65・戦いの終わり
巨体に大きな角。豪快な笑顔の甲虫人の中年男と、その横には双子の兄弟。
他にもハンマーや斧、鉤など様々な武器を構えた甲虫人達。
「ギラファの親父さん!コーカにサス!」
「うぇ、何だよー絶対俺らの方が先に成虫になったと思ったのによぉ」
クレスと双子が嬉しそうに拳をぶつけ合う。
中年男は、状況を今一つ理解出来ていない他の面々に「よっ!」と片手をあげて挨拶をした。
「誰…?」
「シェラックの商工会の連中だよ。今回の事、アタシ達で何とかしようと思ってたから皆に声かけておいたんだ」
「そうそう。リッカは俺らの娘みたいなもんだからな、当然助けに来るさ。いやー、間に合って良かったぜ」
さて、と中年男・ギラファは小さな子供程の大きさのハンマーを軽々振り回しながら剣呑な目を背後に向けた。
「俺らの娘を誘拐しようなんざ500万年早えーよ。おまけに、仲間の嫁と子供達に怪我させてくれやがって。取り敢えず全殺しで勘弁してしてやる」
「……嫁?」
「ジーン結婚すんだろ?アトラスと。見舞いに行った時にアイツ言ってたぜ?」
…何故今それを言う。
父のサプライズプロポーズが敢え無く潰された事に、姉弟は二人同時に、大きな溜息を吐いた。
◇
「ねぇ、そこの無神経なオジサンとその仲間。アンタ達取り敢えず鳥共に特攻かけてよ。あいつ等の弾を防いだ所でボクとシュバルツが弾ばら撒くから」
「俺の何処が無神経だ羽付き。…まぁ良い。俺らはそう素早くは動けないからな、弾なら幾らでも防いでやる。適材適所って奴だな」
フォイアーの提案を受けたギラファの合図と共に、甲虫人達が前線に布陣を敷いて行く。
カブト系・クワガタ系が最前線。コガネ系がその後ろにつき、全員が一斉に硬い外翅を広げた。
「よし、もう奴らの銃弾は気にするな、彼らがきっと防いでくれる。後は目に着いた鳥人を根こそぎ倒すだけだ」
「わかった。全力でぶっ殺そう」
「杏を傷付けてくれたお返しをしませんと」
誰が指揮した訳でもないのに、混成チームには自然と布陣が出来上がって行く。
「行くぞ!」
二丁拳銃をクルリと回転させた後、カイザーが号令をかける。
それと同時に、蟲人達は一気に前方へ飛び出して行った。
◇
「杏、大丈夫!?」
「はい…ごめんなさいお母様…」
美琴は腕に傷を負った娘に付きっきりで手当てを施していた。
許せない。私と弥未の可愛い子供に。
「…私が飛べたら、あいつ等をぶっ飛ばしてやるのに」
「お、お母様…」
杏は、いや恐らく他の兄弟姉妹も、目の前の母がただ優しいだけの女性ではない事に今回の事で気付いた。
母は飛べず、硬い皮膚も持たず、槍を生み出す事も出来ないが、その心は誰よりも強い。
誇らしさで一杯になった胸を、杏は痛む腕でそっと押さえた。
◇
理世は上空を食い入る様に見つめた。
横から新たな一軍が現れた時には気を失いそうになったが、それが見慣れた面々である事に気付いた。
(皆が、来てくれたんだ…!)
気の良い、商工会の人達。
嬉しかったが、逆にこれでまた心配が増えた、と唇をキツく噛み締めた。
お願いだからどうか誰も、大きな怪我をしないで欲しい。
心なしか、鳥人の数が減って来た気がするが、まだ油断は出来ない。
理世は姉の方を見た。
流石の美琴も、強張った顔で上空を見上げている。
「…予想以上に、敵が多かったですわね。甲虫の皆様の増援もあった事ですし、これ以上疲弊する前に片をつけてしまいましょうか」
え?と姉妹は同時に声の主、女王ナーデルを見た。
たおやかな両手には、見知った青い炎が揺らめいている。
ナーデルはまるで指揮者の様に優雅に両手を振った。
青い炎がかき消え、代わりにその手に女王の武器が宿る。
――巨大な金属の長方形の箱。
その片方の面には、大きな丸い穴が4つ開いている。
華奢な身体には全く似つかわしくないソレを、ナーデルは羽の様に軽々扱っていた。
「…お姉ちゃん。理世、アレと似た様なのハリウッド映画で観た事ある」
「…私も」
ナーデルはその金属の箱を、軽やかな手つきで肩に担ぎ、穴の開いている面を空に向けた。
――鈍く輝く、ロケットランチャーの発射孔を。
「では、行きますね」
「ナ、ナーデル!?待っ…!」
ドォンッ!
