第6話 相克する医師と僧侶
入り口の小ささとは対照的に、見渡す限りどこまでも広がる青の洞窟。
気は常に張り詰めている。
闇を照らす青のおかげで、途方に暮れる事も無く歩き続けられているが、いつ魔物が現れるか分からないのだから。
洞窟にしては広い道。一番狭い所でも4人くらい整列できそうだ。
幸運にも床は固い土で、まるで人工的に舗装されたかのように歩きやすい。
・・・などと、考え事をしていたからだろうか。
「おぉ、うわぁ!」
視界が前のめりに反転した。
・・・何も無い所で転んでしまったようだ。
とっさについた手が痛い。
見てみると、皮が剥けて赤いモノが滲み出ていた。
「血、結構出てますね。」
「治癒術って使える?」
ダメモトで聞いてみた。
「いえ、使えません。私はあくまでも"医師"ですから。」
表情が硬い。
もしかして、彼女のような名医でも僧侶に対するコンプレックスがあるのか?
「そっか。とりあえず、先に進もう。」
平常心を装い立ち上がる。
「あの、大丈夫ですか?」
不安そうに、顔色を伺ってきた。
「うん。」
彼女の心の雨雲をかき消すために、さっきよりも固く手を繋ぎ、歩き出す。
・・・くそ、駄目か。
華佗は先程と異なり、俺の少し後ろを歩き、目が合わないようにしている。
今は会話したくない、という事なのだろう。
ああ、失敗した。治癒術使えるか、なんて聞かなきゃ良かった。
治癒術は僧侶の得意技だ。そして僧侶は魔術師の一種。
いや、もちろん、ここは剣と魔法の世界なのだから、医師だって魔術を使う。
しかし、その地位は低く、魔術師扱いをされていない・・・少なくとも王都においては。
イメージとしてはブルーカラーだ。学術的権威は無く、感覚と体力勝負の、理屈が通用しない世界、と見下されている。
「・・・俺は僧侶よりも医師の方が凄いと思うよ。」
拙い文句しか出ない自らを恥じる。
「ありがとうございます。」
作り笑顔、か?
口角の動きのちょっとした違和感。
多分俺にしか分からない、本当の笑顔との違い。
・・・そんな顔をされて、俺が黙っているとでも思っているのか、馬鹿。
「あぁもう!」
仕方ない、包み隠さず全てを打ち明けよう。
たとえ裏切られて殺される未来が待っていたとしても、惚れた者の負けなんだから。
「実は俺、この世界の人間じゃないんだ。」
「えぇ・・・。」
"この人何言ってるの感"を露骨に出される。
「いや、本当だってば。俺の世界で医術は原因療法って呼ばれてて、文字通り、原因を治す凄い術なんだ。」
反対に、治癒術は対症療法的だと言える。
つまり、痛みには鎮痛剤を、という発想。
痛みは収まるが、痛みの原因は治せない。
「でも、衰弱死したら、原因が消えても意味が無いですよ。」
「確かに、そういう意味で治癒術は使える。」
脚を止め、彼女の方を向く。
つられて華佗も立ち止まる。
「けど、毒魔術師として言わせてもらうと、外傷みたいに原因が消えてしまう傷よりも、原因が残留する毒の方が危険なんだ。特に"不滅の毒"は死ぬまで残るし。」
「それが・・・先輩の術ですか?」
劉備三兄弟に食らわせた"不滅の毒"。
取り除かない限り、永久に残留し続ける毒。
「そうだ。俺の毒は華佗みたいな名医じゃないと治せない。」
「でも、あの即効性を見ると、私の解毒術では治せないかもしれません。やっぱり、"ちゃんとした"魔術師が必要ですね。」
・・・ああ、腹が立つ。
過ぎたるは及ばざるがごとし。驕らないのは長所だが、卑屈なのは目障りだ。
何より、それ以上俺の好きな人を貶されるのは我慢できない。
「もっと自分に自信を持ちなよ。現に昨日治せたじゃないか、俺を。」
恐らく華佗は、圧倒的な分析術と解毒術で不滅の毒を除去したのだろう。
もちろん、そんな芸当ができる人間は一握り。一番のネックは分析術が難解であること。
要するに、お世辞ではなく、本当に分析術特化型魔術師である華佗にしか治せなかった可能性が高い。
彼女がいなければ、俺は不本意な自殺を遂げていたんだ。
・・・それがわからないなんて。
やっぱり、知能が高いだけで馬鹿だ。
「あぁ・・・そういうことですか。」
俺の怒りが伝わったのか、今度は華佗がむっとしている。
「危険ですから、自分にあれを注ぐのはやめた方がいいですよ。」
