第5話 諦観性ヒューリスティックス
寝不足の朝。軋む身体をよそに、立ち上がる気力に満ち溢れて。
この太陽をどれほど待ちわびただろうか。
添い寝と睡眠欲の板挟み。
このアンビバレンツな気持ちのまま過ごす夜も悪くは無かったが、いい加減疲れた。
起床する大義名分を得た俺は、ようやくそのループから逃れる事ができるのだ。
形は違えど、これも太陽信仰の一つなのだろうか。
・・・なんて、くだらない事考えてないで、起きよう。
今日はきっと良い日になるはずだ。
・・・まあ、そう思った日に限って、良からぬ事が起こるのが人生なのだが。
身体を起こしたせいで、掛け布団がめくれてしまう。 隣の華佗が寒そうに、自分を抱きしめる。
「うう・・・・んうう。」
なんか、苦しそうだな。
もしかして朝弱い系女子なのだろうか。
知能の高い人は夜型に多いらしいし、予想通りと言えば、予想通り。
クールな印象の彼女だ。気だるい「おはよう」を言うのは容易に想像がつく。
・・・と、朝から元気だな俺。
何とは言わないが、元気だ。
彼女の小さな唇を見たから、尚更。
無防備に・・・口が少し空いている。
ああ、そこから俺の肺の中の二酸化炭素を注ぎたい・・・。
近づく・・・近づく。
近い。もう息のかかる所に顔がある。
もう少し・・・。
「んん・・・うう・・・。」
俺はびくっ、と動きを硬直させた。
ま、まさか、起きてる?
バレた?
「ええい、ままよ。」
などと、現実には聞いたことの無いかけ声で緊張を緩和させようと努める。
あと数センチ・・・なんだ!
「うぅ・・・ふぅ。」
あ、あと、1センチ。
それにしても長いまつげだ・・・。
目も、寝起きで細いはずなのに、その青さが分かる程大きく・・・。
って、目が・・・開いてる?
「あ・・・おはよう、ございます。」
彼女の顔が強ばる。恐らくは恐怖で。
これは、まずい!
バッと身体を離すと、弾けんばかりの心臓のBPMをバラード並に抑えるべく、目を閉じ、深呼吸。
「先輩・・・大丈夫ですか?」
寝起きのかすれた声なのに、透明感があるのが不思議だ。
美少女はこんな所まで完璧なのか。いや、人間である以上、何かあるはずだ。
よし、観察しよう。
瞼をうっすら開き、その細い身体をのろのろと起こす。そして、手でくしくしと目を擦る。
その仕草の可愛らしさは、動物に例えるなら猫だな。
・・・駄目だ、魅力的すぎて見ていられない。
「お、おはよう。おかげさまで元気だよ。」
さいですか、と華佗は一瞥もせずに立ち上がり、部屋から出て行った。
久しぶりに一人になった気がする。
華佗と一緒は楽しいけれど、楽しすぎて疲れる。
なんというか、生き急いでしまう。
「ふぁぁあ。う、やば。」
彼女がいなくなって、とうとう俺は眠気に勝てなくなった。
ぼふっ、と倒れると、そのまま意識を枕に沈めていった。
夢なんて見るのはいつ以来なのだろう。
思い返せば、寝ても覚めても、何かに追われる日々だった。
こんな余裕が出来たのも、君のおかげかもしれない。
「毒魔さん、華佗さん。ご結婚おめでとうございます。」
僧侶が祝福する。結婚に聖職者はつきものだ。
ここは・・・教会、いや式場か?
一面白い壁で、天井が高い建物。縦長の大きな窓から光が優しく差し込む。
照らされる神秘的な・・・祭壇?のような宗教的造形物。
「まさか、私たち以外にも女がいたなんてね。」
自称勇者の呟き。少しさみしそうに。
「ふふ、そうですね。」
対照的に、嬉しそうな忍者。
なぜだ。少しは嫉妬してくれてもいいじゃないか。
「俺と、結婚したくないのか、忍者は。」
「え・・・っと。うう。」
困り顔でもごもごと。
・・・ああ、もう、じれったい!