ナーデルが引き金を引く。
4つのミサイルが上空へと発射され、真っすぐに乱戦の場へと向かって行く。
「きゃ――っ!!ちょっとナーデル!?子供達に当たったらどうしてくれるのよ!?」
「大丈夫ですわ。わたくしの部下も美琴姫のお子様方も、皆さん優秀です。避けて下さいますわ!」
「本当に!?フォイアーとかすっごく慌ててる様に見えるけど!?」
慌てふためく理世と美琴を他所に、ナーデルは次々とミサイルを発射していく。
「お、お姉ちゃん…どうしよう」
「これ、どうにもならないわよねー…」
姉妹はそれぞれの大切な人達を、青い顔で見つめていた。
◇
「おい羽付き!てめーらどうにかしろよ!何なんだよこのミサイル!」
「ボク達も知らなかったんだよ!女王の武器がコレだなんて!」
「こんなのアタシらでも防げないよ!?どーすんの!?」
「とにかく、躱す事を第一に考えろ!」
――鳥人の討伐そっちのけでミサイルから身を守る事に終始している内、辺りが静かになったのに気付いた。
周りを見渡すと、鳥人達はほとんど撃ち落とされるか逃げ出すかをしていた。
ただ一人だけ、片翼は折れ、血塗れになりながらもかろうじて空中に留まっているエグルがゼェゼェと荒い息を吐いている。
「チッ…!クソ、蟲の分際で…!」
悪態をつきながらも、エグルは最早動く事が出来ない。
ミランは混乱に乗じて、早々に逃げ出していた。
目線をゆっくり下に降ろす。
鷹の目に、地上で心配そうにしている理世の姿が見える。
「はぁ…やっぱカワイーな、アイツ」
エグルはボソリと呟きながら、理世に向かってヒラヒラと手を振った。
「っ…!殺してやる…!」
ガトリングガンを構え、詰め寄るフォイアーの肩をカイザーが掴んで止める。
フォイアーは困惑した顔でカイザーを見た。
「止めろフォイアー。もうコイツは戦えない」
「っでも!コイツ、リセをすっごいヤラシイ目で見てたよ!?」
「リセに触れられるのはオレ達だけだ。見たいなら見せつけてやれば良い」
はは…と力無く笑うエグルは、「分かった。降参だよ」と両手を上げた。
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「カイザー!フォイアー!」
理世は地上に降りて来た二人に向かって駆け寄り、カイザーの左腕とフォイアーの右腕に抱き着いた。
即座に長身を屈めた二人に同時に頬にキスをされ、くすぐったそうに笑う。
「皆!大丈夫?怪我は無い!?」
「大丈夫ですお母さん。…女王の攻撃には焦りましたけど」
「杏、腕は痛む?」
「平気。最後まで戦えなくてごめんね?」
美琴は子供達一人一人に労いの言葉をかけ、優しく抱き締めていた。
見た目年齢は自分達と大して変わらないのに、嬉しそうなその顔は母に褒められて喜ぶ幼い子供の様に見えた。
「ありがとね、ギラファ。皆」
「いやー楽しかったぜ?こんなに暴れたの久々だしな。お前もアトラスの見舞いに行ってやれよ?」
「え?あ、うん…」
真っ赤な顔で俯くジーンを、ヘラは嬉しそうに見守っている。
弟クレスは、美琴の方へ歩いて行き、何事かを話かけていた。
どうやら蜂人の少女の傷が気になったらしく、杏の元気な応対にホっとした顔をしていた。
「皆さん、ご無事で良かったですわ」
「ま、まぁ無事でしたけどね…」
「今度からアレぶっ放す時は一言言って欲しいかな…」
「あんなに真剣に死にそうになったの初めてだよ…」