語気が強い。もしかして、怒っているのか。
「でも、逃げるためには仕方無かったんだよ。」
「そうですか。でも、やめた方がいいです。」
目が鋭い。詰問を止める気は無いようだ。
「やりたくてやった訳じゃないよ。」
「では、またやるかもしれないって事ですか?そんな言い訳、全然納得できませんよ。」
決定的な問い。欲しかった言葉。
干渉を好まない少女の、明確な侵害。消極的命令。
「ああ、そっか・・・。」
俺の事が大事だから・・・。
だから、そんなに必死なんだ。
「わかりましたか?」
やっぱり、この娘と一緒に来て良かった。
こうなったら仕方ない。降参しちゃおう。
そして、くれたモノの対価として・・・
捧げてしまおう。何もかも。
「うん、ありがとう・・・じゃあ、目、閉じて。」
愛しい気持ちのままに、大胆に。
「え?」
「も、もう、言うとおりにしろよ!こっちだって・・・恥ずかしいんだから。」
緊張して言葉が荒くなる。
ああ、顔が燃えるように熱い。
伏したくなる視線。だが、懸命に瞳を合わせる。
今は一カケラとして彼女を取りこぼしたくない。
「は、はい。」
閉じた瞼が震えている。
手は拳を作っており、肩は小さく固まっている。
俺は彼女の唇にそっと口づけをした。ほんの少し、触れて。そして、ゆっくりと離す。
「せ、先輩。」
目を開けてしまう華佗。
表情の変化が小さいとはいえ、その潤んだ瞳を見たら、いかに彼女が緊張しているかがわかる。
「奪っちゃった。あはは。」
笑って誤魔化す。
「先輩・・・どうして?」
「ご褒美。」
「・・・ふふ、やってくれますね。いつか仕返ししますから。」
そう言うと、俺の手を握った。
溢れる笑いが、何よりも衝動を正当化してくれた。
「ねぇ、そろそろ行きますか?」
頷き、手を引く。
完璧に合う歩調。
二人三脚で俺たちは歩み始めた。
今度転ぶときは二人一緒になるだろう。
世界にはたくさんの職業がある。
その中でも最古の職業は「売春」だと良く言われるが、本当にそうだろうか。
そもそも、職業とは何だ。人間以外には認められないのか。
いや、違う。単に文明的な人格が前提となっているだけだ。
現に、この世界でも亜人に職業がある。差別こそされているものの、その常識を否定する者はいない。
もし人間を作った創造主が居るのならば、そいつの職業は何なのだろう。
人の形を作れるという意味で"人形師"と呼ぼうか。
「先輩!下がってください!」
まあ、目の前の危険な"人間もどき"を神が作ったのであれば、俺は二度と祈らないだろう。
少なくとも、糸で操られるチープなヒトガタを、人間に類するものとは認めたくない。
攻撃され、何度も倒れる。だが、その度に立ち上がるヒトガタ。
華佗の額の汗が艶めかしい。
洞窟の地形を活かし、様々な方向からクナイを敵の体に走らせた。
彼女の身体能力には感服せざるを得ない。
だが、荒い呼吸は、離れたこちらまで聞こえるほどで、俺の後ろに着地すると、とうとう座りこんでしまった。
「ああ、下がるべきだ。汚い手で触られる前に。」
諦観は本質を見逃さない。
自動しないはずのヒトガタ。
その動力源、意思の源は心臓にある。
・・・これを作ったやつは、きっとロマンチストなのだろう。
そして、その核は糸を通じ、外部へと繋がっている。その糸は都合良くこちら側に伸びており、その先を目で辿るも、視力の限界の遙か遠くへと続いていた。
ともあれ、やはりこれは操られているだけの人形か。
「女のセンスだけは認めてやろう。人形師。」
美しい少女のヒトガタ。表情や動作は最愛の名医のようで。
その動きを止めさせるのが惜しいと思えるほどに面影を感じた。
その糸に触れる。ヒトガタの核に向かう魔力の流れに沿って、不滅の毒を流す。
だが・・・。
「先輩!」
声に気づいた頃にはもう遅い。
ヒトガタの剣は既に振り下ろされ、俺の生命を断ち切る。
「安心しろ。俺は病気だ。」
後ろの華佗へ振り向きながら、自信に満ちた笑顔を捧げる。
・・・まったく、なんて顔をしているんだ。
好きな子をいじめるのは大好きだが、そんな悲痛な顔をされたら流石に心が傷む。
バン!と魔術の結界が破れた音。バタンと後ろで何かが倒れた音。
ヒトガタは、剣が弾かれた反動に耐えきれるほど強力では無いらしい。
