63・取り戻された絆
――あぁ、風が気持ち良い。
でもちょっと寒いかな?
そして何だろう、さっきから目の前にキラキラ光る透明なものが散らばっていくのが見える。
理世はそのキラキラに手を伸ばした。
手の甲に触れる、水に濡れた感触。
(あ。私、泣いてるんだ)
落下による風圧で、飛び散る涙の雫。
一体、何に対しての涙なんだろう。もう、よく分からない。
ただ、この世界に来る前からの、激動の人生がもう少しで終わりを告げようとしている事だけは分かった。
********
「い、今何が起こったの?」
「仲間割れ、でしょうか…」
ヘラ・奈々・十悟はカイザー達と合流した所で、一旦上昇を止め、上空で待機していた。
停滞飛行が得意ではないヘラは奈々の肩に掴まり、遥か上空を見上げている。
「その”例の二人組”で間違いないのか?」
「うん、今吹っ飛ばされたのが多分エグルの方。ってか本当に何してんだろ。あの二人、結構仲良さそうだったのに」
でも良かった。リッカ、まだあいつ等には捕まってないんだ。
「いや、それならもう森の入り口辺りには逃げて来ている筈だ。隠れているか、もしくは監禁されているんだろう。以前襲われた蝉人達も一旦は何処かに閉じ込められた後に翅を奪われていた形跡があったらしいからな」
考え込むカイザーの横顔を眺めながら、ヘラは激しく迷っていた。
自分とクレスの脱皮が近いと判明した時に、父から聞いた事実。
『リッカはな、”羽無し”なんだ』
羽無しについての説明も受けた。
そこでクレスと共に、だからリッカは色んな男の気を引くのか、と納得をしたものだった。
羽化不全ではなく、リッカには元々翅が無い。
それがあの鳥共にバレたらどうなるだろうか。
取り返しがつかなくなる前に、カイザー達に話すべきではないだろうか。
カイザーはそんなヘラの葛藤に気付かないまま「…そのエグルと言う奴、向こうの岩場の方に落ちていったな。そこで捕まえ、リッカの行方を尋問をする」と親指で岩場を指した。
「カイザー、拷問するんだったらボクがやる…」
ボソリと呟くフォイアーを、カイザーを除く面々は意外なものを見る様な目で見た。
フォイアーは不思議そうに首を傾げ、あぁ、と言う様に頷く。
「得意なんだ、ボク…」
「オレは苦手だ。直ぐ殺してしまうからな。フォイアーのギリギリで生かしたまま長く痛めつける技法には目を見張るものがある」
褒められて嬉しそうなフォイアーとそれを温かく見つめるカイザー。
見直した、的な眼差しを向ける蜂人の男女。
――甲虫人のあたしにはついていけない。
内心でドン引きをしつつ、未だ悩むヘラは胸元の服をギュっと握り込んだ。
◇
岩場に向かう為に全員で少し下降する。
その時、上を見ていた蜂人・十悟が「あ」と声をあげた。
「…何か、荷物の奪い合いをしていたみたいだな。蹴り飛ばした方が、何かを腕に抱えてる」
「あら、本当ですわ。なんでしょうか…」
目の良い蜂人二人がもっと良く見ようと、カイザー達を置いて上昇する。
少し上がった所で、二人が同時にギクリと身体を強張らせた。
「どうした?」
「人…ですわ…」
「本当だ。女の子を抱えてる。長い黒髪の…」
――途端に、全員の動きが止まる。
「リ、リッカ…」
「チッ!行くぞフォイアー!ヘラ、お前は弟の所に行け。これ以上高くは飛べないだろう」
「う、うん…!」
地上に向かって下降するヘラを見やった後、カイザー達2人は上昇すべく翅を震わせる。
――次の瞬間。
その”黒髪の少女”がいきなり空中に放り投げられた。
勢いのままに、落下して行く少女。
しかし何故か、鳥人はその後を追わない。
「リッカ!!」
「クソッ!行くぞフォイアー!!」
悲鳴の様な叫び声をあげながら、フォイアーとカイザーは急加速して落ちゆく理世の元へと向かう。
風に流されているのか、予想以上に少女との間に距離が開いていた。
「嫌だ…嫌だ…リッカ、どうして…!」
何で、ボクから離れようとするの。
そうやってまたボクを、置いて行こうとしないでよ――
「リッカ!待ってろ、直ぐに行くから!」
今度こそ、お前の手を掴んでみせるから、もうオレを許してくれ――
――また?今度こそ?何故。どうして。ボクは。オレは。
「うっ…!」
「痛い…!」
ズキリと刺すような痛みがカイザーのこめかみに走る。
痛みを堪えながら横を見ると、フォイアーも同じ様に武器を持ってない方の手で側頭部を押さえていた。
こんな痛みなどどうでも良い。リッカの元へ、早く行かなければ…!