傷だらけのクーゲル、シュバルツ、アルメーの3人は、女王の笑顔を眩しそうに見つめる。
そして誰からともなく顔を見合わせ、それぞれ笑みを浮かべた。
そして3人は女王に近づき、額と頬、手の甲に口付けをそっと落とした。
◇
インセクタに無事に戻った後、理世は天道人の女性の元へ向かった。
ボウガンを無くしてしまったお詫びと、約束通り無事の帰還を知らせる為だった。
「あらー!貴女よく帰って来たわね!心配してたのよ?」
「ごめんなさい、ボウガンせっかく貰ったのに…」
天道夫人は「いいのよーアレは貴女にあげたんだから」と人好きのする笑顔で言いながら、チラチラと理世の背後を見る。
理世にくっついて来たカイザーとフォイアーを、不思議そうに見比べ、首を傾げていた。
「えぇっと…この羽付きさん達は…?」
「あ、知り合いです」
昆虫人の倫理観は良くわからない。けど何となく「二人共私の夫になる人なんです」とは言い辛い。
背後から不満そうにしている空気が伝わって来たが、理世はそれに気付かないフリをした。
◇
「じゃあ理世はジーンさん達と一緒に泊まるから。二人共気をつけて戻ってね?」
美琴やナーデルは既にもう各々の宿泊場所に戻っている。
理世は一旦宿に戻った後、買い物に行こうと思っていた。
明日の会談に招待されている身分なのに、着て行く服が無い。
「リセ…もっと一緒に居たい…。ボク達の泊ってる所に来てよ…」
「駄目。あんな高級ホテルに泊まるお金なんて無いもの。それに、この後洋服も買いに行かなきゃいけないから」
「お前は費用の心配なんかしなくても良い。服もオレが買ってやるから」
「ボクも!ボクも買ってあげる…!」
理世は二人を困った様に見上げた。
気持ちは嬉しいんだけど…。
「ううん、大丈夫。理世、お店始めてからお金の大切さに改めて気付いたの。本当に困った時は頼るかもしれないけど、今はまだ平気。髪飾りでちょっとお洒落にするつもりだから、そんなに高い物は買わないわ。気にしてくれてありがとう」
じゃあまた明日ね。
そう元気良く言った後、街中に駆け出して行く理世の後ろ姿を見ながら二人は同時に大きな溜息を吐いた。
「…リセ、何にもわかってないね。まぁ別に良いけど…もう泣いても喚いてもボク達を嫌っても、離すつもりは無いし…」
「フォイアー。今更だが、本当に良いのか?オレが、リセに触れても」
「嫌か嫌じゃないかで言うと、やっぱり嫌だよ…?”前”はリセ、ボクだけのものだったし…。でも、リセはカイザーの事は特別に思ってる。リセが望むなら、ボクはそれで良い…」
カイザーは「そうか」と呟きながら、歩き始めた。
歩きながらふと、胸の内に沸いた疑問をフォイアーにぶつけてみる。
「…お前、もしまたリセがオレ達の前から姿を消そうとしたらどうする?」
「そもそも逃がさないけどね…。でも次は許すつもりは無いから、一緒に死ぬ。リセはこうと決めたら言う事聞かないし…」
「…そうか。オレは、そうだな、シンプルに閉じ込める位しか…」
「あ…それ良いかも…。監禁出来そうな場所、ボク、一応手配しとこうか…?」
「あぁ、そうしてくれ」
――記憶は完全に戻ったが、以前の自分達では無い事も分かっていた。
共に先祖返りを起こしたこの身体。
恐らく二度と狂い蟻の姿になる事は無いだろう、と確信を持っている。
だが、心は。
最愛の存在を、よりにもよってその最愛の本人によって奪われた、その心の傷は。
――二匹の狂蟲は顔を見合わせ、そして静かに笑い合った。




