19・再会の姉妹
理世とフォイアーは玻璃鐘城に向かった。
瀬黒は、「俺は後から行くわ」と言って雁城に残っている。
理世はフォイアーに抱きかかえられて上空を飛びながら、これまでの事を思い返していた。
大人しく、地底の屋敷に留まっているべきだったのだ。
そして早々に誰かを選んでおくべきだった。蜂人を誘惑しようなどと思うべきではなかった。
(理世は、本当に愚かだ)
もっとちゃんと考えておけば、フォイアーが狂う事も無かっただろうし樹星が命を落とす事も無かった。
全部理世のせいなのだ。
「…フォイアー」
「ん?どうしたの…?」
「…ごめんね」
え、と戸惑うフォイアーに「ううん、何でも無い」と返しながら首にギュッとしがみ付いた。
◇
玻璃鐘城の表門上空に到着すると、地上に背の高い人影があった。
人影は、上空の理世達を確認すると軽く片手を挙げた。
「カイザー!」
理世が呼び掛けると、自分を抱き締めているフォイアーの身体が強張るのを感じた。
「…もう。こんな事で一々妬かないで。貴方の事はちゃんと好き。理世の言う事信じられない?」
「ご、ごめんリセ…信じる、から…」
地上に降りた理世は、フォイアーの腕から離れカイザーに駆け寄って行く。
そして走り寄る勢いのまま、カイザーに飛びつきその首に抱き着いた。
「リ、リセ…お前…!」
反射的に理世を抱き返したカイザーの顔があからさまに青褪めていく。
理世の身体の奥深くからする、フォイアーの匂いに気付いたのだ。
「カイザー…ごめんなさい。理世が悪かったの。理世が馬鹿だったから、フォイアーがおかしくなっちゃったの。でも多分、理世と、その、”夫婦っぽい事”したからまだ抑えられてるんだと思うの。でも、理世はカイザーも好きなの。カイザーは?もう理世の事好きじゃない?」
カイザーは大きく息を吐いた。
「オレがリセを嫌いになる訳はないだろう?お前はオレとフォイアーを選ぶと言ってくれたが、お前を見ていると一人しか選べないんじゃないかと思っていた。だから、オレを選ぶのを止めると言われるかとずっと不安だったよ。でも、気のせいで良かった」
――元々、女王は複数の相手を選ぶものなのだ。
独占欲はあるが、”女王の初めての相手”になる事には重きは無い。
それを知らない理世は、カイザーの反応に心底胸を撫で下ろした。
「行こう。中で弥未と姫が待っている。フォイアーの事は後で聞くから」
「うん、わかった」
理世はカイザーに抱き上げられたまま、所在無げに佇むフォイアーに手招きをする。
主に許可を得た大型犬のごとく駆け寄って来るフォイアーの姿を見ながら、理世は小さく微笑んだ。
********
「お姉ちゃーん!」
「理世―!!」
互いの姿を認めると同時に走りだし、ひしと抱き合う姉妹。
髪や顔を撫でまわしながらきゃあきゃあと戯れる少女達を、周囲の男達は微笑ましく見つめていた。
「理世、こっちにおいで?蜜飴をあげるから」
「本当!?…あ、でも…そんなゆっくりもしてられないの…」
「どうして?」
「ちょっと、相談があって…」
理世は俯き、微かに目を泳がせる。
何かあったのだと、察した姉は弥未に目を向けた。
弥未は心得た様に「じゃあ、こっちの広間に来てくれるかな」と自ら先陣を切って歩き出した。
◇
広間の長テーブルには、既にお茶とお菓子、軽食類が用意してあった。
「わっ美味しそう!」
思わず感嘆の声を出した後、マズい、と言わんばかりに急いで口を塞ぐ妹を見て美琴はクスクスと笑った。
そして傍らに控えている侍女蜂に何事かを囁く。
程無くして、理世の目の前には良い香りのするお茶と、色とりどりの菓子が置かれる。
どれも、理世の好きそうなものばかりだった。
(ありがとうお姉ちゃん)
(良いの。遠慮しないで食べてね?)
