01・昆虫の国
月明かりの下、草原に蠢く人影が二つ。其々、手に何かを持っている。
少し離れた所に居るその影達は慎重に辺りを見回し、少しずつ互いに近付いて行く。
背の高い人影は立ち止まり、ほんの少し声を上げた。小柄な人影の方は相手を認識したのか、一瞬動きを止めた後、相手に向かって返事を返す。
二人は声のした方へ顔を向ける。そして互いの姿を認め合い、何方からともなく走り寄ると固く抱き合った。
「お姉ちゃん!」
「理世!」
”お姉ちゃん”と呼ばれた娘は年の頃は17~8歳位。
金茶の美しい髪をポニーテールに結わえ、凝った細工の簪を挿している。
黒い着物風の上衣に金糸の袴、編み上げのショートブーツが意思の強そうな美貌に良く似合っていた。
”理世”と呼ばれた少女は14~5歳。
幼い顔立ちに、鎖骨よりも少し長い位の黒髪に鈍色のカチューシャを着け、レースをふんだんに使った黒いワンピースに踵の高いヒールが愛らしい顔をより引き立てている。
「理世大丈夫!?上手く抜け出して来られたわね!」
「あ…う、うん。お姉ちゃんは?って言うか、どうやって上から降りて来れたの!?」
「飛び降りたの。丁度”玻璃鐘城”の真下に夜光茸が群生してるから、その上に飛べば怪我せず地上に降りられるって、ほら、季彩が教えてくれて。その上に、えいっ!て飛んだの。予想以上に弾んじゃったから、少し腰打っちゃったけどね」
アハハ、と得意そうに笑う姉を、妹・理世は呆れた様に見つめた。
◇
二人の姉妹はしっかりと手を繋いで慎重に歩く。
周囲は月明かりでかなり明るい。おまけに姉の帯留めが発光し、足元を淡く照らしている。
歩くには困らないが、あまり足音を立てると”彼等”に気付かれる恐れがあった。
「ねぇお姉ちゃん、キイロさん…大丈夫なの?ごめんね、理世が会いたいって我が儘言ったから…」
「ううん。季彩も”少し息抜きした方が良いですよ”って城を出る事自体には賛成してくれてたから。それより、何処までが”ラビュリントス”の範囲内なの?」
「分かんない…。かなり広いって言ってたけど…。私、一部の所しか行った事ないんだ」
そっか、と歩くスピードはそのままに、ブツブツ独り言を言いながら考え事に没頭する姉に気付かれぬ様、理世は微かに痛む身体をそっと押さえた。
暫くの間、姉妹は無言で黙々と歩く。
後少しで森に差し掛かる、と言う辺りで少しだけ休む事にした。
上手い具合に二人の背丈程の巨石が3つ、くっついて並んでいる。
姉妹はその石の近くに姉が持参した敷物を引き、妹が手にしていた毛布をふわりと身体にかけ、二人で並んでくっつきながら座った。
「はい、理世。これ蜜飴って言うの。とっても美味しいんだよ?」
姉が妹の口の中に琥珀色の飴を入れてやり、自身も一粒放り込んだ。
「本当だ!美味しい」
嬉しそうに微笑む妹の顔を見つめながら「…ごめんね、理世。こんな事になって。お姉ちゃんが、様子見に行ってみようなんて言ったから」と、不意に姉がポツリと呟く。その顔は、深い後悔に色取られていた。
妹は驚いた様に顔をあげ、後悔に沈む姉の顔を見ると、そっとその手を握った。
「そんな事無い!だってお姉ちゃん、理世に会う為に色々してくれてたじゃない。色んなお城の人達に狙われてるって言うのに。なのに、理世は泣いてばっかりだった…」
「泣いてって…。理世、アンタやっぱり何かされたんじゃ…!」
「あ、な、何も無いよ、何も」
妹は誤魔化す様に、姉の額にコツン、と自分の額をぶつけた。
「わっ!何よー!」
「お姉ちゃん、せっかく会えたんだから、お城の話聞かせて?早くしないと夜が明けちゃう。あの人達が起きて来る前に戻らなきゃ」
「そうね。季彩が見張ってくれてるとは言え、弥未は早起きだし。じゃあえーと、この前ね…」」
寄り添い合い、楽しそうに話をする姉妹を、月明かりが静かに照らしていた。
********
姉妹がこの世界に”落ちて”来たのは、約6ヶ月前になる。
幼い頃に事故で両親を亡くした二人は、頼る者が居なかった為、施設で育っていた。
それぞれが16歳と14歳になった時、亡くなった父親の親族の使いと名乗る者が突然現れ、姉妹は父親の実家に引き取られる事になった。
どうやら父親は資産家の息子だったらしい。母親との結婚を反対され、家の相続を放棄してまで母との結婚を強行し、実家とは音信不通だった為、姉妹は自分達に親戚が居る事など全く知らなかった。
父親には他に弟が居たらしいのだが、その弟、叔父も程無くして病気で亡くなり、慌てた祖父が長男の行方を探り、姉妹に行き着いたという事らしかった。
その祖父の別荘に、夏休みの間二人で暮らそう、と決めてやって来たのが引き取られた翌年の夏。
姉妹は17歳と15歳になっていた。
◇
