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54・突然の襲撃


工房の前に着いた時、理世は異変に気付いた。

いつもはかなり遠くからでも、アトラスの振るうハンマーの音が聞こえる筈なのに、何も聞こえない。


「あれ?留守なのかな…?」


それにしても、3人全員居ない事なんて今まで無かった筈。

理世は、不意に背中がゾクリとするのを感じた。


変だ。誰の気配も無い。


「アトラスさーん!ヘラ―!居ないの?クレス―!」


工房の中を覗いても誰も居ない。

だが、炉にはパチパチと音を立てながら、炭火が燃え上がっていた。

留守にするなら、火は落として行く筈だ。


じゃあ皆は何処に居るの?


「カ…リッカ…!」

「え?何?クレス?」


工房の奥の奥、仕上がった刀を休ませる棚が置いてある部屋からか細い声が聞こえる。

クレスの声の様だった。


急速な不安に駆られた理世は、急いで奥の部屋に駆け込んだ。


「クレッ…」

ス、と言う声は喉の奥に引っ掛かり、それ以上出て来ない。


「嘘…」


――頭や背中から血を流し、うつ伏せに倒れたまま動かないアトラス。

そしてその向こう側、柱に縛り付けられているクレスが居た。

だがヘラの姿は何処にも見えない。


外れかかった猿轡の端から懸命に声を出すクレスの元に駆け寄り、急いで拘束を解いた。


「クレス!一体何があったの!?ヘラは!?あぁ、その前に誰か呼んで来なきゃ…!」


飛竜ひりゅうだよ!飛竜の奴がいきなりやって来て、父ちゃんを剣で切りつけたんだ…!父ちゃん、姉ちゃんを人質に取られてたから…!」


悔しさのあまり泣き出すクレスを抱き締めながら、理世は大パニックに陥っていた。

飛竜さん!?飛竜さんが何で!?


薄情かもしれないが、ここの所の忙しさで彼の事をすっかり忘れていた。

だが今はそんな事より血塗れのアトラスをどうにかしないと、と動かないその傍らに跪き、そっと首元を触る。


「良かった、生きてる…」


微かにだったが、触れた指先に脈を感じ取った。

理世は泣きじゃくるクレスにそれを伝える。

クレスは一瞬、泣き笑いの様な表情になると倒れ伏す父親に取り縋った。


「クレス、早くお医者様を呼んで来なくちゃ!」

「待ってリッカ!姉ちゃんが、飛竜に連れてかれたんだ!」

「ヘラが?飛竜さんに?」


先程からヘラの姿が見えない訳がこれで分かった。

だが、飛竜がヘラを連れて行ったとは一体どういう事なのだろうか。


「飛竜が、リッカに伝えとけって…。一人で、インセクタまで来いって…」

「インセクタ…」


確か、カイザーが言っていた。

飛天派と地走派が唯一混在して暮らす街で、昆虫人達の翅や硬皮を奪う、鳥の国が近い。

飛竜はそんな所に、ヘラを連れて行ったのか。


理世は冷たい汗が全身に流れるのを感じた。

ヘラを助けに行かなければ。

飛竜は自分が目的なのだ。行けば、少なくともヘラを解放してくれるのではないだろうか。


「クレス。お医者様を呼んだら、ジーンさんにも知らせておいて。私はヘラを助けに行って来るから」

「リ、リッカ…」


不安げなクレスの頭を撫でると、理世はアトラスの手をしっかりと握った。


「アトラスさん、ごめんなさい…。ヘラは絶対に無事に取り戻してみせるから、待ってて」


耳元で囁き、立ち上がりかけた理世の手が思わぬ力でガシリと掴まれる。

驚き飛び上がった理世の目に入って来たのは、先程まで意識の無かったアトラスが懸命に顔を起こそうとしている姿だった。


「父ちゃん!」

「アトラスさん!」


かけられる二人の声に唇を歪めて応えてみせながら、アトラスは懸命に理世の方を向き声を絞り出した。


「行くな、リッカ…」

「何言ってるの!?ヘラが連れて行かれてるんだよ!?」

「一人では、行くな…。蟻人の…兄ちゃん達に助けて貰え…。飛竜は、普通じゃなくなって、た…」

「普通じゃ、ない?」


理世は問い掛ける様にクレスの方を見た。

クレスは拘束されていた。その”普通じゃない”飛竜の状態を見ている筈だ。


「飛竜…身体がおかしくなってた…。右目が顔の半分くらい大きくなってて、顎の辺りからデッカい牙が出てた。それに腰から腕が二本も生えてて…」


――理世は、眩暈を起こしそうになった。


まさか、そんな。


そして、以前頭にふっと過ったある事に思い至る。


蛾人の里で、理世は飛竜に”異界の強制力”を使った。

強制力に支配された飛竜は理世の指示通り、その場を離れて行った。


(あぁ、まただ。理世の馬鹿!!)


