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温泉には体を温める効果があったのか、2人でゆっくり湯に浸かった後は、冷えた空気の中で体を拭いて着替えるのも、それほど辛くなかった。それでも待っていてくれたルッカはやや青ざめた顔をしていて、シャルンは申し訳なく思った。
翌日の朝、遺跡を案内してくれるというマムールのことばに従って、部屋で支度をしながら、
「陛下が付いていて下さるのだから、ここで待っていてもよかったのに」
凍えてしまったのでしょう、と尋ねると、ルッカはシャルンの髪の毛を編みながら、ふと手を止めた。
「ルッカ?」
「…姫様」
いつもは使わないようにしている呼び名を使われて、鏡の中の相手を見る。
「どうしたの?」
「……お手紙を、お預かりいたしました」
「手紙?」
いつだろう、と考えて,温泉に入っていた間だと気づく。
「どなたから?」
「…国王様より」
「え」
思わず声を上げたのは、昨夜の夢に父親が現れたからだ。
不思議なことに、父は昨夜の遺跡に居た。シャルンは一人でもう一度湯浴みにやってきていて、どうして私は一人なのだろうと訝っていたところだった。
遺跡の石柱の奥に人影が見え、誰何すると音もなく現れたのがハイオルト13世だった。
お父様、どうしてこんなところにおられるのです。
夢の中で尋ねる声はあやふやに響く。
こんなところとはおかしなことを言う。ここはハイオルト、そなたの故郷ではないか。
父は低く唸った。
その声と同時に、温泉の滴りで作られた景観が、あっという間にハイオルト城のそれと変わった。雪風の吹き込む城内、傾いた扉と凍てついた金具、風に鳴る庇に重い雪に軋む屋根。月光に輝くのではなく、ただひたすらに寒く痛い、冬の城。
この城は凍りついておる、そなたを失って。
王は恨むように呟いた。
体が竦んだ。
見捨てたのだ、そなたは、我を、この国を。
いえ違います。
シャルンは縮こまるような気持ちで訴える。
私はずっとハイオルトを忘れたことなどありません。お父様の幸せを願い祈り続けております。
ならば問おう、この惨状は如何なる報いか。
父が示した扉が開き、みすぼらしい街に座り込む子どもらの姿が見えた。吹き荒ぶ寒風に薄い毛布一つもなく、必死に身を寄せ抱き締め合うその横で、身動き一つしない体が幾つもある。
この国は、お前を失って飢えた。餓えた。もう、それほど保たぬだろう。
そんなはずは。
シャルンはことばを失った。レダンの笑顔が脳裏を掠める。
その男はそなたを騙したのだ。
まるでシャルンが誰を思い出したのか見抜いたように、王は嘲笑った。
世間知らずのお前を手玉に取るのは容易かろう。だからあれほど、気に入られてはならぬと言ったのに。
そんな。
尋ねてみるがいい、なぜ里帰りを許さぬのかと。
里帰り?
幾度も頼んでおったのじゃ、幸福なそなたに一目会わせて欲しいと。なのに、その男はそなたを帰さぬ、病床に伏すこの老いた父の元に。
シャルンは息を呑む。
ご病気なのですか、お父様。
聞いてみるがいい、ああ、よく聞いてみるがいい、聞いてみるがいい、シャルン!