なんてイライラするふりをしても結局、君のそういう所が可愛いと思ってしまっているんだ。
俺は忍者の左手を引き、ドアの方へ。
二人きりになるべく、空いてる方の手でノブを回し開けた。
「ちょっと出てくる。待ってて。」
言い残し、走り出す。
暗い舞台裏へ着き、向かい合う。
そして、改めて本心を告げた。
「俺は、忍者の事が・・・好きだ。それは、今でも変わらない。」
「ええ、知ってましたよ。」
彼女は表情一つ変えない。まるで、俺の全てを見透かしているように。
「知っていて・・・なんで。」
「だって、毒魔くん。華佗は幸せにならないと。」
なんで他人の心配なんかするんだ。俺はそんなの許さない。
他の誰かならならどうでもいい。ほっとく。
でも、君達がそんな態度を取ることを、俺は絶対に許さない!
「偽善だ・・・お前も華佗も、二人とも偽善者だ!」
「いいえ、それは違います。だって、私たちは・・・。」
ああ、そうか。きっとそうなんだ。
どおりで、二人とも、よく似ている。
「まるで、私たちみたいに、ね。」
子供の声。その声の方を振り向く。
闇。その中からふっと金髪の幼い少女が現れる。
長いウェーブの髪を揺らし、こちらに近づいてくる。
「誰だ?」
「久しぶりすぎて忘れちゃったみたいね。」
「止まれ・・・。」
言い得ぬ恐怖を感じた。恐れるのは、他人とは思えぬその顔だ。
「止まれないよ。どれくらい待ったと思っているの?」
「ああ、それじゃあ仕方ない。」
躊躇無く毒魔の術式に魔力を通す。子供だろうが、脅威は排除する。
正直、怖い。これが夢である、という気づきが無ければ、いつものように動揺して、情けない振る舞いを晒していたのだろう。
「ふふ・・・その術・・・きれい。」
少女は止まらない。その圧倒的な気迫に押される。
これは、まずいかもしれない。
仕方ない・・・夢とはいえ、念には念を、だな。
原則として、知られるというのは何よりのリスクであり、最も避けるべきリスクである。
が、これは例外。なにせ夢なのだから。
「諦観を・・・俺が俺である所以を・・・その身体に焼き付けてやる。」
毒魔術師・第二の能力、"諦観の毒"。
毒をいくら分析したって、その恐怖は、クオリアは誰とも共有できないのだ。
分析は近道だが、本質に至れる程その道が短い事を保証しない。
これは、その諦めの先にあるものだ。
疑い続け・・・ついには諦めた俺の、成れの果て。
そう、真実なんて、妥協の産物なのだから。
少女の魔術様式を観る。そして、臍が全ての入口である事を識る・・・狙うのはそこだけだ。
理由なんて無い。あったとしてもそれは全て後付け。
「消えてくれ、少女。不滅の毒を以て、諦観の毒魔術師がお前を殺す。」
床を蹴り、彼女の腹の穴めがけて右の手の平を穿つ。
ぼんっと、肉のぶつかる音。肘にかかる確かな衝撃。
そして、毒が注ぎ込まれる手応え。
「あっ・・・がっ!!!」
少女は立ったまま痙攣する。
見開いた目。その眼球が緑色に染まり、口から泡を吹く。
確実に殺す。必死で後ずさる少女を追いかけ、毒を注ぎ続ける。
致死量を超えても俺は毒の注入と発動を止めない。
「確かに、毒魔術が即効なんて、初見殺しにも程があるよな。」
もう聞こえていないだろうが、彼女の耳に同情の言葉をかけてやる。
ああ、そうさ。
普通の毒魔術はこんなに早く効かない。急所を突くからこその即効性だ。
だが、それだって簡単じゃない。
分析で見つけるのなら、どんな天才だろうがもっと断然に時間がかかる。
だからきっと、これは分析とは似て非なる術なのだろう。
ミクロではなく、マクロ。増減の積み重ねではなく、傾向。
個々の物質の集合ではなく、集団としての態様。
合成の誤謬を突破する、地道な分析に無常を感じた者だけが辿り着ける境地。
現実を諦めた者が得る、現実という名の真実。
「これが、本当の"諦め"だ。」
言語化できないが故に、誰とも共有できない。
根拠無き・・・孤高の真実。
「起きてください、先輩。」
ゆさゆさと震度5くらいの揺れを感じる。
薄く目を開けると、そこには愛しき青の娘。
「うう、おはよう。」
「あ、起きた・・・もうお昼ですよ。」
少し不満げな声だが、顔はちっともネガティブさを見せない。それどころか、楽しそうだ。
表情の変化に乏しい彼女の、秘められた感情。
それを理解できるのは、"諦観"のおかげなのか?
