第2話 神医、毒魔にとっての少女
亜人と共に歩く夜明け前の道。
口を開いたのは、予想に反して亜人の方からだった。
前を歩く彼らは、脚を止め、こちらに振り返った。
「おほん、それでは、名を名乗りたいと思うが、よろしいか?毒魔殿。」
俺は絶句した。なぜなら、この世界において、本名を聞くことは失礼にあたるからだ。
自分から名乗るのも忌避される。このタブーのニュアンスは「下品」に近いだろう。
だから、魔王討伐隊も、互いに職業名で呼び合っていた。
あんなに心を許し合っていたのに、俺は3人の本名を知らない。
「あ、いいんですか?名乗っても?」
真ん中の亜人は大きく頷いた。
「ええ、もちろんです。名を名乗ってはいけない?そんな事はありません。そもそも、魔術師連中が勝手に始めた悪しき習慣ではないですか。」
そうだったのか。この世界においてやけに魔術師が権威を握っていると思ったが、これも彼らの仕業だったとは予想外だ。
そして、重要なのは、この亜人達は魔術師を目の敵にしている可能性が高いということだ。もしかしたら、魔王軍全体がそうなのかもしれない。
「私は劉備と申します。右が関羽で。」
三国志かよ。日本で大人気の中国史。その主人公に選ばれがちな劉備三兄弟の名は、世に知れ渡っており、当然俺も知っている。
「左が張飛?」
今度は亜人が絶句した。
「やはり、魔王様の言うとおり、あなたはただ者ではない。」
これが、異世界で無双ってやつか。三国志だけに。
などと、くだらない事を考えている場合では無い。
俺は咳払いをし、仕切り直す。よし、情報収集開始だ。
「魔王様、って何者なんですか」
「言葉で表現するには、あまりにも深すぎるお方です。実際に会われた方が良いかと。」
「では、なぜ俺に目を付けた?」
「魔王様の深遠な思考を、我々が関知できるはずもありません。」
駄目だ。掴み所が無い。まあ、こんな忠臣っぽい奴が情報を漏らすなどありえないだろうしな。
想定の範囲内。これから突き崩してやるぜ。
と、意気込んだものの、彼らのガードは6階級制覇したボクサーよりも堅かった。言葉のキレは衰えていき、とうとう俺は口を閉ざさざるを得なくなった。
それからは、無言で歩き、緑の草原を突破すると、今度は道なりに町を目指した。特に何のハプニングも無く、ひたすらに変わらぬ景色が変わることを願い、脚を動かす。
・・・気がつくと、日が昇りきっていた。
結局あれから、生来のコミュ障を遺憾なく発揮した俺は、新たな質問も思いつかず、町の入り口へとたどり着いた。
「深夜からお疲れ様でした。ゆっくりお休みください。ここには魔王軍の手の者がたくさんおりますゆえ、何かございましたらなんなりと。」
「劉備殿、お疲れ様です!」
びしっと敬礼する門番。亜人ではない、普通の男だ。
ん?これは・・・まずいのでは。
門番が、奴らの仲間。それは、この町が魔王軍のアジトであるという事を意味しているのでは?
そうでないにしても、町の至る所に魔王の配下が潜んでいる事は想像に難くない。
だとしたら、まずい。
ごくりと唾を飲み込む。
この劉備三兄弟は、野蛮な魔王軍の中で、きっと幹部クラスのはずだ。礼儀正しく、言葉も流暢だから、きっと、いや、絶対そうだ。
俺の移送などという細かい仕事は部下に任せるはず。
「毒魔殿、どうかされましたか?」
だとしたら、再びリスクを犯して毒魔術を行使しなければならない、ということか?
一度成功したからといって、二度目も?こいつらの部下が、どんな奴らかも知らないのに?
無理だ!何の情報も無いのに、そんな希望を持てるものか!
「毒魔、殿?」
絶対に駄目だ。そんな綱渡りは、俺の心が持たない。 だからといって、町に入らないという選択肢は無い。
・・・詰み、なのか?俺には、もう・・・。
いや、違う!考えろ!恐怖から逃れる為に、ただそれだけの為に人生を費やしてきた俺だ。
何か・・・何か思いつくはずだ!