蜂側と蟻側に分かれて座る姉妹の間には少し距離がある。先程とは打って変わって何処となく重たい空気が両者の間を漂っている。
何となく声を出すのが憚られ、姉妹は目線で互いの意思を伝えた。
「では女王。先ずは樹星が命を落とす事になった経緯から伺っても良いですか?」
美琴を一瞬見た後、玻璃鐘城の城主・弥未はやや硬い声で理世に問うた。
理世は頷き、そして弥未の方を向いた。
「その、最初に言っておきますけど、理世はあまり説明が上手くないんです。要領悪いかもしれませんが、其処はお許し頂ければと思います…」
「構いませんよ。どうぞ」
弥未に促され、理世は意を決した様に口を開いた。
「そもそも何故、姉に頼んで蜂人に助けを求めようとしたのか。それは元の世界に帰る為でした。蜂の皆様も、もうお聞きになったかもしれませんが、私達は昆虫人じゃありません。人間です。此方の世界の住人じゃないんです。此方の世界に来た時に、蜂神様と蟻神様に会って聞きました。”どうしても此方で暮らすのが嫌なら、馬追月の新月の日に石門を潜れば帰る事が出来る”って」
途端に周囲がざわつく。
弥未、と呼ばれる姉の伴侶も顔色が変わっていた。美琴は「ごめんね弥未。これだけは何となく言えなくて…」と申し訳なさそうに呟いていた。
「最初はお姉ちゃんと二人で帰るつもりだったんです。でもお姉ちゃんは卵が宿ったからこっちに残るって言うから、理世、裏切られた気持ちになって。じゃあ一人で帰るって思ったの。でも、何時もカイザー達5人に見張られてるからなかなか逃げ出せなかった。その点、蜂人は”強い雄”だけ警戒してれば良いからそっちの方が脱走の確率が上がるかと思ったの」
「理世!お姉ちゃんは裏切った訳じゃ、」
「美琴。ちょっと黙って」
弥未にビシリと遮られ、美琴は気まずげに押し黙った。
「続きをどうぞ、女王」
理世は頷き、言葉を続ける。
「それで理世の所に来たのが樹星さんだったの。見た目は優しそうなのにいきなりフォイアーの胸を刺すし女の人達に酷い事するし、凄く怖くて逃げた事後悔しちゃったけど、でも、彼は悪い人じゃなかったわ。理世は、嫌いにはなれなかった。フォイアーの攻撃に理世が巻き込まれそうになったのを庇ってくれたの」
室内に重苦しい沈黙が降り、弥未は天を仰いだ。
「ごめんなさい…」
理世は深々と頭を下げた。とにかく、自分以外の全ての人に謝りたかった。
「わかりました。それで、貴女は結局フォイアーを選んだんですね。貴女の身体から、彼の匂いが強くします」
美琴がハッと息を飲んだ気配が伝わって来た。
「あ、いえ、あの、彼だけではないです。カイザーも選びました…」
「成程。貴女をいち早く手に入れるには、貴女を気遣って手をこまねくよりも多少強引に出た方が良かったと言う事ですか」
う…と言葉に詰まって俯く理世に、美琴は弥未の制止を振り払い「理世、理世身体は大丈夫なの!?フォイアーってどっち?って言うか両方共、身体が大きいじゃない!何処か痛い所はない!?」と言いながら駆け寄って来た。
「え、あ、うん…」
「で、どっちなの!?」
こっち…と理世が指差す方にはクセ毛が両目を覆った、整った顔ではあるが少し気の弱そうな男。
「ちょっと立ってみて頂ける?」
「え…何で…」
「早く」
眼光鋭い美琴に気圧される様に、フォイアーがおずおずと立ち上がる。
高い。2m近く…195は軽くあるんじゃないだろうか。理世との身長差は30cm以上ある。
長身なだけでなく、軍服の上からでも鍛えられているのが良くわかる体つき。
「ねぇ理世。彼は人間で言うと何歳位なの?」
「あー…、えっと多分、22歳位かなぁ…」
「大学生位か…理世はまだ中学生なのに…」
自身を睨み付けながらブツブツ言う美琴を、困惑した眼差しで見下ろしながらも大人しく立っているフォイアーを、理世は心配そうに見つめる。
「貴方、理世にちゃんと優しくしてくれた?あのね、理世と貴方は随分体格が違うでしょ?理世が痛い思いする様な事してないでしょうね?」
「ちょっ…!お姉ちゃん!」
幾ら姉と言えども、そう言ったアレを赤裸々に言われるのは恥ずかし過ぎる。
慌てて姉の元に走り寄り、着物の袖を引っ張って抗議した。
「だって理世。アナタの男の趣味って、良いとは言えないもの!中1の時に好きになってたオイカワ君?だっけ?彼、6股かけてたらしいわよ?それに中二の時のミカゲ先輩とやらも暴力事件で退学したらしいし、もうお姉ちゃん心配で…!本当に大丈夫だった?こういうボーッとした大男タイプって、温厚そうに見せかけて意外と自分の事しか考えてないって言うか…!」
「ぎゃ――っ!止めてお姉ちゃん!」
何で及川君と御影先輩の事知ってるの――!
「…理世を気遣うよりも自分の欲望を優先させて、散々あんな事やこんな事して突っ走った後で”ごめんね、理世…”とか目をウルウルさせて言って来る様なタイプ、お姉ちゃんあんまりおすすめしない!」
「微妙に当たってる所が怖い!でもお姉ちゃんあんまり彼の悪口言わないで――!」
理世は手をバタバタとさせて姉とフォイアーの間に割って入った。
(見た目は大人しそうだけど、案外気が短いんだから彼は!)
――案の定、俯き拳を震わせていたフォイアーの右手に青い炎が宿る。
「何だよ…ボクがリセにふさわしくないって言うの…?リセがカイザーの方を好きな事位、わかってるよ…。でも、ボクだけを見て欲しいって思うのが、そんなにいけない事なの…?」
「っ!?下がれ美琴!」
弥未の叫び声と共に、周囲の蜂人が素早く美琴を取り囲む。
フォイアーの手の中に、ガトリングガンが姿を現し始めるのを冷静に見つめながら、何故か美琴は動こうとしない。
「お姉ちゃん!止めてフォイアー!」
「リセ…ボクを選んだ事、後悔してる…?ボクに抱かれるの、嫌だった?あの時のリセはとっても可愛くて、ボクは幸せだったのに…!カイザーさえ居なければ、リセはボクの事だけを……痛っ!」
どこからともなく飛んで来た何かが、フォイアーの頭を直撃する。
驚きにより集中が解けたのか、フォイアーの手の中のガトリングガンは炎に戻り、かき消えて行った。
「え、な、何?」
理世はキョロキョロと周囲を見回す。
蜂人に囲まれ、守られている姉の姿。片手が前に伸ばされている。目線を下に降ろすと、片足の靴が無い。
頭を押さえているフォイアーを見ると、傍らには靴が転がっている。
「えーっと、フォイアーさんだったかしら?馬鹿ねー。リセリセ言いながら、アナタ理世の事全然わかってないじゃない。その程度で私の妹に手を出したなんて、500万年早いのよ!」
ビシリ、と指を突きつけ高らかに叫ぶ姉の姿を、理世も周囲も、脱いだ靴を投げつけられたフォイアー本人も、ただ呆然とした顔で見つめていた。




