64・共闘
理世は自身の甥や姪に当たる蜂人達が鳥人達の元へ向かう姿を見た後、カイザーとフォイアーに向き直った。
姉との再会に気を使ったのか、少し距離を置いて立っている二人の、怖い位に真剣な鋭い眼差しに知らず身が竦む。
何故か記憶を取り戻した姉とこの二人。
今までは、理世の顔色を窺いつつも何処か真っすぐな愛情を宿していた男達の両目には、粘ついた熱情が見て取れる。
何となく怖くて、理世は思わず顔を伏せた。
「…リセ。おいで?」
優しいながらも有無を言わせない声音に、一瞬身体を震わせる。
それでもゆっくりと立ち上がり、そろそろとフォイアーの元へと向かった。
「あの、私、ごめんなさ…っ…!」
言い終わる前に強く腕を引かれ、折れそうな程に抱き締められた。
痛い、と言おうとした理世は、フォイアーの身体が震えているのに気付く。
「フォイアー…」
「酷いよリセ…ずっと一緒だって言ったクセに!ボクの記憶を消して逃げようとするなんて…!もう絶対にこんな事しないで!ボクを、置いて行かないで…」
「ごめんなさい…皆が幸せになるには、ああするしかないと思ったの…」
「じゃあリセの幸せは…?ボクとじゃ幸せになれないって事?ボクが傷つく事言ったから?だからボクの事が嫌いになったの?」
「違う!傷付いたのは確かだけど…あのままじゃ、何もかもぐちゃぐちゃになると思ったの。理世は、フォイアーが大事だったから…」
「大事に思ってるなら離れないでよ…!ボクはリセが居ないと生きていけないのに…!それに、リセ、ボクとの…!」
――卵が、宿っていた筈なのに。
その部分を言葉にしなかった、あるいは出来なかったのかもしれない、フォイアーの心情を思い理世は唇を強く噛んだ。
あの選択は、間違いだったと今なら分かる。
もっとフォイアーと話し合うべきだったのだ。
傷付いたなら、それを伝えれば良かったのだ。
「フォイアー、ごめんなさい…理世の事嫌いにならないでくれる?」
「嫌いになんてなる訳ないだろ…!むしろ逃がさないからね…!?」
うん、と頷いた理世は、次にフォイアーの腕の中からカイザーを見つめた。
逸らす事無く見返して来る、強い眼差し。
ぎゅうぎゅうと抱き締めて来るフォイアーの胸をトントンと叩き、「カイザーと話すわ」と伝える。
フォイアーは小さく頷き、理世の額と頬、唇にチュ、とキスをして、その後そっと腕を緩めてくれた。
理世はカイザーの元へ歩いて行った。
正面に立ち、暫し躊躇った後、そっとその身体に抱き着く。
少ししてから、フォイアー程強くはないが決して弱くない力で抱き返された。
「カイザー…」
「リセ。お前は本当にオレ達を振り回してくれる」
「ごめんなさい…」
「色々言いたい事はあるが、先ずはヴォラティルの連中をどうにかする。話はその後だ」
「う、うん…」
相変わらず、フォイアーと違ってカイザーは冷静だなぁ。
そんな事を考えながら理世はカイザーから離れる為に身を捩った。
「…リセ」
「何?」
「オレは今度こそ間違えない。だからオレにも手を伸ばしてくれ。何があっても、その手は掴んでみせるから」
そう言うと、カイザーは理世の左手を掬う様に持ち上げ、薬指を口に含むとチュッと音を立てて吸った。
理世の顔が見る見るうちに真っ赤になって行く。
――こ、こんな恥ずかしい事する人だったっけ!?