「ああ、大丈夫。」
不審がっていた亜人を安心させる為の一言。
だが、それがキーだったんだ。
安心。俺は誰のおかげで、安心できていたのか。
そうだ、俺が持っているのは、忍者から貰ったものだけだ。
即ち、隠密と毒。師の彼女を驚かせた奇跡の魔術。
だから、考えて良いのは、誰を毒殺すべきか、ただそれだけなんだ。
そうと決まれば、迷う必要など無い。いつもと同じく、俺の戦い方をするだけだ。
隠密魔術、次いで毒魔術の術式を描く。魔力が身体中を巡り、ただ殺す為だけの物質を作り出す。
俺が殺すのは、もちろん・・・。
「毒魔殿!」
発動と共に、意識が遠のく。身体が泥のように沈みゆく。
自分の才能を、やっと実感できた。
ああ・・・誰の、どんな毒魔術よりも、死を感じる。
こんなの、チートじゃないか。ああ、くそ。とてもじゃないが、解毒術など使えそうにない。
そもそも、魔術を発動するなど不可能に決まっている。なんといっても、絶望的すぎるんだ。圧倒的な死に身体が侵される感覚が、あらゆる論理や感情を奪い去っていく。
まずい・・・死んだふりをして逃れる計画が・・・本当に死んでしまう!
残響・・・残響。亜人の声は曇っていき、最後にはただの振動としか感じなくなった。
視界など、とうに闇だ。苦しみよりも五感の喪失感が強い。それが何よりも怖かった。
だが、死は救いでもあるんだ。だって、俺は孤独じゃなくなるんだから。
勇者は・・・きっと怒るのだろう。来るのが早すぎるって。
僧侶は・・・不謹慎にも俺の死因を面白がるのだろう。
忍者は・・・普通に再会を喜びそうだな。意外と寂しがり屋だし。
ともかく、俺の人生は、彼女達と共に生きたい人生だったと総括できる。
なので、どうか神様、願わくば、死後の世界を3人の少女と永遠に過ごせますように。
目を開ける。白い天井にぼんやりとした脳内から察するに、俺は入院しているのだろう。
再び転生したのか、元の世界に戻ったのか、それとも、まだ生きているのか、判断が付かない。
もう少し、情報が無ければ。
「あ、ああ。」
声が出ない。喉が焼けるように痛い。
痛みでやっと思い出してきた。俺は自らの毒に殺されたんだ。いや、殺され"そう"になったんだ。
もし、死んだのならば、こんなに全身が痛いはずがない。つまり、俺は生きている。
と、いうことは、魔王軍から逃れるというミッションは続いているのか。難儀だな。
そうなると、起きなきゃいけないな。
首を気合いで据わらせ、軋む胴体を起こすと、青い髪の小さな背中が、流しで手を洗っているのが見えた。
「あ、ああ・・・あの。」
声が思うように出ない。カラオケで何日徹夜すればこの状態になるのだろう。
ともかく、俺の呻きに振り向いた背中の正体は少女で、なんというか、言葉を失うほど美しかった。
「あ、起きてたんですか。」
彼女は、雑に手をぱっぱと振り水滴を撒き散らしながら、こちらへと歩いてきた。
俺の足先まで来ると、左の窓から射す日光により、その美しさがさらに際だった。
その白い肌は、妖精というよりは、幽霊。ベッドの木製の縁に両手をかけると、髪と同じ色の瞳で、じっと俺を見つめた。
「体調、どうです?」
声小さいな。どこぞの忍者のようなウィスパーボイス。
「君は、医者か?おかげさまで、かろうじて生きているよ。全身痛いけど。」
「それはよかった。じゃあ・・・。」
このまま退院か?それはいかん。魔王軍に引き渡されてしまう。
・・・いつもの、やるか。
「いて、いてて。ちょっと無理そうだ。もう少し入院させてくれないか?」
「え?ああ・・・いいですけど、仮病は私には治せませんよ。」
「なっ・・・!」
驚いた。俺の演技を完璧に見抜くとは。
思わず「女の勘は鋭い」という世迷い言を信じてしまいそうになる。
「ふぅ・・・。」
気だるそうに彼女は、窓の方に歩き出したので、その様子を目で追いかける。
そして、窓際の机の引き出しから本を取り出すと、イスに座り、読み出した。
「本、好きなのか?」
「ん・・・そんなには。」
好きじゃないんかい、と突っ込みを入れたい所だが、初対面の相手にそんな事ができるほどの勇気は無い。
「俺は好きだ。君は、何が好き?」