だとすれば、今までの不幸も愛していけるかもしれない、なんて思える。
・・・ありきたりな言葉だが、言わずにはいられない。
「うん。幸せだよ。」
「はぁ・・・ご飯、作ったんですけど。」
俺は心の底からにっこり笑って、勢いよく飛び起きた。
「いいお嫁さんになるよ。君は。」
食事が済み、まどろんでいると、聞いたことのある不穏な音が鳴り響いた。
どんどん、どんどん。
俺はすぐに合点した。
「くそ、劉備三兄弟か。華佗、亜人が来た。どうしよう・・・。」
「仮病で誤魔化せますか?」
俺は首を振る。
「いや、自信が無い。」
「逃げますか?」
彼女の気持ちは分かっているが、それでも不安になって確かめたくなる。
「あ・・・華佗も一緒に・・・。」
「ふふ、じゃあ、裏口から。」
ああ・・・言葉にできない。
自分の命がナンバーワンで無くなる感覚。
彼女の笑顔を守る為なら、死ねるのだろうか、俺は。
昨日の道を走る。なぜかって、華佗がその方向に走っているから。
都心から離れ、そこからさらに土を蹴り数分。
「町の門を見張られているんなら、逃げ場が無いじゃないか!」
彼女の後ろを走りながら叫ぶ。
「ですから、忘却のなんとかに逃げましょう!他の町に出られるらしいですから!」
忘却のなんとか・・・昨日言ってた洞窟か。
らしい、という曖昧な語尾に不安を覚える。が、今はそれが最良の選択なのだろう。
彼女の俊足に遅れないように、一層力強く土を蹴る。
もう住宅街に着いたし、後少しであの階段だ。
「やはり、昨日の目撃情報は正しかったようだ。」
低い声。俺たちは立ち止まり、その主を視認する。
山の入り口に・・・劉備三兄弟。
「ゴールテープは用意して無いんだ、すまないな。」
左の男・・・張飛は笑顔で軽口を叩く。
「あなたたちは、彼を捕まえるつもりですか?」
「そうです。先生、庇えば貴女を斬らなければならなくなる。どうかお下がりください。」
紳士だなあ、劉備。きっと良い奴なんだろう。
だが、彼女を傷つけさせはしない。
「華佗には指一本触れさせない・・・って!」
華佗が視界から消えた・・・いや、違う!
