07・女王の力
不満気な4人を引き連れたまま、階段を下りて行くと、前方に灯りが見えて来た。
近付くにつれ、ザワザワと騒めきも聞こえて来る。
「先にボクの部屋に行く…?それとも、街を案内しようか…?えっと、リ、リセ…」
顔を赤くしながら、照れくさそうに理世の名前を呼ぶ大男に再びキュンとする。
(可愛い!キュルみたい!)
理世は祖父の家で飼われている”アイリッシュウルフハウンド”と言う世界最大の大型犬を思い出す。
”アレキサンダー”と言う仰々しい名前が付いているのだが、初めて祖父の家に行った時に”キュルキュル”と鼻を鳴らしながら緊張に震える理世の顔をペロリと舐めてくれた。
それから理世はこっそり”キュル”と呼んでいたのだが、その内”キュル”と言う呼び名にしか反応しなくなり、祖父が苦笑いしていたのを覚えている。
(キュル、元気にしてるかな。別荘にも連れて来てやれば良かった)
抱き上げられたまま、理世は何となしに手を伸ばし、フォイアーの髪をくしゃりと撫でる。
フォイアーはビクリと身体を震わせ「な…何…?」と狼狽える。前髪越しに、大きく目を見開いたのが見えた。
理世はそれには答えず「街を見てみたいです」とニッコリと微笑んだ。
「う、うん…分かった…」
ますます顔を赤くしながら頷くフォイアーをじっと見つめながら(何処をどう通れば上手く逃げ出せるのかよく見ておかないと)と冷静に考える。
それには、自分の足で歩いて行くのが一番なんだけど。理世はフォイアーの顔を見上げる。
「あの、フォイアーさん。降ろしていただけませんか?」
「どうして…?ボクに抱っこされるの、嫌…?」
「いえ、そうではなくてですね」
途端に悲し気な表情になる大男に、キュルを叱った時の項垂れた様子が重なる。
「…とにかく、降ろして下さい」
少しキツめに言うと、大男は渋々理世を降ろしてくれた。
グスン、と鼻を啜る気配に、え、と顔を上げた理世は酷く慌てる。
(な、何も泣かなくても…!)
「えっと、あの、せっかくなのでこうやって行きましょ?」
理世はグスグスと泣くフォイアーの手を握り、引っ張って歩き出した。
「あ…リセ…」
「私と手を繋ぐの、嫌ですか?」
首を傾げながら上目遣いで大男を見上げる。
「っ!ううん…!嫌じゃ…ない…う、嬉しい…」
一気に嬉しそうになるフォイアーの後ろに、バタバタと振られる尻尾が見える気がした。
◇
カイザーはギリギリと奥歯を噛み締めながら、手を繋いで歩く理世とフォイアーの後ろ姿を眺める。
強い絆が確かにある筈の仲間に対して、ここまでの殺意を覚える事になるとは思わなかった。
最初に見つけたのもキスをしたのも、抱き締めたのも全部自分が先だったのに。
今回の様に触角や硬皮を持たない女王は初めて見たが、ここまで心を奪われるとは思ってもいなかった。
子供の頃に何度か見かけた”元女王”も全て見た目は自分達と同じ。
そして前女王の夫選び。この時、適齢期の”羽付き”は自分とクーゲル、シュバルツと他数名だった。
アルメーとフォイアーはまだ未成熟で候補には入っていない。
前女王は、透明度の高い羽にキラキラと輝く艶のある黒髪、華奢な触角に大きな瞳を持ち、とても美しかった。雄の本能で当然女王には心惹かれたが、そこまで熱心にアプローチをしてはいなかった様に思う。
結局、その女王は自分達以外の雄を3人程選び出し、次々と子を産んだが”産み終わり”がかなり早く、今は離宮で夫達と共に穏やかに暮らしている。
――選ばれなかったあの時は「あぁそうか」程度の感覚しか抱かなかった。
ただ、今は違う。
灼け付く様な嫉妬心、身体が未成熟な女王を組み敷けない苛立ちと欲望、選ばれなかったらと思う焦り。
チラ、と仲間達を見ると、皆同じような表情をしていた。
溜息をはきながら視線を前に戻すと、何やらフォイアーに一生懸命話掛けている女王の姿が目に入る。フォイアーは長身をギリギリまで屈めながらその話に耳を傾け、時折笑みを浮かべていた。
カイザーは頭痛がする程の怒りに耐え切れなくなり、再び視線を下に向けた。
「あ―っ!」
暫く悶々としながら歩いていると、急に悲鳴の様なアルメーの叫び声がした。
横から乱暴な舌打ちが聞こえた所で、カイザーは弾かれた様に顔を上げ前方を見る。
手を繋いでいたフォイアーがいきなり立ち止まり、理世を抱き上げて横の路地にスイッと入って行った。
「おい!」
慌てて後を追う面々が目にしたのは、理世を壁に押し付け、長身を折り曲げて覆い被さり、その唇に貪る様に口づけているフォイアーの姿。
背中が反る位に強く抱き締められ、くぐもった悲鳴をあげる理世は余りの激しさに気を失いかけていた。
「ぎゃー!何してんのフォイアー!」
「離しなさい!女王が苦しがってるでしょう!」
「ちょっ!止めろカイザー!こいつのパワー抑えられるのお前しか…!」
――カイザーは無言で、騒ぐ仲間達を押し退け、軍服のコートを跳ね上げると腰から愛銃を取り出す。
それを躊躇いもせずにフォイアーに向け、連続で3発、引き金を引いた。
「ぐっ…!」
