13・愚かさの代償
小高い丘の上。何時もの訓練風景。
この前までと違うのは、理世が拘束されていない事位。鎖は猛然と抗議をして、繋ぐのを止めて貰った。
――昨夜、カイザーは理世を咬まなかった。ただずっと、黙って理世を抱き締めていた。
理世も大人しく腕の中に納まっていた。その内、何時の間にか眠ってしまったのだろう。
気付くとベッドに横たえられていた。
(優しい人ではあるのよね…)
早く”女王”の立場から退かなければ。彼らの為にも。
◇
理世の為に用意された柔らかい敷物の上で、理世は木に寄りかかって本を読んでいた。
メーアが用意してくれた、この世界の恋愛小説。
蜘蛛の若者と蝶の少女の恋物語はとても面白い。聞く所によるとこの本は何代か前の”無垢の女王”が執筆したものらしかった。
理世は時間も忘れ、夢中になって読み耽っていた為、暫く呼びかけの声に気付かなかった。
「…女王!」
「きゃっ!?」
強い呼びかけの声に、理世は思わず本を取り落としてしまった。
慌てて後ろを振り返ると、白金の髪の若い蜂人が一人、草むらの陰から此方を見上げている。
柔和な顔立ちのその男は、瞳にほんの僅かな苛立ちを見せながら理世をじっと見つめていた。
「雁城の樹星です。…何か御用ですか、女王。姫を奪われたとは言え、僕は”城持ち”である事には変わりない。姫との間に”卵”をもうけた弥未が話を持ち掛けていたからこうやって足を伸ばしたのです。戯れに呼びつけたのなら、貴女を許す訳にはいきません」
理世はその物言いに少し違和感を持った。が、気のせいだと直ぐにその考えを振り払う。
「初めまして、樹星さん。私は理世と言います。わざわざ呼びつけてごめんなさい。貴方にちょっとしたお願いがあって。聞いていただけますか?」
「…内容によりますが」
「私を、貴方のお城に連れて行って頂けませんか?」
樹星は唖然とした顔で理世を見た。何を言っているんだ?蟻人の女王が、蜂人の城に連れて行けだと?
「…仰っている意味が分からない。そんな事をしようものなら、貴女の羽付きが我が城に攻めて来るでしょう。僕に何の益も無いのに、その様な事は出来ません」
「益はあると思うわ?だって、理世は蟻人だけの女王じゃないもの」
「どう言う意味でしょうか」
「”無垢の女王”と”無垢の姫”は同じなの。誰の、どの種族のお嫁さんにもなれるの。私はここから逃げ出したい。だから頼んでるの」
理世は、再び何かを言いかけた樹星の瞳をじっと見つめる。
樹星の瞳に揺らぎが見え始めた所で、理世は優しく微笑みかけてみた。
「なっ…何だ?貴女は…女王じゃないのか?」
「だから、どっちでもあるんだってば。多分だけど、私達みたいなのを保護?拉致?してたのは、ほとんど蜂人と蟻人だったからじゃないかしら。だからその内、”自分達だけのもの”ってお互いが思う様になったんじゃないかな?」
理世は樹星をしっかりと見据える。
――蜂人に保護を頼んだのは、蟻人との価値観の違いから。
蜂は”自分のもの”と思ってるから理世をある意味下に見てる筈。だからこそ、そこに油断も生まれる。
それに、蟻は5人も警戒対象が居るのに対して蜂は、恐らく城主一人に注意しておけば良い。
(…まぁ、その分貞操の危機はこっちの方がリスクは高いんだけど…)
眉間に皺を寄せながら考え込む樹星は、やがてそろそろと理世に近付いて来た。
理世は目線を丘の下にやる。大きな人影が此方の方を向いていた。フォイアーだろうか。
何かに気付いたかの様に、理世の方をずっと見ている。
「樹星さん」
強請る様に両手を伸ばし、小首を傾げて見せると、樹星は意を決したかの様に立ち上がった。
そして素早く駆け寄ると理世を抱き上げ、一気に空中に飛び上がった。