羞恥に震える理世を全く意に介さない様に己の口から指を引き抜き、手の甲を一舐めしてから漸く理世の手を離した。
「行くぞフォイアー」
「うん…。リセ、良い子で待ってて。帰ったらボクにも指舐めさせてね」
蜂人を追い、飛び出して行った二人を見送った理世は、頬を押さえてその場に座り込んだ。
どうしよう。もうすっごい恥ずかしい。
「リセ!」
「ジーンさん…」
「良かったね、リセ。アタシも”前”の事思い出したよ。”前”がある事はアンタから聞いてたけど、そっか、アンタとフォイアーそう言えばウチの二階に住んでたよね」
ジーンは優しく微笑みながら理世の頭を撫でた。
理世はくすぐったそうな顔をする。
「…アンタの本当の姉さんは、姫だったんだね」
「はい。でも、ジーンさんはもう一人のお姉さんです。…駄目ですか?」
「駄目な訳ないでしょ、全く!あーもう!アンタって本当に可愛いんだから!」
ジーンは理世の髪をわしゃわしゃと掻き混ぜると「ヘラ!クレス!アタシらも行くよ!」と空を指差した。
「え!?ジーンさん達も行くの!?」
「うん。ヴォラティルの連中の武器は、爪と銃なんだ。アタシ等甲虫が盾になると、きっと戦いやすいだろうからね」
じゃあ行って来る。
そう言ってジーン達もカイザーとフォイアーの後を追って行く。
理世は不安そうに、上空を見つめた。
どうしよう。理世、何の役にも立たない。
少し離れた場所に居る姉を見る。美琴は空に居る子供達に向かって大きな声援を送り続けていた。
お、お姉ちゃん…まるで少年野球の応援してるお母さんみたい。いやまぁ、お母さんなんだけど。
「リッカ…いえ、リセさん」
あはは…と苦笑いをしていた理世の耳に、涼やかな声が聞こえた。
女王・ナーデルの声。
「あ、女王様…!」
理世は慌てて頭を下げた。そしてふと、首を傾げる。
そもそも、お姉ちゃんと女王様が何で森に居るの?
理世の疑問が伝わったのか、ナーデルはふっと表情を緩めた。
「わたくしも美琴姫も、明日に備えて先にインセクタに入っていたんですの。街を視察していましたら、ジーンさん達から貴女の事を聞いたものですから」
「も、申し訳ありません、女王様…」
恐縮する理世に、ナーデルは「お気になさらないで」と優雅な笑顔を浮かべた。
そして、背後を振り返り「さぁ、皆さん」と促す様に片手を挙げた。
「リセ…すいませんでした…」
「ごめんリセ。僕達、すっかり忘れてて…」
「お前が記憶を消した時の事、全部思い出したぜ、ごめんな、リセ」
気まずそうに、ナーデルの背後から現れたクーゲル・アルメー・シュバルツの3名を、理世は驚いた顔で見た。
「み、皆も記憶戻っちゃったの!?」
3人は顔を見合わせた後、理世の方を向き、大きく頷いた。
「そ、そっか…」
顔を伏せたまま、動かない3人に、理世は困惑の表情を向ける。
うーん、自分で言うのも何だけど、この3人…って言うか特にクーゲルには雑な扱い受けてたからなぁ。
その辺りが、アレなのかしら。
でも。
「クーゲルはいつもきっちりしてるから、きっと女王様は貴方が頼りね。アルメーは無邪気で可愛いから、癒されるしシュバルツは優しい。女王様の旦那様にふさわしいと思うわ」
その代わり理世が、ちょっと面倒くさい二人を引き受けてあげる。
そう悪戯っぽく笑ってみせると、3人はそこで初めて笑顔を見せた。
◇
「では皆さん。ヴォラティルの侵攻を女王としては許す訳にはいきません。皆さんも、全力で討伐にあたって下さい。美琴姫とリセさんはわたくしがお守りしますから」
「かしこまりました」
「わかったー」
「おう、任せろ」
――其々の武器を展開し、空へ舞い上がって行く3人を見送りながら、理世は慌ててナーデルの元へ駆け寄る。
「じょ、女王様!皆を行かせてしまっては、女王様を守る人が居ません…!」
「大丈夫です。わたくしはわたくしも守れますし、リセさんと姫もお守り出来ますわ」
「理世ー!アンタは隠れてなさい!狙われてるのは理世なんだからー!」
「お、お姉ちゃんも隠れてよ!お姉ちゃんだって”羽無し”なんだから!」
「お姉ちゃんは大丈夫!」
出た。またお姉ちゃんの根拠の無い謎の自信。
お姉ちゃんの方が美人なんだし、目を付けられたら大変な事になっちゃう…!
