57・ミランとエグル
理世は森の入り口に差し掛かっていた。
耳を澄ましてみても、話声も聞こえなければ気配もしない。
どうしよう。
森の中に入った方が良いだろうか。
良く考えたら、”森の方に向かった”とは聞いたけど”森に入った”とは聞いていない。
だが、インセクタの街中から森までの間、それこそ人の気配は無かった。
ヘラは大声で叫んでいたと言う。
無事であれば、きっと何かしら叫び声を上げていた筈だ。
「うん、森に入るしかないよね」
理世はゆっくり、慎重に森の中に歩を進めた。
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「おや、フォイアーはどうしたんですか?」
「んー?何が?」
「何だか手紙の様なものを握り締めて、中庭で項垂れてますが」
女王と蜂人の姫の会談前日、警備の話をしようと廊下を歩いていたクーゲルは中庭で立ち竦むフォイアーの姿を見た。
全く動かないその様子に、不審に思ったクーゲルがアルメーに問い掛ける。
「…あぁアレ。何かさ、あの玉虫ちゃんから給料が送られて来たんだって」
「?良かったじゃないですか」
「いやいや、それがね…給料貰っちゃうと玉虫ちゃんと会う理由が無くなるって、給料貰うの拒否してたみたいなんだよねー」
「っ!?馬鹿馬鹿しい!」
顔を歪め、吐き捨てる様に言うクーゲルをアルメーは少し意地悪そうに見つめる。
「…カイザーも同じ事してたみたいだよ」
「はぁ!?何ですかそれは!情けない、カイザーともあろう者が!」
クーゲルは苛々と神経質そうに親指の爪を噛む。
全く、あの二人と来たら!
フォイアーはともかく、カイザーは女王の相手には誰よりもふさわしかった筈。
それなのに、あんな小娘にすっかり骨抜きにされて…!
「…何か、苛々するんですよね」
「ん?」
「あの小娘を見ていると、何だか苛々するんですよ。私は女王に選ばれた。それは喜ぶべき事であるのに、小娘を目にする度、何とも言えないもどかしい気持ちが込み上げるんです…」
珍しく、己の内面を吐露して来たクーゲルにアルメーは内心驚いていた。
あの玉虫少女を目にした時の違和感には、自分も覚えがあった。
それについてシュバルツとも話した事があったのだが、まさかクーゲルが自分などにそれを打ち明けるなんて。
「ねぇクーゲル。カイザーとフォイアーのどっちが、あの玉虫ちゃんを落とすと思う?」
「知りませんよそんなの。私はどっちでも良いです」
「冷たーい」
「…まぁ、あの小娘はかなり危機管理能力が低そうですからね。その上感情的で、浅はかですし。カイザー辺りが妥当なんじゃないですか。フォイアーだと共倒れになるでしょう。いやでも、カイザーは少々慎重過ぎる面がありますからね、そこは空気を読まずに強引に行くフォイアーの方が…」
顎に手を当て、ブツブツ言いながら歩いているクーゲルの様子に、アルメーは思わず吹き出した。
何だか、あの玉虫ちゃんと知り合ってから、皆の色んな面が見えて来るなぁ。
変わらないのは僕とシュバルツ位かな?
――他人に興味が無かった筈の、自分がここまで考えている事こそが”今までと違う変化”である事に気付かないまま、アルメーは早足でクーゲルの後を追った。
◇
「女王。どうしてもインセクタがよろしいのですか」
「えぇ。美琴姫と相談した結果、やっぱり会談の場所をインセクタにする事にしましたの。あそこは私達地走派と飛天派が混在して暮らす唯一の場所でしょう?」
他に、相応しい場所が思い浮かばなかったのです。
そう言う女王・ナーデルにカイザーは苦い顔でそれに応える。
今、あの街は特に危険なのだ。
それを伝えて、一旦は諦めてくれたと思っていたのに。
「以前も申し上げましたが、ここの所ヴォラティルの連中が活発に活動していると言う報告が入っています。その中でも特に凶暴な二人組が居るそうで、既に我々にかなりの被害が出ています。警備の問題もありますし、どうかお考え直し頂けませんか」
「あら、大丈夫ですわ。皆さんが守って下さるでしょう?」
「それは勿論、全力でお守り致しますが…」
「お願いします、カイザーさん。これ以上の場所はありませんの。会談が無事に終わったら、もう貴方は自由になりますから」
「…は?」
「貴方とフォイアーさんは私の配偶者からは外れています。会談が終わったら、私達は婚姻の準備に入りますから、お二方は心置きなく、リッカさんの所に行って下さい」
「じょ、女王…!オレは、その…」
いきなり狼狽え始めるカイザーを、ナーデルは微笑ましく思う。
彼の色んな表情を見られるのは、あの可愛らしい少女が関わった時だけなのだ。
「お願い出来ますか?」
「わ、わかりました...」
嬉しそうに微笑む女王を困った顔で見ながら、カイザーは思う。
弥未も恐らく、自分と同じ様な顔をしているだろう、と。
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「嫌よ。絶対に嫌。もうナーデルと約束したもの、インセクタで会いましょうって」
「我が儘を言うな美琴!インセクタは危険なんだよ。俺は城主として城を空ける訳にはいかない。美琴に何かあったらって、心配するのは当然だろ!夫としてそれを許す訳にはいかないよ」
「大丈夫!」
「…何だその自信は」
美琴はうふふ、と笑いながら弥未の目の前で可愛らしくクルリと回り、夫に向かってビシリと人差し指を突きつけてみせた。
「子供達!私とあなたの優秀な子供達を7人連れてくわ。勿論、完全武装でね?」
それなら安心でしょ?
