第3話 久しき平和の音
目が覚めてからしばらく経ち、身体の痛みが引けた頃。
「なあ、ここに俺を連れてきた人って、亜人?」
「ええ、そうですよ。町のゲートで突然倒れたからって。」
話を続け、状況を把握したかったが、腹は「ぎゅるるるる」という大きな音を鳴らした。
そうだ、昨日の晩を最後に何も食べていない。しかも、舗装されていない道を歩き、相当量のカロリーを消費したにもかかわらずだ。
町の門に到着する頃には、意識が朦朧とするほどの空腹だった。
・・・そういえば、この町の門はかなり大きかったな。恐らく、大きな町なのだろう。ああ、気になる。状況を確認しなければ、心配で心が押しつぶされそうだ。
情報は力なのだ。知るということは何よりの武器で、知らないという事は何よりも恐ろしい。
だからこそ不可知の死である毒は・・・以下略。思考が思うように巡らない。
空腹すぎる!もう無理!
・・・仕方ない、とりあえず飯を優先させよう。
身体を起こし、彼女を探す・・・やっぱり読書をしていた。
窓からの日光は燦々と部屋中を照らし、青い一輪の花が入った窓際の花瓶が長い影を作っていた。
もう昼が過ぎようとしているのだろうか。だとすれば、耐えがたい空腹に襲われるのは、何も不思議な事ではない。
邪魔したくは無いが、話しかけよう。
「あの、お医者さん?」
「はい・・・っと、なんでしょう?」
返事をすると、すぐにパタンと本を閉じ、こちらへ早足で駆け寄ってきた。
さっきの気だるい彼女からは想像できないほど軽快。
う、彼女が近い。顔をまじまじと見る。
それにしても、可愛いな。幼さの残る、整った顔立ち。十代後半かな。その小さな唇は奪ってくださいと言わんばかりにふっくらと・・・。
「・・・なんですか?」
首をかしげる彼女。青い髪が重力の方を向く。
いかんいかん。性欲よりも、まずは食欲だ。
「いや、お腹減ったなって。」
「あぁ。じゃあ、今から作りますね。」
迷い無く台所へ歩き出す彼女の背中。
医者の料理か。どんなのだろう。カエルとかモルモットじゃないとありがたいのだけれど。
彼女だけにやらせるのは心苦しい。俺も手伝おうっと。
「ぐぐっ。」
床に足をつき、立とうとする。
だが、膝からの不快な痛みが「立つな」と言わんばかりに脳に響く。
だが、負けない。手でベッドを押し、身体を支え、一気に起き上がる。やった、立てた。
ここで、ふと思い出した。人間の骨格というのは、二足歩行のせいでいろいろと無理が発生しているらしい。
なら次に痛くなるのは・・・。
「ぐ・・ふううう。」
こ、腰が!呻きながら、痛みが過ぎ去るのを待つ。 左手で必死に背中をさする。気のせいかもしれないが、多少マシになった、気がするような、そうでないような。
ともかく、立てたぜ。
俺は意気揚々と彼女の隣へ向かう。可愛い可愛いお医者様と初めての共同作業だ。
「先生、俺も手伝うぞ・・・って。」
目を疑った。彼女の動きは、職人のそれだった。
特に包丁さばきが常軌を逸している。皮に包まれた果実から、瞬時に可食部分を切り出し、あっという間にボウルに山が出来る。
「先生・・・?」
呟きながら、包丁を置き、こちらを向いた。
「あ、私は華佗って呼ばれてます。」
突然自己紹介された。
ん?華佗・・・だって。
劉備三兄弟と同じく、三国志にその名を残す名医だ。
「華佗、ちゃん?」
「呼び捨てで良いですよ。あなたは?」
常識的に考えると、本名ではなく通り名を聞いているのだろう。もう慣れすぎてしまって、この常識はすっかり内面化されている。
「毒魔術師だから、毒魔って呼ばれている。」
「じゃあ・・・毒魔くん?」
やめろ。
やめてくれ!
