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「はい、そこで右手を前に、はい、そうです、お上手ですね」
「…ありがとうございます」
ダンスを教えている優男に、シャルンがにっこり笑って礼を言う。
「いえ……王妃様はまことに筋がおよろしい、私がお教えすることはもうほとんどありません」
優男は一瞬固まったように動きを止め、慌てたように微笑み返した。その目が、シャルンの薔薇色の柔らかな薄物のドレスと、ふわふわと広がり輝く金髪をまとめた赤いリボンと、ドレスから覗く華奢な腕や足に動いていくのを眺め、レダンは唸る。
「過去の俺を呪うぞ」
「今度は何ですか」
隣で一緒にダンスの練習を見ていたガストが鬱陶しそうにこちらを見やった。
「いい加減にして頂けませんかね、さっきからどれほど不満と不平に満ち満ちてるんですか」
うんざりしたようにレダンの声を真似る。
「あの男はなんでシャルンをまじまじ眺めるんだ? シャルンはなんであんなドレスを着てきたんだ? なんでさっきから二人は一度も手を離さないんだ? まだありましたっけ」
「…」
「言わせて頂ければ、『あの男』は国内でも優秀なダンス教師です。カースウェルの民謡からダフラムの群舞まで教えられるほどの見識と技術があります。まあ、シャルン姫が物覚えがいいことは十分証明されていますが。今踊っていらっしゃるのは、間違っていなければ、ステルン王国の古い古い踊りですよね」
「…俺だって踊れる」
「あなたは男役しかわからないでしょうが」
ガストはレダンの反論を一蹴する。
「ついでに、奥方様があのドレスをお召しになっているのは、『陛下が買い求め、しかもよく似合うと褒めてくださった』からですよ。今日の練習をぜひ見たいと申し入れたから、わざわざあのドレスに着替えてくださったんでしょう。何が問題なんですか、罰当たりが」
「……腕とか足が出過ぎるだろうが」
「今の踊りが、昔風に短いドレスで手足を振り回しながら踊るものだからです、と説明されましたよね?」
「シャルンは恥ずかしがってたぞ」
「そう言う『恥ずかしいドレス』を買ったのはあなたです」
「…」
レダンは眉を寄せて、シャルンが教師の周りを軽やかにステップしていくのを見守る。眉間の皺は深くなる一方だ。
「で、なぜ二人が手を離さないのかは明瞭です、そう言うダンスですから」
「……四六時中繫いでなくてもいいだろう」
レダンは低い声で呟く。
「今は話をしてるだけだぞ、どうして手を離さない」
「…あんたが命じたんですよ、懇切丁寧に優しく教えてやってくれと」
ガストが唸った。
「いい加減にその殺気を引っ込めたら…」
「あっつ」
「っ、ごめんなさい!」
目の前で教師が顔を歪めた。シャルンが足を踏んづけたらしい。ぱっと頬を染めたシャルンが、急いで謝る。
「大丈夫、ここがとても難しいんですよ」
「でも、ラドクリフ先生」
世にも情けなさそうな顔でシャルンが相手を見上げた。
「もう私、3回も先生の足を踏みつけてしまいました」
「けれど、失敗する箇所はどんどん減っています」
教師が微笑む。
「優秀な生徒に教えるのは教師の喜びですよ」
シャルンの手を静かに握って励ますように続ける。
「どうか、マイヤードと呼び捨てになさってください、王妃様」
ガツン!
いきなり大きな音が響いて、ガストが溜め息をついた。
「あー、すまない」
レダンは驚いて振り返った二人に唇の両端を無理やり引き上げる。
「剣を、落とした」
「…突っ込むべきは、どうしてダンスの練習に帯剣してるのかとか、今なぜ剣が落ちるような状況になっていたのかってことでしょうね」
ガストの嫌味なことばを聞き流し、レダンはできる限り友好的に笑みを浮かべる。
「邪魔するつもりはなかったが、どうだろう、今日はこの辺りにしては」
「でも陛下!」
シャルンが不安そうに首を振る。
「今のダンス、私はまだ失敗してしまいます」
「陛下」
教師が静かに頭を下げた。
「私の力不足で、王妃様にお時間を頂いております。がしかし、もう少しで完璧に仕上がるかと」
「いや、その、つまりだな」
レダンは引き攣った笑みを今もなお繋がれたままの二人の手に向けた。
「あとは、私が教えたい」
「…そんな、陛下!」
シャルンが一気に青ざめる。
「私、陛下のお御足を踏んでしまいます!」
「ええ私も既に幾度か踏まれて…」
同時に口を開いた2人にぶち、と何かが切れる。
「だから、次は俺が踏まれたいんだって!」
思わず叫んだレダンにその場の雰囲気が凍りついた。