25・報復の女王
美琴は、お茶と蜜餅を乗せたワゴンをガラガラと押していた。
理世と引き離され、部屋に閉じ込められて心細いであろうフォイアーを少し休ませようと考えたのもあるが、妹への思いとその覚悟を、聞いてみたいと思ったのだ。
愛と執着は似て非なるもの。
妹に向ける感情が確かに愛ならば、何としても助けてやりたいが執着ならば話は別だ。
廊下を進んでいると、向かい側から一人の男が歩いて来た。
赤毛の、長身瘦躯を見て美琴は微かに眉を顰めた。
何故、弥未の側近である彼が、フォイアーさんの部屋の方から?
「これは姫。この様な場所に如何されました?」
「フォイアーさんに、お茶を持って来たの。弥未には反対されたんだけど、ちょっと離れた隙に来ちゃった」
肩を竦めながら微笑む美琴に、赤毛の男――都万赤は露骨に顔を歪めた。
フォイアーは居ない。お館様の意向を受けて、自分が”逃がした”からだ。
首尾よく奴が女王を”食って”くれたら、折を見て「フォイアーが女王を追って逃げた」と告げるつもりではあるが、今はまだ姫を部屋に向かわせる訳には断じていかない。
「…姫。私も今様子を見て来た所です。かなり狂乱している様なので、お会いになるのはお控え下さい。卵に危険が及ぶかもしれません。ここで姫を行かせてしまうと、私がお館様に叱られます」
”私が”を心持ち強調すると、美琴はあからさまにしょんぼりとした。
姫は心優しい。自分のせいで、他の者が咎めを受ける事を何より恐れる。
「ん…それは困ったわね…。弥未、怒ると怖いから…。じゃあまた今度にするわ。彼、何かわかるまでは玻璃鐘城に居るのよね?」
「え、えぇ、まぁ」
都万赤の歯切れの悪い返事には気付かず、それなら、と美琴は明るい声をあげた。
「そしたら都万赤さん。せっかく用意したんだから私とお茶の時間をしましょう。この蜜餅、弥未がとっても喜んだの。貴方も食べてみて」
「え!?いえいえ、私はそんな、」
「ほら、早く早く!お茶が冷めちゃうから!」
片手でワゴンを押し、残る片手で都万赤の腕を取り、鼻歌を歌いながら元来た道を戻る美琴にグイグイと引っ張られながら都万赤は蒼白になっていた。
(冗談じゃない!姫と二人で居る所をお館様に見られたりなどしたら、私は確実に殺される!)
都万赤は頭をフル回転させながら、この状況から逃れる術を必死になって探していた。
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「カイザー!どうかしたんですか!?リセ…女王は!?」
呆然と部屋に立ち尽くすカイザーの元に、クーゲル達3名が異変を察知し、駆け付けて来た。
「ねぇカイザー!女王は!?」
アルメーに腕を掴んで揺さぶられながら、カイザーは眩暈を起こしそうな程の激しい後悔に苛まれていた。
リセが望んだ時に、何故部屋に連れて行かなかったのか。
余裕を見せたかったのとは別に、リセが自分に少し腹を立てていた事はわかっていた。
自分を困らせる為に、意地になって誘いをかけてきたのだろうとも薄々理解していた。
だからそんな事で、身体に負担をかけさせたくなかった。
――それでも構わずに、その身体を抱き締めれば良かったのだ。
フォイアーならそうしただろう。だからこそ奴は狂い、そしてリセを手に入れる事が出来た。
意趣返しだろうが何だろうが、飛び込んで来たのなら素直に受け止めるべきだった。
そうしたら、リセは今頃、オレの腕の中に居た筈なのに。
「カイザー…?」
心配そうに見つめる仲間達を余所に、カイザーは飛び去った二人を追う事も出来ず、その場にただ立ち尽くしていた。
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「リセ、大丈夫…?」
「うん大丈夫。ちょっと風は強いけど、寒くないわ。人型の時に抱っこされて飛んでる時は、身体が曲がってるから結構辛かったけど、今は快適」
巨大羽蟻に横座りで座り、玻璃鐘城に向かいながら理世はのんびりと答えた。
「あ…そうじゃなくて…」
もごもごと口籠るフォイアーに、理世はクスリと笑いを返す。
「あぁ、カイザーの事?そうだね、傷付けた事は申し訳ないと思ってる。でもやっぱり、理世は器用じゃないから、二人を同時には愛せない。ただそれだけ」
足をプラプラさせながら淡々と言う理世に、今更ながらフォイアーは己の短慮を恥じる。
何故、リセを信じなかったのか。何故、あんな奴の言葉に踊らされてしまったのか。
リセはああ言うが、カイザーの事は確かに愛していた筈だ。
本人がそれに気づいていたかどうかは別だが、”気に入りを咬む”カイザーの悪癖の被害に最も晒されていたクセに、リセがカイザーを見つめる瞳の色は、誰にも向けられた事の無い色だった様に思う。
(ボクの、せいだ…)
ボクが、自分を上手くコントロール出来なかったから。リセを信じなかったから。カイザーを殺したいと思ったりしたから。
「リセ…。玻璃鐘城に行くの、止めよう…?」
「どうして?だって、フォイアーに嘘ついた人が居るんでしょ?理世、その人の事許せないんだもの」
――そのせいでカイザーから離れる羽目になったから?