その囁くような声・・・その声だ。
その声で・・・その呼び方はやめろ。
彼女の顔が、忍者に見えて仕方がない。
いや、それ以外の何者でもない。頭では真実を解っていても、五感が狂っている。
この幻覚は、抗おうとする度に、彼女をより意識してしまう蟻地獄。
結果、悪循環の速度は限界知らずに上昇していき、幻覚は、実態と寸分変わらない偶像となる。
・・・ああ、またフラッシュバックだ。
「毒魔くん、起きて。」
身体が揺さぶられる。やる気の無い声と、震度5レベルの強い揺れ。
これに限らず、彼女は言葉よりも行動を好む。悪く言えば言葉足らずのきらいがある。
「ああ、ううん。あと3時間・・・。」
薄目で彼女を見て、怒っていない事を確認。よし、あともう少し寝られるな。忍者は押しに弱いし。
「じゃあ、キス、しますよ。」
「・・・えっ!」
思わず目を見開いてしまう。
くすくすと口を手で隠し、堪え笑いをする彼女が視界いっぱいに。
彼女の顔が近い!心臓が発作を起こしそうになる。
「っ!馬鹿!」
横を向き、手で顔を覆う。照れ隠しだ。
「ふふ、寝坊です。」
「・・・、今何時?」
指の隙間から見る彼女はとても楽しそうで、年相応の少女のようだった。
少なくとも、冷酷な暗殺者には見えない。
「お昼ですよー。ご飯行きましょう。」
普段の彼女は、俺を超える人見知りだ。
こんなふうに砕けた言い回しをするのは二人きりの時だけの特別だ。
だから、魔王討伐隊時代は、こういう彼女を目にする事がほとんど無かった。常に4人一緒だったからな。
ああ、つまり、これは暗殺家業時代の記憶なんだ。
なんでもない、束の間の優しい記憶。
外に出ると、暖かい陽光と、少し冷たい風が出迎えた。
ここ、王都パールスも、長い冬を超え、とうとう春を迎えようとしていた。
並木道は開花した桜の花びらが散らばっていて、風情があった。欲を言えば、もう少し人口密度が低ければいいのだが。
道行く都会の平民達は笑顔に溢れ、魔術文明の恵みを、何の疑問も持たずに享受していた。
それが魔術師に独占されており、残酷な程の格差を生じさせているにも関わらず、だ。
当然か。なぜなら、産まれたときから魔術が身近にあるのだ。
俺たちだって、構造も知らないのにコンセントからの電気で家電製品を動かし、便利な暮らしをしている。
つまり、人類共通の長所とも言えるのだろうな、これは。
一度「存在する・便利」という妄想を完成させたら、不信感を抱かずに使う事ができる。宗教だって、社会ですら、その構造に相違は無い。
「ねえ、あれ。」
右隣に歩く彼女が指さした先、白い建物。視力の良すぎる彼女には、何の店か見えているのだろう。
さっきから腹も鳴っているし、あれでいいか。
「新しくできたみたいだな。行ってみよう。」
やはりこの町は都会だ。現代の資本主義社会並に、ハイペースで出店され、そして立ち退いていく。
この白い建物、カフェも、元は雑貨屋だったはずだ。当時、外壁は黒かった気がするが・・・きっと塗り替えたのだろう。
ちりんちりん。店に入るとドアの鈴が鳴った。
内装は、外の印象と違い、ブラウンの壁で落ち着いている。
「俺好みだな。」
「ありがとう。ゆっくりしていって。」
呟いたはずが、会話になってしまった。
店長だと思われる、お洒落な柄の、黒いローブの女性が俺たちを出迎えた。
「それで、最近どう?」
席に座るやいなや、俺は忍者に話しかけた。
「王都はなんだか物騒です。魔王の破壊活動が活発化していて。」
「ふうん。しかし、魔王は何が目的でそんなことしてるんだ?」
「え?」
きょとんとされてしまった。そんなに変な質問だったのか?