宙返り、だと。しかも・・・何メートル飛んでるんだ。
華佗は忍者さながらの体術を披露した。
頭が地の方を向いた時、空中で身体を縦軸回転させて、光るそれを放った。
「兄者!」
右の男、関羽の矛がはじく。金属がぶつかる鋭い音。
打ち落とされたそれが地面に刺さる。
・・・短い刃物。
俺はそれを良く知っている・・・忍者が愛用したクナイと同形のものだ。
「では、いざ尋常に!」
劉備のかけ声で、3人は各々の武器を構える。
バッ、という着地音と共に、華佗が俺の隣に。
だが顔を向けてくれない。あくまでも敵の方に集中している。
「先輩!逃げて!」
もう、なんだよ。この偽善者。むかつく。
「うるさい。勝算の無い戦いなら逃げろよ。本当に馬鹿なんだから。」
なんで気の利いた事を言えないんだ。
いつだって、好きになればなるほど、素直になれなくなる。
「先輩!あなたが死んだら私は!」
同じ気持ちだよ。馬鹿。
俺は敵の方へゆっくりと歩み出した。
「・・・その女を助ける為か。やはり、只者ではないようだ。いいだろう、先程の事は・・・。」
俺は、彼の言葉を遮る。
「悪いな、劉備。俺も部下を持つなら、お前達みたいなのが理想だよ。それだけは、本当だ。」
再び構え直す彼ら。隙の無い武人の姿。
きっと、外的損傷を防ぐためのスキルは卓越しているのだろう。
斬り合いなら、逆立ちしたって勝てそうにない。
だが、そんな能力、俺に対しては無駄だ。
真の敵は、お前達の中にあるのだから。
・・・ああ、せめて、義に厚い彼らに報いられるよう名乗ってやろう。
「不滅の毒を以て、毒魔術師がお前達を殺す。」
発動させる。全く逓減していない彼らの体内の毒を。
「がああああ!!!」
苦しみの叫びを上げ、膝を付く亜人達。
非魔術師のへっぽこ魔術抵抗力にもかかわらず、倒れ込まないその胆力は尊敬に値する。
あの愛すべき体力バカ・・・勇者ですら倒れたのに。
「さあ、今のうちに。」
呆然とする華佗に声をかける。
「あ、はい!」
奴らの脇を抜け、階段を駆け上がる。
脚の筋肉はとうに限界を超えていた。だが、ここで無理をせずにいつするんだ。
「ぜぇ・・・ぜぇ。」
夢中でかけあがる。
まだか、まだかと、きょろきょろ探す。
「ここです!」
脚を止める華佗。その視線を辿ると、小さな入り口。 やっと、着いたのか。
「ああ、入るぞ!」
迷っている暇は無い。
何より、後ろから何かが迫ってくるかもしれないという恐怖にはもう我慢ならない。
勢い良く飛び込むと、予想外に明るかった・・・目がやられた。
瞼を固く閉じてリカバリー。
・・・よし、回復。今度は目をゆっくり開けよう。
「おお・・・。」
青い鉱石の光に照らされ、妖精でも飛んでいそうな、幻想的な風景。
奥はどこまで続くのだろう。延々と青に照らされた空間が続く。
こんなに綺麗なら、デートで来たかったな。
「綺麗・・・デートで来たかったですね。」
「あ、俺も同じ事考えてた。」
「ふふ。そう考えると、楽しいですよね。」
「随分余裕じゃないか。」
と言いつつ、不思議と俺の心も余裕に満ちていた。
一人じゃない、というのはこれほどまでに素晴らしいのか。
だからこそ、不安にもなる。
華佗に見捨てられたら、今度こそ死ぬ。精神が完全に崩壊してしまう。
「ねえ、手、繋がないんですか?」
そんな不安をかき消すかのような言葉。
もちろん握るさ。俺は華佗の手を取る。
コツを掴んだのか、華佗は昨日よりもスムーズに指を絡めてきた。
「ははは。さて、行こうか。」
笑いが溢れる。
ここを抜けたら、どこに出かけよう。
今のうちにいっぱいデートプランを考えておこう。彼女を退屈させないように。
・・・はぁ、俺らしくもない。
心配すべきは魔物が潜んでいることなのに。
調子を狂わされている。大事な事を後回しにするなんて、本当にどうかしている。
もしかして彼女の影響、なのか。
だとすれば・・・俺は・・・。
そんな自分を、愛しく思う。