「…しっかり掴まって下さい。彼らは僕達程の速さは出せないけど、貴女を抱きかかえている分こっちのスピードは落ちる」
「ごめんなさい、理世が重いから」
「いいえ、軽過ぎる位ですよ。僕が言ってるのは空気抵抗の問題です」
理世は少し考え、樹星の首に両手を回してしがみ付く様にして抱き着いた。
「…じょ、女王、あまりくっつかないで下さい」
「あ、ごめんなさい。苦しかった?空気抵抗を気にしてたから、隙間を無くした方が良いかと思って」
「え、えぇ、そうなんでしょうけど…」
仕方ないな、と呟きながら樹星は理世を自分の方に引き寄せた。
そして後方を見やると、柔和な顔に似合わない舌打ちをした。
「羽付き…!動きは速いな…!」
そう言えば、さっきフォイアーがこっち見てたなぁ。理世は樹星の腕の中でそうのんびりと考えていた。
「樹星!リセを返せ!」
「嫌ですよ!第一、僕を頼って来たのは女王の方です!」
樹星は羽を勢いよく震わせ、高速で飛行し始めた。
「嘘を吐くな!」
「どけカイザーッ!」
アルメーが青い炎を繰り出し、アサルトライフルを出現させる。
「やれやれ。彼らがあぁまで我を忘れるとは。貴女は本当に罪な人ですね」
「理世が居なくなっても、新しい女王が来るのになぁ…」
理世はボソリと呟きながら、無意識に樹星の胸に頬を摺り寄せた。
(可愛らしい方だ)
樹星は思わず笑みを浮かべる。情報網を張っておいて本当に良かった。弥未は瀬黒にしか話をしていなかったけどね。
「リセ…樹星に抱き着かないで…!」
フォイアーもいつの間にか巨大なガトリングガンを出現させ、此方に向かって構えている。
「樹星さん。このまま飛んで。理世に当たっちゃうから、多分彼らは撃って来ないと思うわ」
「でしょうね。では参りましょう、女王。城の警戒線に入ったら僕の部下が応戦しますから」
樹星は理世を抱きかかえたまま、雁城に向かって飛び始めた。案の定、蟻人達は撃っては来ない。
理世は樹星をそっと見つめる。ごめんね、理世は貴方のお嫁さんになる訳にもいかないの。
もしかしたら、貴方に一番迷惑かけるかも。
蟻人の方は新しい女王が来るけど、蜂人はもうお姉ちゃんが”卵”を持ってるから、きっと新しい姫は来ない。
カイザー達が攻撃して来たら、戦わない訳にもいかないし、この人の部下やこの人だって怪我をしちゃうかも。
理世は今更ながら、重苦しい気分になった。
これで良かったの…?これはやって良い事だったの?
無理だと決めつけずに、カイザー達に何度も説明してわかって貰えば良かったんじゃない?
「…?どうしました?」
訝し気な樹星に理世は「ううん」と返した。
揺らいじゃ、駄目。誰を傷付けても、絶対に帰るって誓ったじゃない。
理世は樹星により一層抱き着き、ギュッと目を閉じた。
◇
「カイザー!リセが居るから狙えないよ!」
「早くどうにかしないと、もう少しで雁城の警戒線に着くぞ!?」
慌てふためく仲間達の声も耳に入らないまま、カイザーはただ、樹星の腕の中の理世だけを見ていた。
(リセ…何故蜂人の元へ行く?昨日はあんなに可愛い顔で、俺の腕の中で眠っていたのに…!)
「…そこをどけ」
カイザーは低い声で、仲間をどかせた。そのまま、限界まで羽を使い高速で樹星に迫る。
そして、両手の銃を向けた。
「何するんですかカイザー!リセに当たってしまうでしょう!?」
「止めてよカイザー!」」
カイザーは苦痛を堪える様に一瞬下を向く。そして、樹星に向かい連続で引き金を引いた。
「クソッ!女王が居るのに撃って来たのか!?正気かカイザーの奴…!」
樹星は焦る。躱せるが躱すには女王を一度空中に放り出す必要がある。
(いけるか?)