だとすれば、もう俺の仕事は終わった。
後は毒が効くまで、華佗が時間稼ぎするだけだ。
「・・・バリア、ですか。」
少し膨れた頬。可愛いので、もっと怒らせたくなる。
「うん。30回分くらいは重ねがけしてるんだ。」
「なら、事前に言ってください。無口は良くないです。」
「君がそれを言うか。少しは自分を省みてくれよ。」
まったく、俺が好きな女はどうしてみんな自己認識が歪んでるんだ。
「何を言ってるのかわかりませんけど。それより、そんなにいっぱい重ねがけしてもらうなんて、よっぽど僧侶に好かれていたみたいですね。」
可愛らしい嫉妬。だが、それよりも違う理由で・・・呼吸が上手くできない。
苦しい。気づいたら駄目だ。でも、苦しい。また負の螺旋を転げ落ちてしまう。
「・・・あ、ああ・・・そう、だな。」
「せんぱい?先輩!」
脚の感覚が失せ、まるでヒトガタ・・・糸の切れた人形のように闇へと倒れ落ちる。
落下の最中、駆け寄る彼女の顔が視界に入る。
・・・また、悲しませてしまった。
聖者の記憶。
そうだ。このバリアは僧侶・・・彼女にかけてもらったものだ。
魔王の手先だと知ってから、俺はあいつらを最大限利用してやろうとした。
手始めに僧侶には、魔力が続く限り補助魔術の重ねがけをしてもらった。
闇から現れたのは、予想通りいつもの宿屋だ。
このピンク色の、趣味の悪いカーテンを覚えている。
ちっとも遮光しないから、朝になるとめちゃくちゃ眩しいんだよな。
今は夜で、その片鱗を見せていないが。
ああ、なんというノスタルジー。つい見回してしまった。
妙に狭い部屋と、不釣り合いな大きいベッド。
・・・そして目の前の僧侶。
「バリア、限界まで頼む。面白いモノを見せてやるから。」
「え~。そう言って毒魔さんは騙すつもりなんじゃ・・・。」
「ぎくっ。」
なぜわかった。と、あからさまに動揺してしまう。
だが、こんな弱さはとっくに自覚している。
その上で嘘を付くのだって、数え切れないほどやってきた。
心配性と何年付き合ってきたと思っているんだ。
「もちろん。でも、絶対に面白いから。」
「押しが強い所が毒魔さんらしく無いですね・・・ますます怪しいです。」
カンが鋭い、というよりは俺がわかりやすいのだろう。
だが、問題ない。
僧侶は一番御しやすい人物だからだ。少なくとも俺にとっては。
きっと相性が良いんだろう。まるでじゃんけん。俺がチョキなら、彼女はパーだ。
「うーん。そんなに信用できないならいいや。」
まずはエサをまく。
「え・・・いや、やりますよ。」
見事に食いつく。
「どっちだよ。俺はどっちでもいいよ。」
リールを回す。
「もう、拗ねないでくださいよ!やりますから!」
完全に釣られる。ああ、ちょろい。
彼女は何もかも聖職者らしくない。
現世利益を追求するその様は、俺たちの中で一番世俗的だ。
故に、楽しみを奪おうとすると、簡単にコントロールできる。
彼女にとって、やらない後悔だけは絶対にしたくないのだろう。
「・・・ふう、ふう。ど、どうですか!」
「おお、すごい。」
何重にも重ねられたバリア。
これだけあれば、不意の攻撃に対する保険はバッチリだろう。
「はぁ、疲れました・・・。」
ベッドに座り込む彼女。
俺はその後ろに座り、荒い呼吸で上下する肩をマッサージし始めた。まずは肩甲骨から。
「え、あ、ちょっと。」
戸惑う彼女。びくんと驚いた背中に、柔らかな圧力をかける。
そして、その小さな耳に口を近づけ、労いの言葉をプレゼントする。
「お疲れ様。感謝してる。」
若い女性特有のハリのある脂肪。
その奥の繊細な筋繊維を解きほぐすように、指を骨の間に滑り込ませ、優しく力を入れる。
「あ、ああ~。お上手ですねぇ。」
「おっさんみたい。あはは。」
「おっさんで結構ですよ~。そこ、もっと強く揉んでください。」
ふわふわと、緩い口調で命令される。
「もみ返しって知ってる?」
過剰にマッサージすると、かえって肩がこってしまう現象。
とはいえ、精神的に癒やすのも重要だから、なるべく長い時間もみ続ける必要もある。
つまり、「弱い力で長時間」がマッサージにおいて正義なのだ。
「そんなのいいですから~。強くしてくださいよぉ。」
「この快楽主義者。神様はどう思ってるかな。」