寸での所で気付いたフォイアーは、瞬時に背中の皮膚を硬化させ、理世を守りながら身体を反転させる。
しかし、螺旋状に仕上げてある特製の弾丸は背の肉を硬い皮膚ごと抉り取って行った。
カイザーは足音荒く近寄り、苦し気に呻くフォイアーの腕から理世を奪い返す。
理世は驚きと酸欠でぼんやりとしていたが、徐々に意識を回復させると同時に、目の前の惨状に悲鳴を上げた。
「や、やだ、どうして!?」
「…シュバルツ、アルメー。フォイアーを病院に連れて行ってやれ。リセ、お前はオレと来い」
背中から大量の血を流し、苦痛の声を漏らすフォイアーの両脇を、呆れた顔のシュバルツとアルメーが支えてやる。
「ったくお前、何急に盛ってんだよ!」
「まぁまぁ。フォイアーは女の子慣れしてないからねー。女王の魅力にやられちゃったんだろうねー」
クーゲルは「大丈夫ですか?」と優しく理世に声をかけ、カイザーは不機嫌そうに理世の手を握ると引き摺る様にして歩き出す。
「あ、待って、待って下さい!私も、病院に付き添いますから…!」
「放っておけ。もう帰るぞ」
「っ!!」
グイグイと歩くカイザーが急に足を止める。「きゃ…!」理世はカイザーの背中に思い切り鼻をぶつけてしまった。
「もう、何…!」
「クーゲル!!」
カイザーが叫ぶと同時に、クーゲルが素早く理世を抱えて空に飛んだ。
◇
「…え…せ…!リセを…返せよカイザーッ!!」
シュバルツとアルメーを振り払ったフォイアーが右手を目の前に掲げる。
青い炎に包まれたその手を横薙ぎに振ると、炎の軌跡に沿って巨大なガトリングガンが姿を現した。
「うっわ、キレちゃってるよコイツ…!」
「やべぇなぁ。俺らも逃げよーぜ」
ギュルルル…と回転音が響いた後に、両手に銃を構えるカイザーに向けてガトリングガンが発射された。
路地の壁があっという間に削り取られ、辺りに夥しい量の粉塵が舞う。
シュバルツとアルメーは回転音と同時に走って路地から脱出し、そのまま空中に逃れていた。
「さぁ、行きましょうか、女王」
眼下の惨状を、無かったかの様にサラリと言うクーゲルに理世は耳を疑う。
「二人を置いて行くんですか!?」
「えぇ。フォイアーのアレをどうにか出来るのは悔しいですがカイザーだけです。我々は避難しましょう」
「で、でも止めさせないと…!」
「無駄だよ女王。フォイアーの奴がキレたら手が付けられないんだよー」
理世はクーゲルの腕に抱かれたまま、一般の蟻人達が逃げ惑う、爆音と銃声の鳴り響く街を見下ろす。
「あ!」
――理世の目に入ったのは、今にも崩れ落ちそうな壁に身体をくっつけ、寄り添い合いながら震える小さな蟻人の子供達。
兄妹だろうか、小さな男の子が更に小さな女の子をしっかり抱き締めて懸命に守っている。
「クーゲルさん、降ろして下さい!」
「駄目です。危険ですから」
「あの子達が危ないじゃない!早く降ろして下さい!」
「だから駄目だと「降ろして!!」
ビクン、とクーゲルの身体が震える。
「クッ…女王の強制力ですか…!」
クーゲルは自身の意思に反して、理世を地上に降ろすべく降下して行く。
理世は地上に降りるなり、二人の子供の元に向かい、その手を引いて安全な所に連れて行った。
子供達を避難させると今度は、カイザーとフォイアーの元に走って行く。
「リセ!?馬鹿、下がってろ!」
「カイザーさんこそ下がって!!」
クーゲルと同じく、一瞬身体を震わせたカイザーは銃を降ろし、後ろに下がる。
理世はフォイアーのガトリングガンの前に立ちはだかり、大声で叫んだ。
「いい加減に止めなさい!フォイアー!!」
「あ…リセ…?」
ビクッとした後、我に返った様にフォイアーが慌てて武器を降ろす。
理世はフォイアーの元に走り寄り、武器を掴む手をそっと握った。
「あの、コレしまって貰えます?それで、病院行きましょう?私もついて行きますから」
ごめんなさい…と呟きながら、フォイアーが銃をクルリと回転させる。巨大なガトリングガンは青い炎に戻り、炎が消えると同時ににその姿を消した。
カイザーが無言で近寄り、武器を消したフォイアーの腹部に強烈な前蹴りを食らわす。
そしてうっ、と呻いて跪いたフォイアーの頭部を容赦なく銃底で殴りつけた。
「ちょ、ちょっと何するんですか…!」理世は驚きに目を見張り、間に割って入る。
額が割れたのか、顎先から滴る程出血をしているフォイアーの頭を抱きかかえ、着ていたワンピースの裾を破り、傷口に押し当てた。
「だ、大丈夫…?」
「うん…」
「立てます?早く病院行かないと…!」
「うん…でも待って…」
フォイアーはよろよろと立ち上がり、カイザーの方に向き直った。
「ごめんカイザー…ボク…リセと話してたら…欲しくて欲しくて堪らなくなって来て…」
「…あぁ」
「カイザー…早く…リセ連れてって…。また欲しくなる…今は我慢出来そうにない…」
「分かった分かった。ほら、お前も早く行って来い」
それを見計らったかの様に、シュバルツとアルメーが駆け寄って来る。
フォイアーは今度こそ大人しく、二人に支えられながら病院へ向かって行った。