――強制力が通じたのだ。

それは理世がどの種族をも受け入れられる”人間”だからに他ならない。


だとしたら、その可能性に思い至るべきだった。


飛竜がフォイアーやカイザーと同じ様に”狂う”可能性があった事に。

あの時、心に何かが過った時に、もっとそれについて考えるべきだったのだ。


いつも、いつも自分はそうだ。

何かが起こってから、あの時あぁすれば良かった、こうすれば良かった、と考える。

取り返しがつく事ばかりでは無いと言うのに。


「アトラスさん、心配しないで。大丈夫だから。必ずヘラと一緒に帰って来るから!」

「リ…リッカ…頼れ…あいつ等を…。お前の為なら…何だってするだろ…」


ううん、それは駄目なの。

それをしてはいけないの。彼らには、新しい幸せを掴んで貰わないといけないんだから。


自分で、どうにかしないと…!


「クレス。早くお医者様を呼んで来て。お医者がいらしたら、ジーンさんへの連絡も忘れないでよ?それから」

「分かった!で、それから…?」


理世は目を伏せ、震える手を握り締めながら小さく息を吐いた。

そしてクレスの頬に両手を当て、真っすぐにその顔を見つめる。


「良い?絶対に、カイザー達に…蟻人達にこの事を話しては駄目。もし何か聞かれたら、アトラスさんが入院してヘラはそれに付き添ってるって言うの。私は材料集めに出かけたって言って」


――クレスの目が一瞬ぼんやりとなり、直ぐに我に返った様な光を取り戻す。

「…わかった。絶対に言わない」


力強く頷くクレスの頬を撫で、理世は「良い子ね」と微笑んだ。


”異界の強制力”は雄であれば子供にも通用する。理世は一つ発見をした。


「じゃあ言って来るから」

「リッカ…気をつけて…」

「うん。ありがとう」


チラと目線を動かすと、苦し気な息を吐きながら何とか状態を起こし、柱にもたれかかっているアトラスと目が合った。


出血が酷く、最早声も出せない様子のアトラスだったが、理世を見つめ返す眼差しは力強く鋭い。

そして咎める様な眼差しで理世を見ていた。


「ごめんなさいアトラスさん。理世のせいでこんな事になって。でも、理世はただ犠牲になるつもりは無いの。ちゃんとヘラと一緒に帰って来るから。だから、そうしたら、また理世のお願い聞いてね?」


アトラスは暫く理世を睨み付けていたが、やがて諦めた様に目を閉じた。

そして再び目を開け、”行け”と言う様に顎を少し動かす。


理世は大きく頷き、「行って来ます」と言うと、外に向かって駆け出して行った。



アトラスは血煙の混じった息を吐きながら、走り去る少女の背中をじっと見つめる。

先程、リッカがクレスに対してしていた事。


”羽無し”の特殊能力については傭兵だった若い頃に聞いた事があった。


番のいない全ての雄を従わせる事が出来るというその能力、まさか子供のクレスにまで通用するとは思ってもいなかった。


それよりも、リッカは本当に周囲の気持ちに鈍い娘だ。

いや、鈍いと言うよりは異様に自己評価が低いと言うべきか。


自分がどれだけ周囲の者に愛され、大切にされているのか全く理解していない。


リッカに何かがあれば、あの蟻人の二人は元よりジーンだって嘆き悲しむだろう。

ジーンの悲しむ顔は絶対に見たくない。


番であった妻を失って久しい自分は、実は既に”番の感覚”はだいぶん薄れて来ているのだ。


それでも、リッカの能力の対象外でいられたのは、他に想う女性が居たからに他ならない。


――つらつら考えている内に再び意識が薄れていく。視界の端に、白い何かが動くのが見える。

そして誰かの声。クレスが呼んだ医者だろうか。


(リッカの奴。帰って来たらお尻ペンペンしてやらねぇとな)


アトラスは微かに笑いながら、ゆっくりと目を閉じた。



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