………リッカ?
◇
「あ!上から何か落ちてきたよ?」
「女の子…!女の子が落ちて来てる!」
子供達の叫び声に、美琴は上空に向かって目を凝らした。
昆虫人達と違ってあまり遠くはよく見えない。
が、激しい胸の動悸に襲われ、美琴は小さく呻いて地面に膝をついた。
「お母さん!?」
「リッカ…?もしかして、落ちて来てるのはリッカなの…?」
震える美琴を、子供達が慌てて取り囲む。
何故。何故私は、こんなにも恐怖に襲われているの。
あの子は確かに放っておけない雰囲気だった。でも、だからといって私は、どうして――
『お姉ちゃん!』
『なぁに?理――』
「ねぇ蜂人!アンタ達の中で一番早く飛べるのは誰!?お願い、上に行ってリッカを助けて!蟻人の二人じゃ間に合わない!」
墜落する勢いで地上に降り立ったヘラが、血相を変えて美琴の周りを取り囲む子供達に詰め寄る。
たじろぐ子供達をかき分け、美琴は蒼白な顔でヘラの肩を掴んだ。
「リ、リッカはまだ翅を痛めてるの…?」
ヘラは虚を突かれた様に美琴を見つめ、次いで縋る様にジーンを見た。
ジーンが大きく頷く。
「いいえ、いいえ姫様!リッカは”羽無し”なんです!昆虫人ではないんです!」
「…え」
羽無し…?
私と同じ…?
彼らの言うところの、”無垢の――”
「無垢の、女王…?」
女王を守る、クーゲルの呆然とした声が耳を掠めていく。
『助けて!お姉ちゃん!』
『理世ー!』
不意に、色んな記憶が甦って来る。
この世界に落ちた時。
理世と別々に暮らした日々。
再会と、狂った蟻達。
そして、あの運命の時。
「あ…嘘…嘘…。私、何で?何で、忘れてしまっていたの?私の可愛い…妹の理世…!」
美琴は弾かれた様に立ち上がり、上空へ向かって叫んだ。
「理世――――!!」
◇
理世はビクリと身を震わせた。
お姉ちゃんの声がする。
顔を傾け、直ぐそこに見える地上を見た。
かなり離れている位置に、姉の姿が見えた気がした。
涙に濡れた、姉の顔。ここからでは見える筈も無いのに。
「うぅ…ふえぇ…お姉ちゃん…!」
怖いよ、お姉ちゃん。
一人ぼっちで死んじゃうのは、怖い。
お姉ちゃんに会えなくなるのも、カイザーとフォイアーに会えなくなるのも、怖い。
皆ともう、お話が出来ないのが怖い。
おかしいな。死ぬのは構わないって、思ってた筈なのに。
やっぱり、やっぱり理世は――
「嫌…やだ…やだぁ…」
理世はしゃくりあげながら、渾身の力で叫んだ。
「助けて――!カイザー!フォイアー!!」
「「リセ――!!」」
間近に聞こえる、愛する人達の声。
理世はギュッ…と目を閉じた。
「きゃあぁっ!」
ボスン、と力強い腕に抱き止められ、理世は反射的に目を閉じその身体に縋り付いた。
火薬と埃の匂いのする、懐かしい軍服の感触。
「リセ!大丈夫!?」
「しっかりしろ、リセ!」
ゆっくり、恐る恐る目を開ける。
目の前には、青褪めた顔で覗き込んで来るカイザーとフォイアー。
その背後に見える空は、随分と遠い。
「良かった…ギリギリ間に合った…」
理世はフォイアーの腕の中に居た。
その理世を抱くフォイアーを、カイザーがしっかりと支えている。
「リセ…ボクのリセ…無事で良かった…!」
「お前は本当に無茶をする…!もう、こんな事は許さないからな」
うん、と頷きかけた理世はピタリと動きを止めた。
あれ?二人共”リセ”って言ってない?