一種にして考え、答えを出した。女王から一瞬離れて躱す。その後受け止める。それで行こう。
「女王。ちょっとすいません」
「…ん?」
樹星は躊躇いなく、理世を空中に放り投げた。そして身を翻し、放たれた弾丸から身を躱す。
理世は悲鳴を上げる事も出来ず、ただ両手で顔を覆いギュッと目を瞑った。
(やだどうしよう…!)
ボスッ
3秒もしない内に、理世は再びキャッチされた。ホッと安堵の息を吐き、恐る恐る目を開ける。
「怖かったじゃない!樹星さ…」
「リセ…良かった…!」
理世を受け止めていたのは、何時の間にか後方に回り込んでいたフォイアー。
カイザーの目配せを受け、背後で待機をしていたのだ。
「お前は冷静で状況判断力が高い奴だからな。絶対にそうすると思った」
樹星は溜息を吐き「…成程。貴方達の執着を見誤っていましたよ。致命傷さえ避けて敢えて銃弾を受けると言う手もありましたね」と肩を竦めた。
「カイザー。彼を撃たないで!」
「いや、駄目だ。お前を連れて行こうとした罰は受けさせる」
「彼を撃ったら、貴方の事嫌いになるからね?…撃たないでくれたら理世、貴方を選ぶから」
銃を構えていたカイザーの腕がゆっくりと下がって行く。
理世は内心安堵した。流石にこれは罪悪感が激し過ぎる。
ふと、理世を抱くフォイアーがピクリと動く。無意識なのだろうが、腕に力が籠り始めていて少し痛い。
「フフ、女王。雄を利用しようとした所までは良いですが、貴女はやはり純粋で可愛いですね。僕を撃とうとしたカイザーの他に、”彼”の事も気にするべきでしたよ?」
「え…?」
理世はキョトンとした顔で樹星を見やり、何かに思い当たった様に軽く目を見開いた。
そして、機械仕掛けの様な動きで自分を抱くフォイアーの顔を見上げる。
「っ…!」
其処には、怒りと嫉妬と欲に歪んだ男の顔。
「リセは…やっぱりカイザーのなんだね…。ボクを、選んではくれないんだ…」
「そ、そうじゃなくて…!」
「じゃあ、ボクも選んでくれる…?ホントは、ボクだけを選んで欲しいけど…女王は何人でも雄を選ぶ権利があるから…」
え、えぇと…、と戸惑う理世の方を全員が向いた所で、樹星は急加速をし、カイザーに体当たりをした。
「ぐっ…!樹星…!」
「君達、本当に”狂い蟻”なんですね。案外簡単に皆殺しに出来そうです」
鋭く弧を描いて飛んだ樹星はスピードを緩めず一気にフォイアーの背後に回り、胸元の光る紋様から槍を掴み出すと腕に抱かれた理世を気にする事も無く、そのまま背中から胸を貫いた。
――理世の目の前を、血に塗れた槍がスローモーションで通過して行く。
「嘘…」
樹星はフォイアーの背中に足を当て、その勢いで槍を引き抜く。
ガハッ…と口から血の塊を吐き出すフォイアーを、樹星は容赦なく蹴り飛ばした。
そして再び空中に投げ出された理世を、しっかりと抱き止める。
落下して行くフォイアーは意識が無いのか、ピクリとも動かない。
カイザーが素早く飛び出し、フォイアーをガッチリと受け止める。
残りの3人は銃口を此方に向けながらも、どう動くべきか決めかねている様子だった。
「では行きましょうか」
「ま…待って!フォイアーが…!」
「寸前で身体を捻ってましたから、致命傷は避けられたんじゃないですか?」
僕は心臓を狙ったんですけどね。
サラリと言う樹星に、理世は肌が粟立つのを覚えた。
「あぁ、汚いものがついてしまいましたね。城に戻ったら綺麗に洗わせましょう」
理世の頬に飛び散ったフォイアーの血をペロリと舐め取り、額に口付ける樹星を、理世は恐ろしいものを見る目で見た。
――理世は何て愚かだったんだろう。よりにもよって、こんな恐ろしい男に助けを求めてしまったなんて。
フォイアーに万が一の事があったらどうしよう。
理世は取り返しのつかない事態に、ただただ震える事しか出来なかった。




