20・美琴のお説教
美琴は警護の蜂人を押し退け、フォイアーに近付いた。
投げつけた靴を拾い、ゆっくりとそれを履き直すと腕組みをして戸惑う大男を見上げる。
「ねぇ。アナタ、理世の何処が好きなの?顔?うんうん、わかるわ。可愛いものね、私の妹は。他は?」
「ほ、他って…ボクは…」
「無いの?直ぐに出て来ないの?それで、”リセは僕だけのもの”とかどうして言えるの?この世界の常識は私達の世界とは全く違うの。アナタは理世に甘えるばかりじゃない。じゃあ理世は?理世は誰に甘えれば良いの?」
「ボ、ボクが居るだろ…!?」
「アナタそんな器じゃないでしょ。さっきは敢えてスルーしたんだけど、樹星さんが理世を”庇った”って事は、アナタの狙いは理世だったって事よね?どうせ、自分に靡かないなら殺そうとか思ったんでしょ。やだぁ、ヤンデレってリアルで初めて見たー」
「お、お姉ちゃ…!」
理世はオロオロと姉とフォイアーを見比べ、最後に助けを求める様にカイザーを見つめる。
カイザーは無言で理世を見返し、微かに首を振った。
「そ、それは…。でも、だってボク、ただリセを渡したくなくて…!」
「理世がこの世界で心の安定を得ながら生きて行くには、甘えてくれるアナタと甘えさせてくれるカイザーさんの2人が必要なんだと思うわ。それも本来は私達の世界じゃあまり良い選択とは言えないのよ?ねぇ、だからカイザーさんと一緒に、理世を支えてあげられない?」
「一緒に…支える…?」
美琴はフォイアーの腕をポンポンと軽く叩いた。
「理世の男を見る目は今一つだけど、その中でもアナタ達はまぁマシな方かな?でも、理世が困る事したら怒るからね?」
「う、うん…」
フォイアーはまるで子供の様に頷きながら、大人しく腕を撫でられている。
理世は胸を撫で下ろしながら、しかし内心は複雑な思いでいた。
(お姉ちゃんは、理世がここで生きて行くと思ってる…。でも理世は…)
帰りたいのだ。どうしても、元の世界へ。人間の世界へ。
――二人の男の機嫌を取らなくても良い世界に、帰りたい。
◇
「お疲れー、弥未、終わったかぁ?」
何処となく緊迫した空気の中、のんびりとした声がかかる。
「瀬黒…」
「おー、雁城の城主は決めて来たぜ?芦長って奴。今度挨拶来る様に言っといたから」
「あぁ、悪いな」
瀬黒はへらへら笑いながら周りを見渡していたが、理世と目が合った瞬間、気づかわし気な顔でフォイアーを見て、また理世に視線を戻した。
狂い蟻の話か。
しかし、本人の目の前でその話をするのはどうだろうか。
(あぁでも、時間がもうあまり…)
理世は悩んだ末、非常にシンプルかつ、ストレートな言い方をした。
「フォイアー、ちょっと別の部屋に行っててくれない?」
「えっ…どうして…?」
「貴方の事を話すから」
「ボ…ボクの事…?何…?悪口…?」
いや小学生じゃないんだから。
理世は「違うわ。貴方の身体の事を相談したいの」とフォイアーの手を握った。
「ボクの身体…?」
「そう。でも、何て言うか、直接聞くとショック受けるかもしれないし…理世も思ってる事言いにくいし…」
「ボクなら大丈夫だから…!リセ、ボクを邪魔にしないで…!」
うーん、と考えた後、理世はフォイアーにその場に居る許可を出した。
「じゃあ良いけど…。その代わり絶対に武器を出さないでよ?迷惑だし危ないし、此処はお姉ちゃんの住んでるお城なんだから壊されたら理世が困る」
「わかった…。リセが困る事はしないよ…。姫と約束したし…」
フォイアーは神妙に頷きながら、大きな体を縮めビクビクと美琴の顔色を窺っていた。
(…今まで、誰かに怒られるって事が無かったんだろうなぁ)
こういう時、少女漫画なら”初めてボクを叱ってくれた…!好き…!”なんて展開なんだけど。
残念ながら、フォイアーは美琴に対して純粋な恐怖の表情を浮かべていた。
◇
「フォイアー、上半身裸になって。それで其処の椅子に座って」
「ぬ、脱ぐの…?どうして…?嫌だよ、リセ以外の前で裸になるの…」
「上半身だけって言ったでしょ?ほら、女子っぽい台詞吐いてないで早く」
渋々、といった体でフォイアーは上着を脱ぎ、続けてシャツを脱いだ。
「…っ!フォイアー、お前…!」