「なぜ・・・ですか。考えた事も無かったです。」
この国の誰もが魔王を憎む。なのに誰も憎しみの真の理由を言わない。
「私の身内が被害にあった」のような、手段の暴力性を非難する声はあれど、謎に包まれた目的を、隠された彼らの主張を批判するものは誰もいない。
つまり、それくらい魔王が悪であると宣伝している奴らがいるという事か?
だとすれば、なぜ魔王が悪でなければならなかったのか。
妄想は尽きない。
「そうか、じゃあ、防ぎようがないな。ああ、怖い。」
などと、情けない事を口走っていると、いつの間にか側に立っていた店長が、盆からコーヒーとガレットを取り、テーブルに置いた。
「確かにね。奴ら、最近は飲食店も襲ってるって噂あるしね。早く奴らの根城を潰せばいいのに。国は何してるんだか。」
店長の言うことはごもっともだ。
だが、その手法では解決しない。
なぜなら、国が奴らの根城を潰そうが、その残党が破壊活動を続けるだろうからだ。
「むしろ、潰さずに降伏させなければ。魔王軍を解散させてしまったら、組織では無くなってしまう。交渉できない、ただの暴徒と化すだろう。そうなったら、もう全員殺すまで終わらなくなる。」
「そういうもんかねぇ・・・でも、お客さんも魔術師なんだし、いずれは嫌でも魔王討伐隊に選ばれるかもね。」
なぜ魔術師とわかったのだろう。身なりが良いからか?「魔王討伐隊に選ばれる」なんて、よっぽど俺たちが優秀に見えているらしい。
この世界の常識では、魔王討伐隊に選ばれるのは名誉な事だ。もし選出されれば、宇宙飛行士とまではいかないものの、国際機関の職員ぐらいの権威を持てる。
「不吉な事言うなよマスター。さて、いただきます。」
忍者の方は、とっくに食べ始めていた。食うスピードは俺の方が早いので、これくらいのハンデでちょうどいい。
ナイフとフォークを踊らせる。塩気が効いたもちもちの生地を夢中で貪り、シロップで優しい味になったコーヒーで締める。起き上がり小法師のように、その作業を何度も繰り返す。
つまりこれは、甘しょっぱいと苦甘いの罪深きデブスパイラル。皿とカップが空になるまで抜け出せない蟻地獄。
ああ・・・呼吸すら忘れてしまいそうになる。
「毒魔くん、コーヒーおかわり。」
小声で命令される。
頼られて悪い気はしない。病的に人見知りの彼女を、むしろかわいらしく感じる。
厨房の店主へ振り向き、一言。
「マスター、コーヒーもう一杯。」
返事代わりに手を上げて合図した店主は、手際よくゴリゴリと豆をミルし始めた。
これが、かけがえのない日常。この世界に来て、最初に守りたいと思ったモノ。
まさかこの後、本当に国から辞令が下されるとはな。
「・・・くん。毒魔くん。」
身体を前後に揺さぶられる。どうやら俺は立ち尽くしていたようだ。
「あ、ああ。先生・・・じゃなくて華佗。」
彼女の表情は、変化に乏しいながらも、少し眉が下がっていた。俺を心配してくれたのだろうか。
「あ、大丈夫ですか?」
「うん。でも、毒魔くん、ってのはやめて。」
あまりにも忍者すぎる。
「いいですけど、じゃあなんて呼びます?」
そうだな、欲を言えばご主人様、お兄ちゃん・・・だがそれを言い出すのはきつい。
「うーん、先輩で。」
「せん、ぱい?」
初めて言った言葉のようにぎこちない。
この世界では珍しいのか?まあ、部活なんて無いだろうし、想像に難くない。
「多分、俺の方が年上だから。」
「ああ、なるほど。じゃあ、先輩。」
ようやく自己紹介を終えた。
「ぐううう」と再び腹が鳴く。
期待して台所を見ると、料理はまだ未完成だった・・・俺が眠っている間、手を止めていたのか。
まさか俺を心配して、なのか。優しいな。
おかげさまで、抉られた精神はそれほど痛まなかった。
彼女の優しさで、傷に軟膏が塗られたかのように和らいで。
料理の腕前を知ってしまった以上、軽々しく手伝うなんて言えなくなった俺は、ダイニングのイスに腰をかけた。
珍しい造りの建物だ。台所から扉を隔ててダイニングがあるなんて。おかげで、調理している姿は見えず、音だけが響く。しばらく耳を澄ませていると、今度は小麦粉の焼ける匂いもしてきた。
・・・早く食わせろと叫びたくなる。
「お待たせしました。」
背中で扉を押し、入ってくる華佗。
手には二つのお盆。器用だな。
テーブルに置かれた皿。そこにはふっくらとしたパンケーキ、フルーツが山盛り。
じゅるり。
「ん?食べないんですか?」
持病の心配性を抱えた俺は、彼女のその言葉を待っていた。
作って貰った以上、許可無く食べ始めるなどという粗相はできないしな。
「いただきます!」
「す」を言い終わるや否や、ナイフとフォークで一口サイズを作り、口に放り込む。
「んぐ!?」
大きなリアクションをしてしまった。
これは・・・ただのパンケーキじゃない!