「趣味・・・ですか?絵を描いたり、踊ったり、歌ったり・・・そんなこと聞いてどうするんですか?」
読書の邪魔と言わんばかりだな。だが俺は負けないぞ。空気を読めない分、読まない力には自信がある。
「命の恩人で、こんなに可愛い女の子だからだよ。」
「えぇ・・・。」
引かれている・・・これは、口を噤むべきか。
と、身の振り方に考えを巡らせていたのだが、それはすぐに遮断された。
扉がバンッ!と強く開け放たれる。
木の扉で、立て付けが悪いとしても、この勢いは誰かの怒りだと考える方が自然だろう。
「なんで助けられなかったんだよ!この藪医者!」
突然押し入った、泥臭い身なりから察するに平民であろう青年が叫び、荒い足音を立てながら少女へと近づこうとする。
・・・ああ、彼は遺族か。俺の毒をも治療する名医でも、助けられない命があったんだな。
「おい、待て。俺の魔術で死にたくなければな。」
彼女は命の恩人。で、あるならば、手足が動かない位で観察者に徹するなんて、ありえない。
男は足を止め、こちらを見た。
「おまえ・・・魔術師か。」
隠密魔術を介さずに毒の術式を描く。
もちろん、威嚇の為だ。こちらに戦う術が無い以上、できることはそれだけ。
「今すぐ出て行くがいい。死体を片付けるのは面倒だ。」
「・・・っ、俺は・・・。」
彼は肩を落とす。
きっと、怒りが、魔術師に対する恐怖に負けたのだろう。
それは、この世界では仕方の無い事だ。
非魔術師は、あらゆる意味で、魔術師に劣った存在と見なされる社会において、彼の振る舞いは、臆病とは言い切れない。むしろ、常識的、知的な平民だ。身の程をわきまえている。
彼の葛藤のせいで、無駄な時間をとられていると、たったった、とすごい早さでもう一人入ってきた。
白髪、やつれてしわだらけの顔。恐らくは彼の母と思われる老女が「やめなさい」と彼の身体に飛びつき、必死の制止をした。
男は、母の悲壮な顔に負けたのか、舌打ちをして帰って行き、事なきを得た。
「毒・・・魔術。」
彼女は、恐怖からか、呆然としていた。かと思えば、今度は扉の方へ歩いていった。
しかし、まったく、なんて恩知らずな奴らだ。こんな名医を行き場の無い感情のはけ口にするなんて。 気持ちはわからないでも無いが。
彼女は、開け放たれた扉を静かに閉めた。
「大丈夫か?」
彼女は振り向くと、先ほどと寸分違わない、日常的な表情のままだった。彼女の日常など知らないが。
「ええ、まあ、良くある事ですし。」
本当に何でも無かったかのように、すたすたと近づいてくる。
「あ、さては治療費が高いんだろ?」
現代の医者でさえ、治療できない病は山ほどあるのに。
まして後進的な異世界の医療なんて、そもそも、あんなに怒る程の信頼を、人々は持っていないはずだ。
では、なぜ彼は怒り狂ったのか。まあ、金だろうな、とすぐに察しが付いた。
だが、そんな予想を、彼女はさも当たり前のように超えた。
「いえ、寄付で生活しているので、治療は無料ですよ。」
「なっ・・・んだと。」
二度目の絶句。それと同時に、強い感情が湧いた。
無料で、文句まで言われて、平然としてるなんて、許せるわけがない。
俺は、命を助けてもらった以上、俺は彼女の幸福を願わずにはいられないんだ。
だから、問わねばならない、そして導いてやれねば。
「君は、なぜ無償で人を助けるんだ?」
なぜそんな自明な事を聞くのかとでも言いたげに口をぽかんと開け、「えっ」という無意識の声を漏らした。
「それは、助ける事には嘘が無いからです。」
嘘が無い、だって?てっきり、良いとか、悪いの尺度で反論して来るかと思った。
「いや、偽善という言葉があるだろう。君のそれは、違うのか?」
彼女の表情は特に変化しなかった。だというのに、この気迫。青い目から発される光の強さ。その色は、彼女の正当性を証明するかのように輝いた。
「それは・・・そうかもしれません。でも、」
「だったら、」
彼女は、話を遮った俺を、さらに言葉で遮った。そして、先ほどよりも強い語気で話し始めた。
「でも、でも!救われた人の感謝は本当で、感謝された後、私は生きてて良い人間だって思えるのも、嘘じゃない、です。」
