18・瀬黒の機転
瀬黒は城主候補の情報を持ったまま、雁城の回廊を行ったり来たりしていた。
先程のフォイアーの様子。完全な”狂い蟻”になるまでそう時間はかからない様に見えた。
あそこまで進行した狂い者は蜂、蟻問わず初めて目にしたと思う。
呑気に城主の選定などしていて良いのだろうか。弥未に報告すべきか。
それよりも、出来れば先ず女王と話したい所だが…。
瀬黒は様子を窺いながら、先程フォイアーが歩いて行った方向に行ってみた。
手にした紙束がカサカサ、と音を立てるので、慌てて回廊の横に飾ってある壺の中にそれを突っ込む。
ゆっくり、ゆっくり慎重に歩を進める。フォイアーは見当たらない。
暫く進むと、扉の隙間から灯りが零れている部屋があった。
「此処か…?」
そっと扉に耳を寄せる。と、耳を寄せ過ぎたせいで触角が扉に当たり、カツンと小さな音を立てた。
「やべっ!」
瀬黒は慌てた。もしフォイアーが居たらあのガトリングガンで問答無用で撃たれる。
新しい城主を決めたから報告に来た、とでも言えば良いか?いや、でも資料すら見ていないのに?
「フォイアー…?」
中から掠れた様な少女の声が聞こえた?
女王か。フォイアーかと聞いて来ると言う事は、今、中には奴はいない。
瀬黒は意を決して、部屋に滑り込んだ。その際、しっかり扉を閉める事も忘れない。
「女王」
「きゃっ!?誰!?」
「ちょっ!?静かに静かに」
慌てて飛び出した瀬黒は、人差し指を口元に当てながら静かにする様に懇願する。
理世はパッと口を押え、コクコクと頷いてみせた。
「フォイアーは…?」
「今、水を取りに行ってくれてます…。貴方は確か…」
「瀬黒、だ」
瀬黒は、理世をマジマジと見つめる。
胸元より少し長い位の黒髪。透ける様に白い肌に大きな瞳。
シーツに身体を包んで隠してはいるが、首元や腕に散らばる鮮やかな鬱血痕。
愛らしいが、何処か儚げな雰囲気の少女だと思った。
「えーと、女王サマ」
「理世で良いけど…フォイアーが怒るかなぁ…」
頬に手を当てて考え込む姿に思わず笑みが零れるが、笑ってる場合じゃなかった、と改めて顔を引き締める。
「あのさ、女王様。フォイアーの奴が何かオカシイって気付いてるか?」
「…眼が、くすんでる事?」
「そう。アイツ、結構ヤバいぜ?後もう少しで完全な”狂い蟻”になる」
”狂い蟻”の話は以前聞いた。
完全な、と言う事は、今はまだ完全に狂ってはいないと言う事なの?
「元に戻る?」
「さぁ。あそこまでのは俺も見た事無い。ただ、記録によると”狂い蟻”はそもそも生殖能力が無くなるらしい。女王や姫に対しての常軌を逸した執着が本人を狂わせる訳だからな。女王達の関心を奪う事になる”卵”は邪魔なんじゃねーか?」
それを聞いて理世は絶句する。何で。じゃあ、理世のコレは全くの無駄じゃない!
そして即座に落ち込んだ。
この世界に来て、理世は一体何をやってるのだろう。やる事成す事、全てが裏目に出ていく。
(結局理世は、お姉ちゃんみたいに賢くないから。馬鹿だから)
「それだけじゃねーぞ?完全に狂ったら、身体が先祖返り起こすんだ。神と同じ様な容貌になるらしい。
何代か前の”無垢の姫”の時に”狂い蜂”の完全体が出たらしいんだが、姫を食い殺した後にソイツも死んだらしいから、アイツもそうなんじゃねーの?」
”神と同じ容貌”って事は、見知った蟻の姿。それが人間サイズになったなら、理世なんざはただの肉の塊に過ぎない。
そんなモノに、なると言うのか。あのフォイアーが。
「あのっ…」
理世が言いかけた途端、部屋の扉が開く音がした。
「リセ?お水、持って来たよ?」
さぁっと青褪める瀬黒は、何処か隠れる場所は…!と慌てて辺りを見回す。
「せ、瀬黒さん、ベッドの下に入って!」
瀬黒がベッド下に滑り込むと同時に、フォイアーが姿を現した。
「リセ…?どうしたの…?」
訝し気なフォイアーの声に、瀬黒は震えあがる。
仮にも城主である自分の方が所謂”格上”ではあるのだが、フォイアーのガトリングガンは流石に脅威なのだ。
「な、何でもない…。声出す練習してただけ…」
「フフ…リセ、可愛い声でいっぱい鳴いてたから。無理させちゃってごめんね?」
「う、ううん…」
ベッド下で瀬黒は辟易していた。何だ、あの甘ったるい声。
「はい、お水」
「ありがとう…」
「ねぇ、お水飲んだら…またしよう…?