「あの、」
「理世!!」
カイザーを押し退け、理世の前に跪いた美琴は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で理世に抱き着いた。
一瞬眉を顰めたフォイアーも、何やら思う所があったのか大人しく美琴に理世を明け渡す。
「馬鹿!馬鹿理世!何て子なの、お姉ちゃんの記憶を消すなんて!」
「ご、ごめんなさい、お姉ちゃん…だって…」
「だって、じゃない!理世はいつだってそう!いつだって、自分さえ我慢すれば良いって思ってる!もう二度としないで!お姉ちゃん次は許さないからね!」
叱られる理世の大きな瞳に涙が浮かび、ポロポロと零れ落ちる。
「うえぇ…もうしないから…怒らないでお姉ちゃん…」
「うんうん。約束してくれるなら怒らないよ。それで、大丈夫なの?あいつ等に何かされてない?」
「平気…無理矢理キスされただけ…」
…そう。キスされたの。無理矢理に、ね。
優しく理世の頭を撫でる美琴の顔から、瞬時に表情が消える。
母の見た事も無い冷たい顔に、蜂人の子供達は皆一様に顔を強張らせた。
「おい!上!」
突如響いたクレスの叫び声に、全員が上空を見上げる。
辺り一帯を覆う位の、無数の翼。
中央付近で、仲間に左右の肩を支えられたエグルが此方を見下ろしていた。
ミランは端の方で数人の鳥人に取り押さえられている。
「あ…エグル、無事だったんだ…」
別に好きでも何でもないけれど、性質はミランなんかより全然マシだった。
怪我をして欲しいと思っていた訳では無い。無事ならばその方が良かった。
「…リセ。他の男の名前呼ばないで」
「もう…妬かないでフォイアー。そんなんじゃないんだから」
「…嫌だ。カイザーの事は我慢するけど、他は絶対に許さない」
――記憶が戻った途端にこれかぁ。
理世は小さく溜息を吐きながら、姉の顔を見つめた。
美琴は”諦めなさい”と言う様に、軽く首を左右に振る。
「理世、あの鳥人達は…」
「うん、エグルが”仲間に連絡した”って言ってた。でも、聞いた時は3人位だった気がしたけど」
「そいつらが更に仲間を呼んだんだろうな。薄々、リセの事に気付いていたのかもしれない」
「リセ、名前呼ばないでってば…」
美琴は手を挙げ、子供達を呼んだ。
「私の可愛い子供達。あの鳥達はきっと理世を狙ってる。理世は私の妹なの。細かい事は今度説明するわね?私の妹と言う事は、あなた達の叔母さんになるの。だからこの子を、守ってくれる?」
「勿論ですわお母様!」
「この可愛らしいリッカさんが僕達の叔母さんだったなんて光栄です」
「理世、叔母さん!俺達に任せて!」
うん、と満足げに頷いた美琴は上空を指差し、高らかに叫んだ。
「さぁ子供達!あのムカつく鳥達を全員、ぶっ殺して来て!」
「「「「「「「はい!」」」」」」」」
美琴の号令を受け、7人の蜂人の男女は槍を構え、大空へ向かって一斉に飛び出して行った。