「皆ー!頑張ってー!」
鳥人達の鋭い鳴き声が響き渡る中、理世はあくまで少年野球のノリで子供の応援をしている姉を、ハラハラとしながら見守っていた。
********
「どけよ蟲共!」
「こっちの台詞ですわ、薄汚い鳥!」
「理世叔母さんには指一本触れさせないからな!」
「ボクのリセにキスした奴は誰…!?眼球をくり抜いてやるから待ってろよ…!」
「貴様等はここで皆殺しにする。死にたくないなら、今直ぐに国に帰れ」
――上空では、激しい戦闘が繰り広げられていた。
鳥人達の布陣はシンプルなものだった。
強い者が前線で凶爪を振るい、残りは後方で銃弾をばら撒き援護する。
蟲達は種族混成チームなのを生かし、飛び交う銃弾はジーン達甲虫チームが防ぎ、彼らを盾にして接近した蜂人チームが前衛の鳥人を槍で貫く。
カイザーの二丁拳銃と蜂人の槍をかわし、地上に近付く者はフォイアーとシュバルツの弾丸の雨を浴び、クーゲルとアルメーに撃ち落とされて行く。
それでも鳥人の数は圧倒的で、蟲人達は次第にじりじりと追い詰められつつあった。
「きゃあっ!」
「わっ大丈夫!?」
腕を打ち抜かれた蜂人の少女・杏をクレスが抱き止める。
利き腕をやられた杏はもう戦えそうも無い様子だった。
「姉ちゃん!この子を一度下まで連れて行く!」
「わかった!でも早く戻って来てよ!」
クレスと杏が下降すると同時に、新たな鳥人の一団が現れた。
今度は全員が銃を持っている。
「…ねぇ、コイツらの狙いってもしかしてリッカだけじゃないんじゃない…?」
「オレもそう思う。先程から奴らがあげている鳴き声の様なもので、仲間に伝達をしているんだろう。女王と、ここにいる全員の翅や硬皮を奪うつもりだ」
ヘラの呟きに、苦い顔でカイザーが答える。
「あれだけの数で一気に撃たれたら…あたし達3人じゃとても防ぎきれないよ?」
「どうするんだ羽付き!こっちは杏がやられてるんだ、最悪母さんと理世叔母さんだけ連れて逃げるからな!?」
鳥人達が一斉に銃を構える。
中央に居た大柄な鳥人・エグルが片手をあげた。
「マズい…!次で撃って来る!」
「クソッ…!全員撤退しろ!全速力で逃げるんだ!」
「…無理ですわ!もう間に合いません!」
――エグルの片手が無情にも振り下ろされ、蟲人達の眼に無数のマズルフラッシュが映る。
すかさずジーンとヘラ、猛スピードで戻って来たクレスが前方に飛び出し、硬い翅を広げた。
それと同時に雨の様に襲い来る銃弾。
たった3人では、防ぎきれないのは分かっていた。
「ね、姉ちゃん…!」
「負けるなクレス!甲虫人の意地を見せないと駄目だよ!」
「その通り!エラいぞ、ガキ共!」
――戦場に、掠れた野太い声が響く。
それに加えて、聞こえる複数の重たい羽音。合間に、一斉に銃弾が弾かれる音が聞こえる。
「「あー!!」」
大声をあげた兜姉弟の目の前には、黒や茶、金色の光沢を持った甲虫人の一行が立ちはだかっていた。