「!?む、無理!お願い、今日はもう許して?」
必死に懇願する理世を、ベッド下で瀬黒も応援をする。
いや、勘弁してくれよ。下に俺が居るのに、上で何かイロイロするとかマジで止めて。
「そ、そうだフォイアー。あのね、執務室に髪留め忘れて来ちゃったかもしれないの。取って来てくれない?理世、あんまり動けないから…」
そう甘えた声で頼まれ「髪留め…?分かった、探して来る」と渋々フォイアーは部屋を出て行った。
◇
「はぁ…危なかった…」
ベッド下から這い出して来た瀬黒は、首をゴキゴキと鳴らしながら溜息を吐いた。
「瀬黒さん、早く行って」
「おう、行く行く。それでさっきフォイアーにも言ったんだけど、美琴姫が玻璃鐘城に来てくれってさ」
「お姉ちゃんが!?」
「そう。それで…」
「瀬黒。そこで何してるの」
地を這う様な低い声が部屋に響く。
理世と瀬黒はビキリと固まった後に、二人でゆっくりと振り返った。
怒りに燃える瞳。濁り切ったソレは最早金色には見えない。
はだけたシャツから見え隠れする、鍛え上げられた胸元の筋肉が黒光りする硬質の皮膚に覆われ始めている。
そして向けられた巨大なガトリングガン。
「フォイアー…どうして…」
「リセの髪留めは、ボクが抱く時まで着いてたよ。執務室に置き忘れる筈がない」
濁った瞳に穏やかな声。理世は背筋が凍るのを感じた。
「リセ…悪い子だね。ボクだけじゃ物足りないの?やっぱりカイザーじゃないと駄目?あぁ、そう言えば以前瀬黒の事も褒めてたよね…」
ギュルギュルと鳴る、銃の回転音。
横で瀬黒がやべぇ、と呟くのが聞こえた。
理世はフォイアーを見つめた。そしてここに至る前の事を考える。
そもそも、フォイアーが樹星を撃ったあの時。何故、瀕死の重傷だった彼があの場に来れたのか。
理世の為に、死力を尽くした?
でもその後、理世をベッドに引き摺りこんでその清らかさを奪う体力はあった。
目線を胸元に移動させる。
――樹星に貫かれた筈の、胸の傷口は硬い皮膚に覆われていた。
フォイアーの狂気は、樹星に襲われた時から急速に進んでいたのだ。
「ま、待てって!俺はただ、新しい城主候補が決まったから言いに来ただけだ!」
「…へぇ。誰にしたの?」
瀬黒は言葉に詰まった。候補者の資料にはまだ目を通していない。
こめかみに滝の様に流れる、汗の音が聞こえる気がする。
「お、お前が思ってるのと同じ奴だと思うぜ?」
「もしかして、左右で目の色が違う奴…?」
うん。ソイツ。
そう答えかけ、瀬黒は寸での所で言葉を飲み込む。
…ちょっと待て。何か嫌な予感がする。
「いや、違うな。って言うか、そんな奴いたか?」
緊張に顔を強張らせる理世の目の前で、フォイアーがゆっくりと銃を降ろした。
「ふぅん。一応真面目にやってたんだね。で、誰?」
「実は先入観持ちたくねーなって思って、資料は見てないんだ。えーと、茶色の眼をしてて一見穏やかそうだけど見上げて来る目つきが妙に鋭い…」
「…あぁアイツ。芦長って言ってたかな。まぁ良いんじゃない?じゃあ早く伝えて来てよ」
「はいはい。あのさぁ、俺一応城主なんだぜ?もうちょっと敬意を払ってくれても」
「それはお前ら蜂人の話だろ…?ボクには関係無い」
むぅ、と頬を膨らませながら部屋を出て行く瀬黒に、理世は思わず笑いそうになった。
それにしても、流石は城主を務めるだけの事はある。
