5
大きな物音と共に開け放たれた扉に、2人とも呆気にとられた。
「ルッカ?」
「姫様、大変でございます! カースウェルが! レダン王が!」
息を切らせたルッカが珍しく慌てふためいている。
「そこから先は、私が口上を述べよう」
ルッカを押し退けて、鎧に身を固め、帯剣したレダンが入ってきた。
「サリストア? なぜここに居る?」
「それはこちらの台詞だろう」
サリストアがちらりとレダンの背後に目をやった。付き従う兵士は数十名、軍と行ってもいいぐらいだ。
「えらく物々しいじゃないか」
「当然だ」
レダンが冷ややかに笑う。
「カースウェルはハイオルトを侵略しているんだからな」
「は?」
「侵略?」
サリストアがぽかんと口を開け、シャルンが問う。
2人に構わず進み出たレダンに、サリストアがはっとしたように剣を押さえて身を引いた。
「そうか……そういうことか!」
「…レダン…?」
久しぶりに見たレダンは少し窶れているようだった。短い髪が脱いだ兜に逆立ち、鬱陶しそうに掻き上げる仕草も懐かしく、シャルンは胸が一杯になる。
「おひさし、ぶりで…」
「ハイオルトのシャルン王」
言いかけた挨拶は黙殺された。
鋭い剣が突き出され、シャルンは息を呑む。
「城下にもカースウェルの兵が溢れているそうです」
密かに近寄っていたルッカが囁くのに、顔を上げた。
何がどういう行き違いを生んだのかは知らないが、今レダンが向かい合っているのは妻のシャルンではなく、ハイオルトの王なのだ。
それならば、毅然と答えなくてはならないだろう。
ルッカを庇い、シャルンは剣の切っ先に進み出た。
「どのようなご用件でしょうか、カースウェル王」
レダンがいきなり微笑んだ。優しく切なげな笑み、今にも駆け寄り抱きしめそうな。
「私に屈服なさい、砂糖菓子の姫」
ことばとは違い、声は甘く、懇願している。
「あなたは男の執着というものをご存知ない」
瞳が食い尽くすようにシャルンの一挙動を見つめた。
「カースウェルのケダモノが、一度手にした獲物を手放すわけがなかろう?」
「……レ…ダン…」
レダンの背後にゆっくりと現れた、マイン伯、ユルク伯、ティルト伯、そして『辺境伯』バラディオスの姿さえ見えた。どの顔にも不安はない、心配もない。然るべき手順が成されただけだという安堵さえ窺える。
理解がようやく追いついた。
これは密かに定められ準備された出来事、したたかで諦めの悪いカースウェルの王、レダン・カースウェル・レスタスの企みだったのだ。
「あなたはカースウェルから離縁され、祖国に戻って国を建て直そうとしていたところ、気まぐれで強欲な王に再び攫われた悲劇の王妃。おまけに国はカースウェルに蹂躙され、その領土として飲み込まれる」
歌うようにレダンは続けた。
「レダン…私は…」
「何と非道な王だろうな、俺は?」
これは本当の出来事だろうか。
シャルンは震えながら思う。
脳裏をこの2ヶ月の孤独と傷みが走り抜ける。
「…そういうことにしておいて……戻ってくれないか、シャルン?」
あなたのいない夜を耐えるのが、もう限界だ。
「我が元に、戻られよ、最愛の妃」
剣を突き出し脅しながら、レダンはもう片方の手をそっと差し伸べる。
その指先も震えていた、シャルンと同じく、再び運命を重ねる期待に。
煙る藍色の瞳をせめてもう一目見たいと、どれほど願っていたことか。
ようやく被った王の仮面が剥がれ落ちる。
「…っっ!」
飛びつくシャルンにレダンが慌てて剣を下ろした。
「めんどくさい男だな、全く」
ほっとしたようにサリストアが息を吐く。
「ほっといてくれ」
「昔からこうですよ、この人は……欲しいものを我慢した試しがない」
ガストが溜め息をつき、時ならぬ笑いが部屋に満ちる。
「この鎧は本当に邪魔だな、あなたの温もりを感じられない」
レダンはそれでももう一度、シャルンをしっかりと抱き締めた。
「ハイオルトは俺が守る、あなたと共に、永遠に」
耳元で囁く声は濡れている。
「もう二度と、離れるな」
「はい……はい……っ、陛下っ、陛下っ…陛下…っ」
涙で溢れた視界からレダンを見失うまいと、シャルンもまた必死にしがみつく。
かくして。
カースウェルのレダン王は、出戻り姫を5度目に国に戻したのにも関わらず、未練がましい欲望でハイオルトを蹂躙し、再びシャルンを攫っていった「極悪非道の奔流王」として、広く世間に知れ渡った。
終わり