「きゃーっ!やだ!もう、蟻が凄いー!」
理世は広い庭に敷き詰められている天然芝の上にゴロリと寝転がり、直後に悲鳴を上げて跳び起きた。
「ホントだ。あちこちに蟻の巣があるね」
妹の身体にたかった蟻を払ってやりながら、姉の美琴は顔を顰める。
「もう、せっかくお天気良いのに…。芝生でゴロゴロするの、憧れだったのになぁ」
理世は不満そうにしながら「ほらー、皆あっちに行ってー」と号令をかける真似事をしていて、美琴は声を上げて笑った。
ひとしきり蟻を払い終え、美琴の方に近寄って来た理世は「あっちの木陰には蟻いないんだけど、逆に蜂の巣があるの。こんなデッカいのが。お姉ちゃん、危ないから業者さんに駆除して貰おうよ」と姉の腕を引っ張る。
ほらアレ、と庭の端にある林檎の木を指し示す妹の指先の方向を見た美琴は「うわっ!」と大きな悲鳴を上げた。
独特の層を持つ、天然の城。枝と枝の間を埋める程の巨大な巣が築き上げられている。
「凄い!まるでお城みたい」
「理世、あんなお城になんて住みたくないなぁ」
やだー、まだ蟻がくっついてる…とブツブツ言う妹とは別に、美琴はその巨大な”城”を素直に美しいと感じていた。
◇
別荘の中をひとしきり探検した後、庭でお茶でもしよう、と姉妹は紅茶ポットとケーキの乗ったトレイを抱えて再び庭に出た。蝉の鳴き声が賑やかに聞こえ、蝶の舞飛ぶ有様に姉妹は顔を見合わせ微笑み合う。
大理石で出来たテーブルと椅子が誂えてある東屋は、蜂の巣と蟻の巣が多数ある場所の、丁度中間地点にあった。
「お姉ちゃん、蜂、平気かなぁ?」
「うん、刺激しなければ大丈夫じゃない?」
暫く、他愛もない話をしながら紅茶とケーキを楽しんでいた姉妹だったが、その内ふと異変に気付いた。
――庭が静かなのだ。
二人しか居ないのだから、静かなのは当たり前なのだが、先程まで五月蠅い程鳴いていた蝉の声も一切聞こえず、数多くいた蝶も居ない。
生き物の気配が、何一つ感じられないのだ。
「お姉ちゃん…」
「理世。家の中に、」
入ってなさい。と言い掛けた美琴の目線がある一点で止まる。大きな天然の城。雀蜂達の居城。
それが昼間でも分かる程、青白く発光していた。
「お姉ちゃん!」
背後の理世が悲鳴の様な声を上げる。振り返ると、数多くある中で一番大きな蟻の巣穴から、同じ様な光が溢れ出ていた。
「な、何なのコレ…?」
美琴は前後を何度か見返し、少し考え、やがて小さく頷いた。
「理世。二手に分かれて見に行ってみよう」
「えぇっ!?」
「ひょっとしたら、地下のガス管とかが壊れてるのかもしれないじゃない。そしたらそれも業者呼ばなきゃいけないし」
「蟻の巣の方はまだ分かるけど、蜂の方は!?ガス関係無いじゃない!」
理世は不満そうな声を上げて抗議する。
「そ、それは」一瞬言葉に詰まった美琴だったが、好奇心には勝てなかった。
体勢を低くしながら、ソロソロと蜂の巣に近付いて行く。
「お姉ちゃん!」
危ないってば!…と叫ぶ理世だったが、歩みを止めない姉を見て、結局「仕方ないなぁ…」と言いながら蟻の巣の方に向かって歩いて行った。
◇
美琴と理世。二人の姉妹が其々の目的場所に到着した。
姉は蜂の巣を下から覗き込み、妹は蟻の巣を上から見下ろす。
巣の周りには蜂も蟻もいない。
「…何も無いわね。ただ光ってるだけ?でも何で光ってるのかしら。棒で突っついてみようか」
「眩しくて中が良く見えないー。小石でも落としてみようかなぁ」
二人して同じ様な事を同時に考え、更に同時に枝と小石を手に取った。
「「せーのっ!」」
そして同時に勢いを付けた次の瞬間。
――姉妹は突如強さを増した青白い光に、またしても同時に、飲み込まれて行った。
********
「理世!理世!」
「ん…」
揺さぶられる衝撃で目を覚ます。目の前には涙で顔をぐしゃぐしゃにした姉の顔。
「お姉ちゃん…」
「理世!!」
姉に抱き着かれながら体を起こした理世は、周りをキョロキョロと見回す。
背丈の高い草。やけに花弁の大きい花。そして小さな池。傍らには青白く光る石の門がある。
――其処には、明らかに別荘の庭では無い光景が広がっていた。
「えっ!?ここ何処!?」
「あ、此処はですね、”昆虫の国”です。ようこそ、姫に女王」
理世の独り言に、柔和な声で返事があった。この声は、姉では無い。
…え?誰?
思わず自分を抱きかかえている姉を見る。姉は困った顔をしながら、目線だけで自分の横を指し示す。
理世はゆっくりと姉の目線の方向に目を向けた。
「これはこれは。また何とも愛らしい女王ですね、蟻神殿」
「いえいえ蜂神殿。そちらの姫も、あまりの美しさに目が眩むかと思いました」
ウフフ、アハハ。と楽しそうに笑っているのは、大型犬程もある巨大な羽蟻と雀蜂だった。