カイザーの驚愕の声。その目はフォイアーの身体に釘付けになっている。
上半身に広がる、黒鉄色の硬質の皮膚。前髪の隙間から見え隠れする、濁った金色の瞳。
「成程。狂いの度合いが酷くなって来てるのか」
弥未が苦い顔で呟く。
美琴は両手で、口元を押さえていた。
「…瀬黒さんから聞いたの。このまま完全な狂い蟻になると、”神と同じになる”って。お姉ちゃん見たでしょ?あの大型犬並みの大きさの蜂神と蟻神。あんなになっちゃうんだって。でも理性は無くなるみたい。取り敢えず理世、このままだとフォイアーの餌になっちゃう可能性大なんだけど」
何代か前の”無垢の姫”は食べられちゃったんだって。”狂い蜂”の完全体に。
そう言う理世を、美琴は蒼白な顔で見つめた。
「…前言撤回するわ。フォイアーさん、アナタは理世に近付かないで」
「待ってお姉ちゃん。でもね、目のくすみみたいなのは少し治って来てるの。えっと、何て言うか理世が側にいて、ご機嫌取ってれば良くて…。でも根本的な解決にはなってないんだよね。弥未さん、この”狂い”が治った例とか無いんですか?」
「…古い文献を調べてみますよ。ただ、間に合うかどうか…」
美琴は弥未の言葉を聞き終わるより早く、理世に駆け寄りその身体を抱き締めた。
弥未はそんな美琴を見つめ、一瞬眉を顰める。
(女王をあまり長居させたくないな。馬追月は来月だし、美琴が影響されて妙な気を起こしても困る)
女王が元の世界に帰ろうが食い殺されようが自分にはどうでも良い事だが、美琴を連れ帰らせる訳には断じていかない。
「カイザー」
「何だ?」
「フォイアーは暫く玻璃鐘城で預かるよ。お前は取り敢えず女王を連れて帰れ。他の連中も心配してるだろ?何かあったら連絡するから」
カイザーはフォイアーをチラ、と見た後に「わかった。そうする」と頷いてみせた。
「待って…!リセと離れるなんて嫌だ…!」
フォイアーは椅子を蹴り飛ばして立ち上がり、理世の元に駆け寄る。
「寄らないで!!」
美琴は理世を背後に押しやり、フォイアーとの間に立ち塞がった。その瞳には燃える様な怒りと恐怖が宿っている。
「…アナタは十分、理世を独占してきたでしょ。次はカイザーさんの番じゃないの?理世は、カイザーさんのものでもあるのよ?」
「嫌だ…!リセ…!」
フォイアーの両目が急速に澱み始める。美琴は思わず、理世を抱いたまま後退った。
「フォイアー!」
美琴の背後から理世が飛び出し、小さく唸り声を上げる大男に両手を伸ばした。
「あ…リセ…」
一瞬にして我に返ったフォイアーは、しゅん…と項垂れた。リセが困る事はしないと誓ったのに。
「フォイアー、あのね?ちょっとだけ頑張って?早く元に戻ってくれないと、卵が出来ないのよ?」
「え…?」
「卵。今のフォイアーと理世じゃ、何をどうしたって卵は出来ないんですって。子供…卵よりも理世の方に意識がいってるかららしいの。ね?困るでしょ?理世も困るの」
そこで理世は口籠った。これは言うべきだろうか。
理世は躊躇いながらも、いや、これは言っておこう。と意を決して口を開いた。
「…あのね。貴方もカイザーも、実は理世に拘る必要なんてないの。理世、蟻の神様に直接聞いたの。もし理世がいなくなっても、種を存続させる為に新しい女王が誕生するって。流石に理世達みたいな異世界人をそうそう連れては来れないから、蟻人の女性の中から、新しい女王様を選ぶって言ってたわ」
「リセ!?何を言って」
カイザーが慌てて駆け寄り、理世の腕を掴む。
理世はそんなカイザーに向かって小さく微笑みかけた。
両手を握ったフォイアーと横に駆け寄って来たカイザーの顔を見つめながら、「卵。馬追月の新月までに、二人の卵が出来なかったら理世は帰るわ、元の世界に。一人でも帰る。だからフォイアー、貴方には頑張って貰わないとね?」
「リ、リセ、待って…!帰るって何?ボクを置いてくの…!?」
「そう。置いて行くの」
(…恐らく、狂いは治らないんじゃないかな。現状維持は可能かもしれないけど。でもこれで、理世が帰る大義名分が出来た)
でも、もし、元に戻ってくれたならその時は。
理世は涙目になって取り縋る大男を優しく見やった。
――私を失いたくないなら、貴方は呑気に狂ってなんてられないのよ?