妻にとびきりの笑顔でそう言われ、弥未は苦虫を噛み潰したような顔をしながら渋々頷いた。
********
「ヘラ!飛竜さん!何処に居るの!?」
埒が明かない、と理世は危険を承知で大声で呼び掛ける事にした。
もうかなり森の奥まで来てしまった気がする。
暗くなって来る前に見つけなければ。
ナッツやクッキー、水などは持っているけれど明かりは持っていない。
「ヘラ――!!」
「リッカ――…!」
「!?」
今居る場所から更に奥、遠くからヘラの声がした。
理世は躊躇う事なく森の奥に走って行く。
「ヘラ!飛竜さん!」
鬱蒼とした森の奥、開けた場所があるのか、ほんの少し光が見えた。
声はその方向から聞こえる。
「ヘラ!」
「リッカ!来ちゃ駄目!」
「待ってて、今行くから!飛竜さん!ヘラに酷い事しないで!」
「違うの!逃げてリッカ!飛竜は…!」
――開けた場所。明るい光が差し込む、森の奥にある泉。
その辺には。
「きゃああぁっ!飛竜さん!?」
――翅をへし折られ、血塗れで倒れ伏す飛竜の姿。
ピクリとも動かないその身体に取り縋り、顔を涙でぐしゃぐしゃにしたヘラ。
その傍らで、飛竜の頭部を踏みつけ、兜の幼女の髪を掴み楽しそうに嗤う男達。
男の一人がゆっくりと振り返る。
「お、ミラン?また獲物が来たぜ?」
「今日はツイてるなーエグル。見ろよ、その女は玉虫じゃねーの」
理世はヒュッと息を飲み、男達を凝視する。
ミランと呼ばれた男は茶色の髪に黄色の瞳。
エグルの方は黒っぽい髪に黒い瞳。
二人共に背中に大きな翼を持ち、カイザーに匹敵する長身で筋肉質な身体をしていた。
理世を見つめる目に、酷薄な光が宿っている。
「貴方達、飛竜さんに何をしたの…?」
「何って?この蜻蛉野郎が幼女襲ってたから、俺達が助けてやったんだぜ?」
「そーそー。このカブトムシちゃん、大暴れしてたからさぁー俺達可哀想になってー」
――理世は無言でボウガンを構え、躊躇いもなくそれを男達に向けて撃った。
元々セットされていた炎熱矢が凄まじい炎を吹き出しながら男達に向かって一直線に飛んで行く。
驚いた二人組は、ヘラと飛竜から離れ一気に上空へ舞い上がった。
理世はその隙に、二人の元に駆け寄って行く。
「ヘラ!」
「リッカ!」
ヘラは理世に抱き着き、グスグスとしゃくりあげた。
「リッカ…あいつ等に襲われた時、飛竜…あたしを庇ってくれたんだよ…。パパを傷付けて、誘拐までする様な奴だけど、あたしを、庇って…」
理世は涙を溢すヘラの頭を撫でて落ち着かせながら、両手で飛竜を揺する。
「!!」
微かに、指先に脈動が伝わって来た。大丈夫、彼はまだ生きている。
身体は血濡れだったが、先祖返りしかかった、腹部から生えた足を切り落とされた際の出血の様で、致命的なものでは無さそうだった。
ただ出血量は多い。
直ぐに動くのは困難な様子だ。
「飛竜さん!飛竜さん!しっかりして!」
「リ、リッカ…」
「飛竜さん…ごめんなさい…」
「ハッ…何で、お前が謝る、んだ…」
貴方が、ヘラを見捨てるんじゃないかって思ってたから。
「飛竜さん。少し休んでたら動ける?」
「お、前…何するつもりなんだ…早く、逃げろ…!」
「逃げない。ヘラと貴方を守らなきゃ」
理世は飛竜に優しく微笑みかけてみせた。
そして血の気の引いた頬を両手で挟み、顔を覗き込む。
「飛竜さん。身体が動く様になったら、ヘラを連れて逃げて」
「い…嫌、だ…」
理世が目を見つめた途端、飛竜は一瞬早く目を瞑った。
「お前の…目を見なきゃ、大丈夫なんだよな…」
「あ!もう、飛竜さんたら…」
「リッカ、大丈夫。あたしが飛竜とリッカを連れて逃げる。あたしだって甲虫人だよ?単純な力だけなら飛竜にだって負けないもん」
「ヘラ…」
理世は少し考えた。
ボウガンで戦っている間に二人を逃がそうと思ったが、飛竜がいつ動ける様になるのかわからないのだ。
「っぶねぇな!何だこの女!いきなりぶっ放してきやがって!」
「おいエグル!取り敢えず全員ぶっ殺してから翅だけ貰って行こうぜ」
凶暴な顔つきになった二人の鳥人が、上空から此方を睨んでいる。
その顔を見ながら、理世はふと思った。
――あ、理世、もしかしてこれ、イケるんじゃない?
「ねぇヘラ。飛竜さんを担げる?」
「うん、大丈夫」
そう言うと、ヘラは飛竜を軽々と横抱き、所謂お姫様抱っこをした。
「うわ、凄い絵面だね」
「くそ…ダセぇ…」
得意そうに笑うヘラと悔し気な飛竜。
その二人を見やった後、理世は再び、ボウガンを上空に向かって構えた。