理世は瀬黒の粗野な雰囲気にはそぐわない、頭の回転の早さに感心していた。
フォイアーのカマかけに気付き、特徴を掴んでいる様で実は当たり障りのない見た目を口にする。
これだけの大所帯だ。誰かは該当する人物が居るだろう。
案の定、フォイアーは誤魔化されてくれた。
バレない様に、ホッと溜息を吐きながら「ねぇ、着替えたいから、少し部屋を出て?」とフォイアーに頼んだ。
「着替える?どうして?」
「お姉ちゃんが、お城に来てって言ってたみたいだから。フォイアー、一緒に来てくれるでしょ?」
理世はシーツを巻いたまま、トン、とベッドから降り、フォイアーの目の前に立った。
限界まで首を曲げて、”夫”の顔を見上げる。
初めて見た時とは似ても似つかない、濁った瞳。でも、必ず元に戻してみせる。
「な、何?」
「シャツ、ちゃんと着てきちんとした格好にして。理世のお姉ちゃんの前に行くのよ?フォイアーはお姉ちゃんの”義理の弟”になるの」
両手を伸ばしてそっと、その大きな体に抱き着く。
おずおずと回される腕の感触に、小さく笑みを浮かべた。
「用事が全部終わったら、地下のお屋敷に帰りましょ?」
「リセ…。帰ったら、やっぱりカイザーともするの…?」
身なりを整えながら不安そうに聞いて来るフォイアーに、「…わかんない。でも今のままだとそうなるのかな…?」と正直に答えた。
フォイアーはあからさまに顔を歪める。
それを見た理世は軽く肩を竦めてみせた。
「どちらかと言うと、そういう嫉妬深いのはカイザーの方だと思ってた」
「ボクは…ボクにもよくわからないよ…。最初は、選んで貰えればそれで良いと思ってた…。5人全員でも構わないって、本当に思ってたんだ…。でも、段々ボクだけのリセにしたいって、思う様になって…」
喋っていく内に、理世を抱き締める腕に力が籠り始める。
「リセ…ねぇ…」
「駄目だってば。玻璃鐘城に行かなきゃいけないんだから」
「ちゃんと行くから…。その前に、1回だけ…」
嘘だ。絶対に1回で終わらない。
「もう。我が儘言わないで!」
瞳に力を込めて、強く睨みつけながら言ってみる。
「そんな可愛い顔しながら言われても…」
フォイアーは軽々と理世を抱き上げ、ベッドの上に放り投げた。
(そうだった…!”狂った雄”にも女王の強制力は通用しないんだった…!)
理世は死に物狂いで暴れた。
別に今更、嫌ではないがこのまま許していては、諸々エスカレートしていきそうな気がする。
「フォイアー駄目!嫌じゃなくって、今は駄目なの!でもちゃんと好きだからね?早く玻璃鐘城に行って、早く帰りましょう?」
押し倒され、シーツを剥がされかけながらも目を見ながら懸命に訴えかける。
本当に早くお城に行かなきゃいけないんだから。それで、フォイアーの事を相談しなきゃ。
「リセ…ボクの事好き?」
「うん、好き」
言葉を聞くと同時に、両手首を押さえつけていたフォイアーの力がゆっくりと抜けて行く。
「…わかった。じゃあ直ぐに準備する」
「うん」
理世は身を起こし、フォイアーの頬を挟むと顔を近付け、そっと唇を重ねた。
啄む様なソレを、何度も繰り返す。
「ヒドいよ、リセ…。煽らないで…」
「ふふ…ごめんね?」
チュ、と軽く音を立てて唇を離すと、戸惑った様な顔をする男の前髪をかき上げ、その瞳をじっと見つめる。
――心なしか、濁りが和らいでいった様に見えた。




