った敵がいるというのに、自身を襲った苦痛の原因を取り除くことで頭が一杯になっていた。
そして脳から腕へと伝わる「矢を抜け」という指令も、達成することなく途中で途切れる。
アレスの横薙ぎの一撃がゴブリンの無防備な首を刎ねたからだ。
熟れた果実を枝からもぎ取ったかのように、首と胴体はあっけなく分断された。
苦痛で歪んだ皺くちゃの顔がぼとりと地面に落ちると、その上に事切れて弛緩した胴体が倒れ込み覆い重なる。
首切り口から大量の血が噴き出し地面を濡らすが、周囲は夕焼けで赤く染まっているためさほど目立たなかった。
小さな悪鬼どもは惨たらしく死んだ仲間など意に介さない。
新たに出現した敵に対しても、怒りを露わにして無謀な突撃を慣行する。
サハギンの時もそうだったが、闇の眷属は他の生物への攻撃性が強い。
〈外様の神〉からの使命を帯びているため、具体的な理由など無くとも彼らは怒り狂い、自らの生命を省みず他者の命を脅かす。
だがゴブリンは痛みに敏感で、一度痛打を浴びると怯む傾向にあるようだ。
鉈を振り上げて飛び掛かってきたゴブリンの胴体をアレスが盾で殴りつけると、ばきりと肋骨が砕ける鈍い音をさせて小柄な体が地面を転がる。
肺が潰れたのだろう、そのゴブリンが転がった先で浅く息を吐くと、口から血の泡が噴き出た。
そして起き上がることもできず、地面を這うようにしてその場から離脱しようとする。
致命傷を受けて〈外様の神〉の洗脳は解けたようだが、逃げることは叶わない。
『万象の根源たるマナよ 寄り合う焦熱を束ねて 彼の敵を貫き溶かせ』
詠唱が終わるとサンドラの掲げる杖の先端に炎が生まれた。
火種もないのに空中で燃え盛る炎は、次第に捻じれて槍のように細くなる。
サンドラが杖を振りかざすと、炎の槍は地面を這うゴブリン目掛けて射出された。
射出速度は実際の槍投げと同等くらいだろうか。
正面から放たれたならば回避は容易そうだが、こちらに背を向けていては回避どころか察知すら出来まい。
案の定炎の槍はゴブリンの背中に突き刺さり、物理的に地面へと縫い付けた。
肉を貫かれ一度短い悲鳴を上げたゴブリンだったが、間髪なく襲った肉を焼く激痛に喉を震わせる。
引き抜こうと背中に手を回すが、燃える槍はまともに触れず指先を焦がすだけだ。
結局何もすることも出来ず、体の内部から焼かれゴブリンは絶命する。
背中から生えた炎の墓標は、暫く燃え続けてゴブリンの死体を黒く炭化させた。
怒り狂う悪鬼どもはサンドラにも殺到するが、それを捌くのはジェイムズの仕事だ。
サンドラに注目しているゴブリンの死角から巧みに近づき、逆手に持った短剣で喉を掻き切る。
頸動脈が切断され鮮血が噴き出すと、ゴブリンは慌てて傷口を手押さえた。
ジェイムズはその背中を蹴りつけて転倒させると、死を見届けることなく次の獲物を探す。
サンドラは近寄ってきたゴブリンを杖で牽制する。
なかなか腰の入ったスイングで、当たれば小型のゴブリンなら十分痛打になるだろう。
辛うじて飛び退いて躱したゴブリンは、杖を振り抜いて隙だらけのサンドラに再度襲いかかろうとした……が、己の胸から突き出した短剣に驚き、激痛に悲鳴を上げた。
ジェイムズの仕業だ。
彼は心臓を貫いて殺したゴブリンの首に腕を回すと、街道の隅に放り投げた。




