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ああ、言われてしまった。
脱力感に打ちひしがれながら、レダンはぼんやりと窓から外を眺めている。
夜は深く、さっきまで泣いていたシャルンは、いまは静かに眠りについている。背後に響く呼吸が、苦しくて切なくて、胸の底に溢れる冷たさをどんどん増していくばかりで。
窓を開け放つ。
冷えた夜気にシャルンが目覚めてくれないかと振り向くが、疲れ切ったのだろう、呼吸は規則正しく続き、起きる気配さえない。
のろのろとテーブルに戻り、シャルンが食べ残した料理の皿を眺めた。
片付けを断った自分が疎ましい。
それもこれも、こうして全てを残らず収めたかったから。
「俺は…かなりおかしい、な…」
シャルンの唇に触れたスプーンにキスし、ゆっくりと残った料理を食べ始める。冷えて硬くなり、凍えて味もしない気がする。
きっとこういう生活が待っているのだ、シャルンがカースウェルを離れてしまってからは。
栄養だけは摂れるかもしれない、ガストが配慮を欠かさないだろう。けれど、肉も魚も野菜も何もかも、きっと何の味もしないだろう。
国のどこへ出向いてもシャルンのことを思い出し、息苦しさに立ち止まり、砕けそうになる気持ちを引きずりながら、必死に公務を成し遂げるのだ、ただシャルンがそう望んだからと。
『陛下』
耳の奥にあの声を聞きながら。
『陛下』
仕事を終えては笑顔を探し。
『陛下』
「戻ったよ、シャルン、と呟く、か」
歪んだ顔を片手で覆う、そうすれば全てが夢だったと言い抜けられそうで。
しかし。
かちゃん、とスプーンが指から滑り落ちる。
零れ落ちた涙が止まらない。
なぜわからない、なぜ届かない、なぜ信じてくれない。
これほどの痛手を受けるのだと、どうして理解してくれない。
「あなたは馬鹿だ」
苛立ちと怒りと悔しさと虚しさと。
「そんなものをあなたが背負わなくていいのに」
この俺に背負わせてくれればいいのに。
がりっと奥歯が嫌な音を立てて、顔を拭って急いで立ち上がり、窓を閉め、部屋を出る。
破壊したい。
全てを壊し尽くしたい。
何をやっても無駄だ。
何を願っても意味がない。
シャルンを失う今、自分の命さえどうでもいい気がする。
「…どこへ行かれるおつもりですか」
「…ガスト」
「しかも、剣を引っさげて」
「…ああ」
廊下で待っていたように壁から身を起こす相手に苦笑いした。
「予想してたか」
「大体は」
「シャルンが離縁を申し出た」
「…そうですか」
「ハイオルトを背負う気だ」
「……潜入しても結果は変わらないでしょうね」
冷静に確かめられて、少し頭から血が引く。
「おそらくはな」
はあっ、と大きく息を吐く。
「ハイオルトにまだミディルン鉱石が大量にあり、王の無策ゆえに国が飢え、民が苦しみ喘いでいると、奥方様が気づかれるのは必至」
「多分」
「で、あなたが捨てられた、と」
「…ちっ」
「王妃ですねえ」
「…王妃だよな」
王妃などでなくてよかった。ただこの腕の中で笑ってくれる、小さな愛しい花で良かった。
けれどそれはきっと、シャルンではないのだろう。
見知らぬ異国へ、ただ国を守る為だけに、我が身一つを放り出し続ける覚悟を、あんな小さな体に秘めて、だからそうだ、暁の星に見えた、昂然と光を放ちながら、闇夜を開く、その輝きが。
「『薔薇の大剣』を掲げたからな」
ふいに暗がりから声が響いて、ガストと一緒にレダンが振り向くと、サリストアが立っていた。
「正直、あれはギリギリだった。一歩間違えれば国交断絶」
ひょいと肩を竦めてみせる、その手に剣があるのに眉を寄せると、
「いや、何となく、今夜のレダンの相手はガスト一人では厳しかろうと、な」
苦い笑いは身内のしでかしたことを憂いている。
「…1対2か」
「闘技練習用のテラスを空けてある。来るだろう? 前哨戦と行こうじゃないか」
顎をしゃくられて、肩を怒らせていた張りが抜けた。
「…ああ、頼もう」
レダンは微かに笑って、先に歩き出した2人を追った。




