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「これは何事か!」
どよめきかけた場内を制する大音声、視線はまっすぐミラルシアに向いている。
「レダン」
目を光らせて構えかけたガストに頷き、うろたえるなと命じる。
それもそのはず、打ち込まれた剣はアルシア特有のバルーシュと呼ばれる投擲用に使われる武器だ。見覚えがあるのだろう、サリストアはゆっくりと剣を差し上げる。
「お尋ねしようか、姉上。この所業は如何なる意図か」
場内は凍りついている。
ミラルシアは高座でかすかに唇を震わせる。
「カースウェルの賓客に対する度重なる不敬、姉上はカースウェルとの開戦をお望みか」
沈黙が続く。
やがて。
「…捕らえよ」
低い声がミラルシアの口から漏れた。
「サリストアを、捕らえよ」
立ち上がるミラルシアは傲然と頭を振り上げる。
「武闘会に乱入し、あまつさえ、自らに打ち込ませた剣を理由に国家の礎たる王に叛逆した。カースウェルの王族を亡きものにし、わがアルシアを戦火に巻き込もうとした罪、我が妹でも捨て置けぬ。サリストアを捕らえよ!」
響き渡る声、だが、誰も動かない。
「何をしておる!」
ミラルシアは苛立った。
「衛兵! サリストアを捕らえよ! 共謀したカースウェルの王もじゃ! 始めから武闘会を理由に我が国に侵入し、このアルシアを侵略しようとしておったのじゃ、今すぐ捕らえ、我がアルシアの勝利を守ろうぞ!」
なお、誰も動かない。
「語るに落ちたな、姉上」
剣を突きつけたまま、サリストアが不敵に笑う。
「そういう意図で武闘会を開催したのか。シャルン妃を辱め、レダン王を憤らせ、この武闘会で私を葬らせる算段でもしていたか」
空気がきりきりと絞られる。
「私は頷かなかったからな、レダンとの婚姻を。シャルン妃がこられて、姉上が欲しがった豊かなカースウェルが手に入らないと焦ったか。愚かだ、姉上。自国一つを守れぬ王が、領地を広げても治められるはずがなかろう」
「…っ」
ミラルシアが蒼白になった。
「民の眼を忘れたか。民の耳を侮ったか。姉上がこの数ヶ月、何に現を抜かしていたのか、誰も気づかぬと思っていたのか」
闘技場に詰めかけていた観衆が、1人立ち、2人立った。ミラルシアを見つめたまま、次第次第に立ち上がる人数が増えて行く。
「レダン…これは」
「とんでもない瞬間に出くわしたな、ガスト」
レダンは薄笑いする。
「こいつは下克上だ」
「は?」
「アルシアの古い慣習だよ」
レダンはミラルシアに剣を突きつけたまま身動きしないサリストアを眺める。
「民衆の前で、玉座を奪い取る者こそ、王と認められる」
その時民は、自らの意思を起立を持って示せ。
「戦闘国家、アルシアらしいだろう?」
くすりと笑ったレダンは、朗々と響くサリストアの声に目を細める。
「我に玉座を。今より私が王となる」
「サリストアに玉座を! サリストアに王を!」
居並ぶ全員が立ち上がり、次々に唱和する中、ミラルシアはよろめくように座り込んだ。
「本当に、済まなかった」
居室でサリストアは溜め息をつきながら、シャルンの髪を弄っている。
「こんなことに巻き込んで」
ざくり、ざくりと手荒い音をたてながら切り落とされていく髪を眺め、シャルンは小さく首を振る。
「いえ、何時ぞやは助けて頂きました。お礼にも届きません」
「そう言ってくれると助かる」
ほ、と小さく息を吐き、鏡の中のシャルンを覗き込む。
「少し前から姉上はおかしかった。即位時はもっと立派な女性だったんだよ、庇う訳ではないけれど」
私はレダンと似ていて、あちこち諸国を巡るのが楽しかった。
「もう聞いているだろうけど、前にレダンとの婚儀の話も出た。まあいずれ『そういうこと』も必要だろうけど、それより国がどう動くかが気になっていてね、悪いけど、レダンには興味が持てなかった」
再びざくりざくりと髪を切り始める。
「あんまり短くしてはレダンが嘆くかな」
今でさえ見ていられないからと席を外してしまった男だからなあ、と苦笑する。
「いえ、できるだけ短く。私だとわからぬように」
シャルンは依頼する。
カースウェルに戻ってから髪を切っては、色々と難しい問題も出てくるだろうし、どこにハイオルトの目が潜んでいるかもわからない。それぐらいなら、アルシアに居る間に変身してしまって、疲れが出たと城に引っ込んでいれば、アルシアでの下克上の噂を聞いた民も姿が見えないのを訝らないだろう。レダンもそれに付き添っていると聞けば、普段から熱愛しているのは国民の知るところ、ああなるほどと納得するだろう。