「気持ちいい事は、神様が望んでることなんですって。そもそも私の幸せを願わない神様なんて信じませんよ。」
こいつは筋金入りの生臭坊主だな。
戒律だとか、そんなことは気にも留めないんだな。
「でも、禁欲もいいですよね。」
「解放した時が?」
「はい、最高ですよ!だから・・・。」
彼女の背中がこちらに迫る。
ぼふっと、俺の胸に衝撃。とっさに彼女を腕で包んでしまった。
忍者より柔らかく、勇者よりも小さな身体。
「ねえ、二人に見られたらどうします?」
「う、殺される・・・。」
怒りが噴火する勇者と、氷のように冷たく無視する忍者が浮かぶ。
「でも、スキンシップって気持ちいいですよね。気づけたのは、毒魔さんのおかげです。」
「それは、俺がお触り野郎だって言いたいのか?」
「どっちかって言うと、浮気野郎じゃないですか?」
満面の笑みでこちらを向く彼女。
顔だけ見ると完全に聖母だな。
特にその柔和な目元は、慈悲に満ちていて、黒い腹の内を吐露したくなる。
「懺悔するよ。俺は3人とも本命だ。」
本音。
取り返しがつかない程愛してしまった。
「あはは、そんなのが許されると思っているんですか?」
「いや。でも、三人になら殺されてもいいって思えるから。」
「・・・。まだ、死にたいですか?」
心配してくれる彼女に、本当に何もかも話してしまいそうになる。
裏切っている事、俺にバレてるよって。 言いたい。言えないのが悲しすぎる。
「いや、違う。俺は3人のおかげで、ずっと楽しかったよ・・・この旅が永遠に続けばいいのに。」
「・・・毒魔さん、あの・・・。」
きっと慰めてくれるのだろう。
でも、そんな事をされたら泣いてしまうじゃないか。
「ま、まあ、旅が終わっても会いに行くけどな!」
「毒魔・・・さん。私・・・。」
「さあ、終わり終わり!そろそろ晩ご飯食べに行こう!」
立ち上がり、振り向かずに退出する。
枯れたはずの涙が溢れたから。
目を開ける。水の中にいるみたいに景色は歪んで、呼吸も苦しい。
「先輩・・・泣いてる。」
「あ、ああ。」
声を出そうとするも、肺が空だ。
ひっく、としゃっくりのように乱暴に空気を取り込む。
「先輩、ゆっくりですよ。吸って、吐くんです。」
「ひっ、ふぐ、はっ。」
そんな事言われても、すぐにはできない。
「よしよし、大丈夫ですよ。」
頭を撫でられる。
そういえば、これ、膝枕か。どおりで、彼女のお腹が近いわけだ。
と、気が逸れたためか、途端に楽になる。
「ふー、すぅー・・・ふぅ・・・。」
「はぁ、良かった。」
平らな胸を撫で下ろす。
また心配させてしまった。
「あ、あ、あの、その。」
感謝しなきゃ。これ以上悲しませるわけにはいかない。
「もう・・・そうやってせっかちにならないでください。私は逃げませんから。」
「あ、ありがとう。その・・・ごめん。」
「はいはい、許しませんからね。」
心底嬉しそうだ。きっと、自分より弱いモノが好きなのだろう。
それでも、俺は謝りたい。
「・・・ごめん。」
「駄目な人ですね。先輩は。」
でも、そうであって欲しいんだろう?
俺も、君に対してはそうありたい。
「うん。だから、君がいないと駄目だ。」
だから、依存してやるよ。君無しじゃ生きられないほどに。
「ふふ、わかってます。」
諦観。少女に母性を見た。
成熟せずとも、蕾を見れば花がわかる。
極端を言えば、種を見るだけで果実の味がわかる。
「いいお母さんになれるね。」
「子供、ですか。ふふ、楽しそうですね。」
つまり、努力は才能の前では無力だ。
そして、意識的行動の無力さ故に、僧侶と医師は相克するのだろう。
大事な事は常に無意識で、認識の外にある。
「頑張って、お父さんにならなきゃな。」
「頑張らなくていいですよ。どうせ私が居ますから。」
ある少女の優しさは、他者に向いていた。
いかに聖職者らしからぬ人格でも、その慈悲は確かに迷える羊達を救済していた。
それとは対照的な彼女。
弱者救済を装い、その実、常に自己を満たすためだけに他者に恩を売る。
「まったく、病的だな、華佗も。」
「え?」
「さて、ヒトガタも倒した事だし。人形師本体をやっつけに行こうか。」
「あ、はい。」
そんなエゴまみれの醜い彼女をたまらなく美しく感じてしまう俺は、言うまでも無く変態なんだろう。