この期に及んでまだ、そう穿った見方をしてしまう自分に吐き気がする。
フォイアーはその考えを振り払う様に軽く頭を振った。
「でも、ボクがリセを信じなかったのが悪いんだよ…?ボクは、リセが側に居てくれるならそれで良いんだ…」
だから、仕返しなんて止めようよ…。
そう消え入る様な声で言うフォイアーの、硬い身体を指先でそっと撫でる。
「…フォイアー、何か誤解してるでしょ。”仕返し”って言ったって理世、別に玻璃鐘城に向けて銃をぶっ放そうとか思ってる訳じゃないのよ?理世は、ただ食べられて終わった”無垢の姫”だっけ?その人とは違うって思わせたいの。きっと、蜂人達は貴方に理世を傷付けさせたかったんだよね?だから、二人で仲良くしてる所を見せるのが、一番仕返しにならない…?」
「そ、そう…?」
「そう」
なら良いけど…。
戸惑いながらも頷いたフォイアーは、予定通り玻璃鐘城に向かって飛び続けた。
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「季彩、美琴は?」
大量の文献を自ら書庫に戻しに行った弥未は、執務室に美琴の姿が見えないのに気付く。
本来ならば、そんな雑事は下の者にやらせるのだが美琴に知られたくない内容が書いてある文献は書庫の最深部に隠して来た。
美琴が文字を読めなくても、読める者に頼まないとも限らない。
「姫なら、お部屋に向かわれました。私が入り口まで護衛致しましたから」
「…部屋には居なかったけど?俺はここより先に美琴の部屋に行ったんだけどね」
次第に不機嫌になる弥未に、季彩は真っ青になる。
そんな馬鹿な。確かに部屋まで送り届けたのに。
「お、お探しして…!」
「その必要は無い」
何処か疲れた顔で、都万赤が執務室の入り口に立っていた。
その後ろには申し訳なさそうな顔をした美琴がしょんぼりと立っている。
「都万赤隊長…!良かった、姫は何方にいらしたのですか!?」
心底ホッとした顔の季彩とは裏腹に、弥未は冷たく凍った視線で都万赤を見つめている。
「お館様。姫はお館様を探しに行っておられた様です。フォイアーの様子を見に行った帰りに偶然姫をお見かけしましたので、此方にお連れしました」
――都万赤は前もって美琴に告げていた。
『お館様がお仕事中に私が姫と過ごすなど到底許されません。お館様の所に戻りましょう。フォイアーの所に行こうとした事は言わない方がよろしいでしょう』
駄目押しに、フォイアーに何かがあれば女王が悲しむ、とも言っておいた。
これで、”姫と二人でお茶”と言う命の危機から逃れる事が出来たのだ。
「ごめんなさい、弥未…」
都万赤の後ろからおずおずと顔を出し、弥未の着物の端を掴む。
弥未は軽く溜息を吐き、美琴をそっと抱き寄せた。
「…美琴。お願いだから俺を不安にさせないでくれ。書庫に行って戻るまでの間位、待てるだろ?」
「うん…」
美琴が弥未の背中にそっと手を回した瞬間、遠くの方でつんざく様な悲鳴が聞こえた。
同時に、複数の怒号も聞こえて来る。
「瑠璃の声だ…!」
季彩が声のする方へ駆け出そうとした時、轟音と共に執務室横の壁が崩れた。
弥未は咄嗟に美琴に覆い被さり、その身を守る。
「な…何!?何が起こったの!?」
「あー、ごめんねお姉ちゃん。お城、ちょっと壊しちゃったー」
――粉塵の舞う中、呑気な声と共に瓦礫を踏みしめて現れたのは、巨大な羽蟻を従えた理世。
ギチギチと顎を鳴らすその凶悪な容貌に、美琴は悲鳴を上げた。
「理世!?どうしたの!?それに、その大きな蟻…!」
「あぁ、フォイアーよ?何処かの誰かさんが、理世がフォイアーを捨てようとしてるって嘘ついて彼を騙したみたいでね?傷付いたフォイアーはこんな姿になっちゃったの」
美琴はハッと息を飲み、急いで弥未の顔を見る。
その顔は無表情だったが、こめかみに一筋流れる汗を見た途端、美琴は顔色を変えた。
「まさか…!弥未、貴方が?」
「良かった、やっぱりお姉ちゃんは関係無かったのね。フォイアーを騙したのはツマ何とかさんですって。でも、お姉ちゃんの彼氏がここで一番偉いなら、彼の指示はあった筈よね?まさか、”秘書が勝手にやりました”とか言うつもり?」
理世は薄っすらと微笑みながら、弥未を真っすぐに見つめた。




