1
「…と言う二つ名が付いているそうですよ」
「なんだ、それは」
2人で国を空けたせいで、溜まった書類仕事が続き、ついでに雨が降って城に閉じ込められたから、さすがのガストもうんざりしたらしい。珍しく仕事の合間に与太話を持ち出した。
「なんでも、シャルン妃が向かわれる国は皆、新しい施策や事業を起こし、国の在り方を変えていく、と」
「ふん」
レダンは鼻を鳴らして書類を机の上に放り投げる。
「何を今更」
散々出戻り姫だの何だのとこき下ろしてきたくせに、と口を尖らせた。
「例えば、ステルン王国は王自ら辺境の開発に乗り出し、華美な城の始末をして整えたばかりか、公然とシャルン妃が自分を救ったと讃えていると」
ばさり、と次の書類も重ねる。
「ラルハイド王国は過剰な軍備を見直し、周辺諸国と友好を深め、工芸品や建築術の発展に務め、カースウェルの後ろ盾を名乗ってはばからぬとか」
ばさりばさりと書類の山が積み重なる。
「ザーシャルは」
「あいつが何だ」
「『宵闇祭り』を公式行事として行う観光事業に着手、訪れる旅人から新たな知識を吸収するために街道沿いに宿屋を整備、利益を国民に還元することで産業を発展させ、国益を上げているようです」
「で、あいつもシャルンが自分を救ったとでも言ってるのか」
「いえ、盗賊団『バルゼボ』を正義の剣で裁けたのは、シャルン妃の導きによると」
ガストはすました顔で続ける。
「シャルン妃にはバルゼルとナルセルの守りがついていたのだとか」
「ああ、なるほど」
サリストアが扮したバルゼルが広間からシャルンの窮地を救った話は聞いた。噴水の側での立ち回りは金髪のレダンが動いているから、確かに男神と女神が守ったとも言える。しかも、当のシャルンはカースウェルのケダモノの仮面だ、出来すぎたにもほどがある。
「来年からはシャルン妃の仮面を作ってもいいかと打診があったので、許可しました」
「おい」
「注目があるに越したことはありません、最後にダフラムが控えているのですから」
ガストが冷ややかに言い放ち、レダンも唸った。
「そうだったな。何を考えての招待か、微妙なところだ」
「そう考えると、二つ名の噂はありがたいことです」
ガストは新たな書類を机に運んできた。
「それだけ耳目を集めれば、おいそれと行方不明扱いにはできないでしょう」
「させるかよ」
レダンが冷笑した。
「シャルンに害が及ぶぐらいなら、先手を打ってディスパもろともダフラム1世の首を奪る」
「物騒なことを笑いながら言わないで下さい」
ガストは深く悩ましげに溜め息を返した。
「もうちょっと冷静な方だと思っていたんですが」
「俺もそう思ってた」
苦笑いしながら掌を眺め、そこに収まっていた柔らかな感触を思い出す。
「…男と女は違うものなんだな」
「ぶっ」
ガストが吹いた。目を上げると、寒々しい顔でこちらを眺めている。
「なんですかいったい」
「ことばがたどたどしいぞ」
「男女の違いなんて、外見からして明白でしょう」
「そういうことではなくて、だな」
レダンは取り上げかけた書類を置いた。
「男は暗闇に押し入っていくが、女は明かりを持ち込む、ですか」
ガストが不思議な微笑を浮かべて応じる。
「古い諺ですね」
「言い得て妙だろ」
レダンは一括りにした髪を解いた。今は髪粉を落して元の黒髪に戻っている。
「あなたが髪を染めたいと言い出した時は、さすがにちょっと慌てました」
ガストも書類を戻す。一旦休憩にしますか、と部屋を離れ、茶を用意して戻って来た。
「おやつかよ」
「仕事中ですから、酒はまずいでしょう」
「仕方ないな」
溜め息混じりにレダンは腰を上げ、ガストの用意した茶に向かう。
湯気を立てる飲み物は季節の移り変わりを知らせる。いつの間にか空気が冷え出し、朝晩が肌寒い。添えられた焼き菓子は穀物の刻印があり、シャルンも同じものを楽しんだことを思い出し、レダンは微笑んだ。口に運んで噛み砕く。
「黒髪は王位の証だなんて、今は誰も思ってやしない」
「あなたが思っていないだけです。国民は今も、正当な世継ぎなら黒髪を引き継ぐと信じている」
「シャルンとの間の子どもが黒髪かどうかわからないぞ?」
まあ、文句言う奴は黙らせるがな。
くつくつと笑うと、ガストが苦笑した。
「何だ?」
「本来はそういう方ですよね」
「ん?」
「決断したことに誰にも文句を言わせない遮らせない。力づくでも押し通す」
「まあ、そういうところもあるかもな」
突かれては痛い部分もあるレダンは、ちらりと天井へ視線を外らせる。
「けれど、シャルン妃においては、そうではない」
万が一、ですが。
前置きして、ガストが真面目な目を向けてくる。
「万が一、シャルン妃に受けいれられなかったら、あなたは王位を投げ捨てるおつもりでしたか?」
「…それをあからさまにしていいのか?」
「困るからお尋ねしてるんです」
ガストの真剣な顔にレダンは吐息をついた。
「勘がいい側近は厄介だよな」
「……やはり、本気だったのですね」