今思えば、ここから俺は彼女に対して必死になったのだろう。
理由は単純。母への罪悪感が蘇ったからだ。あまりにも、彼女のあり方は、俺の母に似ている。
だから、不幸にさせてなるものか。二度と、こんな善人を不幸にさせるわけにはいかないんだ。
「そうかもしれないね。だけど、世の中生きてて良い人間なんて殆どいないだろう。みんな無価値なのに、それでも生きている。君だけ、なぜそれではいけないんだ?」
冷静に話したつもりだが、声が震えていた。この振動は、恐れではなく、怒りだ。
「私は、傲慢?」
「ああ。それに、きっと不幸になる。」
「どうして?」
「ここじゃない世界に、君に似た馬鹿な女がいたんだ。」
母の笑顔が心に焼き付いている。俺が生きているだけで幸せだと言った彼女に、俺は何の報いも与えてやれなかった。
「女は、献身的に息子を支えたが、その息子は結局、勝手に死んでいった。そっくりだよ。無償の愛を振りまく、報われない善人。」
「あ、それって、」
彼女は何か呟いた。だが、俺は話しきるまで止まるつもりなどない。
「だが、君はそいつ以上に馬鹿だ。なぜなら、不特定多数を助けているからだ。君は、身内と知らない人、どちらが大切だ?」
「そんなのは・・・どっちも大事に決まってる。」
俺は彼女を救うんだ。たとえ嫌われても。
だから、冷静なのは口調だけでいい。心は燃やし続けろ。
「医者という、人の命を助けるという、社会に正当とされている手段だから、疑問に思う必要が無かったのだろうな。だが、どちらか選ばなければならないとしたら、君はどちらを助ける?いや、言い換えよう、どちらを"殺す"のだ?」
古典的な正義に関する問いを投げる。二つの価値を天秤にかけて、自らのバイアスを明らかにする事で、自己理解を深めさせる。
「それは・・・身内を助けるかもしれない。でも・・・。」
とうとう認めた・・・やった!勝ったぞ!
俺は命の恩人を不幸な運命から助けたんだ。母のような不幸な善き人を、今度は救えたんだ!
後はショックドクトリンよろしく、焼け野原になった彼女の価値観に自由をインストールするだけだ。
「だったら、君のやっている事は間違いだ。女として、気ままに生きろ。容姿も美しく、献身的な性格の君は、一人の男を幸せにするには十分すぎる資質を持っている。」
「そんなの、あなたが私の事を好きなだけでしょ。」
あまりにも予想外なその言葉に、俺は絶句した。
心配性で、準備を欠かさない俺の敗因は、いつだって予想外のものだ。
・・・何度経験しても、慣れないな。
この、ジェットコースターに乗っていたら、いつのまにか安全装置が外れていたときのような、尻から感じる不快な浮遊感。
「な、なんて?」
顔が熱くなる。視線が震える。間違いなく、俺は赤面しているのだろう。
恥ずかしくなって思わず目をそらしてしまう。
くそ、彼女の顔が見れない。
「それくらい、わかってますよ。めんどくさい人ですね。好きな人にお説教なんて・・・どれだけ不器用なんですか。」
確かに、彼女は魅力的だ。だが、それは客観的に見て、美人で徳が高いからだ。そうに違いない。
「いや、きっとこの町のみんなも、君を好いているはず。それと同じ・・・だと思う。」
恋心を悟られないよう、とっさに否定した。
「でも、君には嘘が無い。残酷すぎます。」
優しい声で非難される。思わず視線を彼女に向けてしまった。
口角が少し上がり、微笑む彼女。感情の液体が頬を伝っていた。
その表情は俺のせい・・・いや、俺のおかげ、なのか。
「ご、ごめん。初対面で言うことじゃなかったね。助けてもらっておいて、医者やめろなんて、俺はなんて非常識なんだ。」
「ふふ、そうですね。」
涙袋が引き上がり、幸せそうな表情。
もちろん、彼女のその輝きから、決して視線を外せなくなった。
仕方ないだろう。圧倒的美を前にして、どう意識を逸らせば良いというのだ。
君の為ならなんでもできる、なんて言ってしまいたくなる。
一つ確かなのは、これは恋だという直観だ。
彼女の為に命をかけてしまうかもしれない自分に、狂気を感じざるを得ない。
「恋は盲目」とは良く言ったものだ。