05・玻璃鐘城
「着いたよ」
何となく気まずい沈黙の中、弥未に声をかけられ、美琴はそっと顔を上げた。
「凄い…!」
――目の前には、見た事も無い巨大な木の、枝と枝の間に築かれている大きな城。
その巨木はそびえ立つ石の崖を覆う様に枝が張り巡らされ、城は崖を背にした形で建っている。
城と言うよりも、幾つもの階層が連なる、まるで巨大な要塞の様な造り。
「あの大きな木は何なの?」
「世界樹だよ。城の近くには大体生えてる。まぁ世界樹が無いと城は造れないからね。例外はあるけど」
「例外?」
「姫は知らなくて良いの」
弥未はどうやら、美琴にあまり他の城や城主の情報を与えたくは無い様子だった。
察した美琴はそれ以上の質問を差し控える。
城の城門に差し掛かった所で「お館様―!」と言う何処か幼い声が聞こえて来た。
飛んで来たのは、小柄な蜂人の少年。歳は妹の理世と同じ位だろうか。
キラキラとした瞳で、嬉しそうに弥未を見上げている。
「ただいま、季彩。姫を連れて帰って来たよ。どう?綺麗でしょ」
自慢気に美琴を抱き寄せる弥未に、少年は「はいっ!遠くからでも分かりました!初めまして姫様。僕は季彩と申します!」と元気良く挨拶をして来た。
「初めまして。私は美琴と…「名前は言わなくても良いよ」
自己紹介をしようとした美琴を、不機嫌そうに弥未が遮る。
「そんな、どうして?」
「いえいえ!姫の名前は夫になる者しか呼んではいけないんですよ。正確には、”夫候補”なので他の城主も呼べるんですけどね」
「余計な事は言わなくても良い」
弥未はゴツッと音を立てて季彩の頭に拳骨を落とす。
「何?季彩、お前は俺が姫をそうやすやす奪われるとでも思ってるの?他の奴が姫の名前を呼ぶどころか目にする機会さえ無いんだから関係無いだろ?」
「も、申し訳ございません、お館様…」
頭を押さえて涙目になる少年は、弥未に向かって慌てて頭を下げる。
「俺が出てる間、何も無かった?」
「はい!警戒線ギリギリまで鼈甲城の連中が来ていたみたいですが、直ぐ居なくなりました。都万赤隊長が”姫は六角城に有り”と偽情報を流してましたから」
弥未は軽く頷くと、「姫、部屋に連れてってあげる。少し休んだら季彩に城内を案内させるから。俺はちょっと仕事があるからごめんね?」と美琴の手を引き、城の中へと歩き出した。
********
六角城の城主、瀬黒はイライラと爪を噛んでいた。
虫神の祈祷が始まった事を真っ先に突き止めたのは自分達なのに、肝心の姫を手中に収める事が出来なかった。
おまけに、”姫は六角城が手にした”と偽の情報が流された事で、警戒線には引っ切り無しに他城の者がうろついている。
「ったく、それにしても今までは蟻人の女王とは時期がズレてたじゃねーかよ!何で今回に限って同時なんだよ!」
しかも、全く違う筈の”蜂人の姫”と”蟻人の女王”の気配にはどこか似たものがあった。
だから自分達は誤って女王側に向かって行ってしまったのだ。
間違いに気付いた自分達を見る、あの蟻共の小馬鹿にした様な目つきは一生忘れない。
その女王は既に発見され、カイザーの腕にしっかりと抱かれていた。
不思議そうに此方を見る女王に向ける、蟻連中のねっとりとした熱の籠った眼差し。
とても愛らしい顔立ちだったが、奴等にあそこまで執着されたら、その顔が泣き顔に変わるのもそう遠くないだろう。
――城の外から衛兵達の怒号が聞こえる。
瀬黒は蟻人の変人達と哀れな女王の事を考えるのを止め、溜息を吐きながら城の外へと向かって行った。
********
「はい、此方が姫のお部屋です。と申しましても、此処はお館様のお部屋なんですけど」
僕は側近なのでお部屋に近付けるんですよ!と胸を張る季彩に、美琴は思わず笑いだしてしまった。
「ひ、姫!僕、何かおかしな事でも…?」
途端に不安そうになる季彩に、「ううん、ごめんなさい。アナタが余りにも可愛かったから」と微笑む。
季彩はボンッと音がしそうな程顔を赤くし、「そそそ、そんな事無いです!」両手をバタバタとさせた。
「え、えーと。姫、どうぞこの長椅子でお休み下さい。今、飲み物お持ちしますから」
コホンと咳ばらいをし、気を取り直したように言う季彩に「ありがとう」と礼を言う。
――お茶を取りに行く季彩の後ろ姿をじっと見つめる。
弥未はまだ時間がかかるのだろうか。今の内に集められるだけ情報を集めておいた方が良いかも。
しかし、どう切り出したものか。
側近と言うからには、ある程度の口止めもなされているだろうし…。
美琴が悩んでいると「お待たせ致しました!」と元気よく、ワゴンの様なものをガラガラと押しながら季彩が戻って来た。
「姫のお世話係が決まったら、今度からその者がやってくれますからね。今日は僕でご勘弁下さい」
覚束ない手つきで季彩が淹れてくれたお茶は、花の香りのする不思議なお茶だった。
「美味しい!」
一口含んだだけで、口の中で花の香りがふわっと弾ける。
甘さも程良く、何だかコクのある甘味がして、喉が渇いていたのもあり美琴はあっという間にカップを空にしてしまった。
「ふふ、喜んでいただけて良かったです」
「ご、ごめんなさい私ったら…!」
がっついてしまった。こんな姿、理世には絶対に見せられない。
「これは蜜飴を溶かしてるんですよ」
「蜜飴?」
「はい!城下に花の蜜や樹液を集めて加工する専門の街があるんですが、そこの名産品なんです。何処の城も城下に蜜加工の街があって、独自の配合があるんですよー!」
へぇ…と美琴は感心した。多分、私達の世界で言うミツバチが住む街があるのね。
ん…?各城に蜜加工の街がある…?独自の配合…?