「中身が・・・とろとろしてやがる!まさか・・・これは!」
「半熟です。」
どやっと、したり顔をされる。かわいい。
「君は・・・何者なんだ?」
「ある時は名医、ある時はアーティスト・・・その真の姿は、究極のシェフ!」
立ち上がり、決めポーズをとる美少女。
ノリが良いな、この子。薄幸な外見とは正反対だ。
「お、おう。」
空気を読んで拍手する。
「ふふ、じゃあ私も食べます。」
いきなり落ち着いて、席に座った。
スイッチの切り替え早いな。天才ってやっぱりどこか変なのか。
うん、彼女は多分いい人だ。そして、俺に好意を抱いている可能性すらある。
・・・だが、俺はそれでも信用できない。どんなに善人でも、魔王の手先の可能性があるんだし。
そうだ、絶対に信用なんかしない・・・どんなに俺が愛しても、どうせ最後には裏切るんだから。
だから、俺の事情なんか話さず、こいつの情報だけを抜き出してやろう。
「なあ、華佗は魔王軍なのか?」
「ふえ?違いますよ。魔王軍の先輩ならわかりますよね?」
「いや、実は俺は魔王軍じゃなくて、ただ誘拐されただけと言うか・・・はっ!」
なんで事情を説明しているんだ俺は!馬鹿かよ!
「え?ああ・・・じゃあ、仮病に協力してあげましょうか?」
な、なんだ。なんでこんなに理解が早い。
要は、魔王軍の手から逃れたいという事情と、逃げ道を探す為の時間稼ぎに仮病が必須、という事情を一瞬で察知したのだ。
こんなに賢い人間には会ったことがない。転生の前後関係なく、本当に、知っている人類の中で一番賢いのではないか?
「うぐ・・・お願い。あと、家もないからここに住ませて・・・仮病も捗るし。」
もう、駄目だ。何を言っても見透かされてしまう。
観念して素直に心の底を吐き出した。
「はい、協力してあげます。」
物わかりが良すぎる。
そして、その献身的な姿に、少しイラッとした。
だから、こんなことを聞いてしまった。
「見返りに何が欲しい?」
「え?いえ、別に。」
「別にってなんだよ。他人を幸せにしたなら、その分の対価は貰うべきだろ。」
「好きな人たちに喜んで貰えるのが、私の幸せですから。」
表情一つ変えず、当然のように言い放つ。毅然と、薄い胸を張って。
「ば、馬鹿・・・好きとか、軽々しく言うなよ。」
指を指し、抗議する。
それに対し、彼女は手を否定の方向に往復させる。
「いえ、違います。本心ですよ。」
「う、うるさいな。もう。」
目が潤んできた。こいつ、どこまで俺を追い詰める気だ。
「先輩は、いろいろ大変ですね。」
「誰のせいだよ。はぁ、調子狂うなぁ。」
強敵だ。この子の屈託無い好意は、傷心の俺にとって凶器でしかない。
ああ、また信じてしまいそうになる。もう二度と、誰の事も信用できないと思っていたのに・・・矛盾だらけで醜いな、俺。