「ね、ねぇ季彩君」
「季彩と呼び捨てになさって下さい、姫」
「あ、じゃあ季彩。他のお城の蜜飴はどんな味なの?ちょっと興味あるなー、だってコレ凄く美味しいもの!」
ニッコリと微笑みかけると、季彩少年は再び顔を真っ赤に染めた。
◇
「基本的に、自分の城の近くにしか自生してない花の蜜が元になるんですが、ウチのは”翠花”の蜜と世界樹の樹液、それと何種類かの果物の花の蜜です。六角城は”紫蓮華”と世界樹の樹液、その他の細かい配合は不明です。”鼈甲城”は海の側の巨大岩盤をくり抜いて建ってるので、樹液の代わりに”甘燕”の唾液と”碧玉草”の蜜、以下同分です。”雁城”は”白桜”の蜜と世界樹の樹液、”鈴目城”は”銀蘭”の蜜以下略です」
長い説明を一気に喋った季彩は、ゲホゲホと咳き込んでいた。
美琴は卓上に備え付けてあった水差しから、グラスに水を注いで渡してやる。
ありがとうございます、とお礼を言うと、季彩は一息に水を飲み込んだ。
成程。じゃあその草花が分かれば、その近辺にはお城があると言う事なのね。
そして鼈甲城のみ、海の側にある。
もう少しだけ情報が欲しい。
美琴は「…それぞれの城主様ってどんな人達?」と駄目元で聞いてみた。
「え、うーん、そうですね…。何方も、お館様程には格好良くも無いし強くも無いし頭良くも無いし優しくも無いです」
「そ、そう…」
全然参考にならない。
その時、外から「姫ー。仕事終わったから俺が案内してあげるよー」と弥未の声がした。
「流石、お館様!そうそう、何方もお館様程お仕事早くも無いと思いますよ!」
誇らしげに言う季彩に「えっと、馬追月なんだけど…」と慌てて話を振る。
弥未が来る前に、これだけは知っておきたい。
「馬追月がどうかなさいました?あ、お館様のお誕生日は3ヶ月後の”鎌切月”の15日ですよ。因みに馬追月が誕生日なのは僕です」
7ヶ月後には成人するなんて、実感湧かないです!と照れ臭そうに笑う季彩に、「その時は何かプレゼントあげる」と美琴は優しく微笑みかけた。
◇
季彩と入れ替わりに入って来た弥未に「今ね、蜜飴のお話聞いていたの」と美琴は先に説明をした。
絶対に、何を話してたのか知りたがるだろうと思ったからだ。
城主の情報を得ようとした事や、月の話は出来れば耳に入れたくはない。
「…そう」
「うん。ねぇ、この蜜飴、飴玉になっている物は無いの?」
蜜飴に多分に興味が湧いたのだと、思って貰いたい。
「うん、あるよ。後で持って来させるよ」
「ありがとう、弥未」
お城、案内してくれるのよね?
そう言って長椅子から立ち上がろうとした美琴を、近寄って来た弥未が押さえつけ、そのまま覆い被さって来た。
「な、何?」
(あ、また眼が笑ってない)
弥未は身体を瞬時に強張らせる美琴の唇に優しくキスを落とす。
両手首を掴み長椅子に縫い留めたまま「美琴。他には?」と耳元で甘く囁いた。
「ほ、他って」
「他に何話したの?隠したり嘘ついたりしたら駄目だよ。そしたら俺、気になり過ぎて季彩を拷問しちゃうかもしれない」
「なっ…!」
――鈴目城の蜂人を襲った時の様子が思い浮かぶ。この男なら本当にやるかもしれない。
あんなに己を慕っている部下でさえも、平気で。
「本当に、蜜飴の話だけだもの。お城によって色んな味があるとか…」
「美琴。他の奴等の飴食べたいの?」
「え?うん…機会があるんだったら。だって、本当に美味しかったし…」
暫く美琴の目を見つめていた弥未は「そっか」と笑うともう一度、チュッと音を立ててキスをした後、美琴を優しく抱き起した。
「ごめん美琴。怖がらせないって約束したばかりなのに。俺、自分がこんなに嫉妬深いって初めて知ったよ。美琴の事は何でも知っておきたいんだ。あぁ、飴は今度会合の時にでも貰って来てあげる」
「うん…」
優しく抱き締めて来る弥未に、どうにか笑顔を返しながら、美琴は今更ながら自分を捕まえた男の正体を推し量る。
美しくて強くて残酷で頭が良い。
余程上手く立ち回らないと、この男を出し抜いて逃げるなんて到底出来やしないだろう。
「じゃあ姫。玻璃鐘城の中を案内するね、行こう」
お城の中を良く観察して、7ヶ月後には無駄の無い行動を取れる様にしておかないと。
美琴は、伸ばされた手をしっかりと握り締めた。