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「陛下がお風邪…」
「はい、まあ、戻ってこられた日は珍しく冷えましたからね」
ルッカが忙しく、次の旅行の準備を進めつつ頷く。
「姫様、いえ、奥方様もお顔色が悪かったので、私どもも心配しておりました」
「はい、とても」
ルッカと一緒に手伝っていた女官が、同じように頷く。
「どちらにせよ、しばらくはお城で休まれるでしょうし、次の国へ出かけるのはもう少し先ですから、姫様、いえ、奥方様もゆっくりお休みくださいまし」
では、私どもはこれで。
寝支度を整えた女官とルッカが引き下がると、シャルンは部屋にぽつりと残された。
「……陛下ももう、お休みなのかしら」
ルッカ伝えにしばらく二人の寝室ではなく、レダン個人の部屋で休むと聞かされている。
部屋の隅に小さく灯された明かりにレダンの笑顔が浮かぶ。
「お一人で……寂しくはないのかしら…」
結婚してずっと、二人で一緒に眠ってきた。
少なくともシャルンは、ベッドがこんなに広いとは思っていなかったし、大きな羽根枕をくぼませて笑うレダンの顔がなくて、心細い。
「陛下は……私がいなくても、お寂しくないのかしら…」
バタン!
ふいに扉が開け放たれて、死ぬほどびっくりした。
思わずベッドに身を竦めると、急足にやってきたのは出て行ったはずのルッカだ。どこからか走って戻ってきたのか、息を切らせて駆け寄ってくると、
「姫様、これを!」
「え?」
「陛下に差し上げてくださいませ」
掌に押し付けられたのは小瓶だ。ハイオルトによくある練り上げた土を焼いた瓶、口には木の蓋が詰め込まれている。
「これは」
「もしかしてと思って、ハイオルトより持参して参りました」
「もしかして?」
「姫様、ひょっとしてひょっとすると、まだ陛下と一夜を過ごされていないのではありませんか」
「いえ、毎日一緒に眠って」
「そうではなく」
「…っ」
ルッカに強く遮られてことばを呑んだ。熱くなる頬に俯く。
「やはり…」
ルッカが残念そうに溜め息をつく。
「だから陛下がお熱を出されたのですね」
「…え?」
風邪を引いた、と聞いたのだが。
シャルンが不安そうに顔を上げたのを見てとったのだろう、ルッカがにっこりと笑って見せた。
「そういうことはあるものです」
「そういうこと?」
「殿方は不満が溜まると体調を崩されますからね」
「……それは、あの…」
シャルンは口ごもった。
全く知らないわけでもない、1ヶ月抱かれていないのは優しさだと思っていて、いや思おうとしていたのだ。シャルンがカースウェルに落ち着くのを待ってくれている、いつかはその思いやりに応えたいとは思っていた、が。
ひょっとして、レダンに無理をさせていたのか。
「そう…だったの…かしら…」
「…その辺りも、男親ですもの、お床指導についてはご配慮がなかったのですね」
「お、床、指導…」
「持ち出してきてようございました。よろしいですか、姫様」
ルッカが丁寧に蓋の開け方を教えてくれる。
「強い香りが致しますが、我慢して一口お飲みくださいませ。それから、もう一口含まれて、陛下に口づけなさいませ」
「私も飲むの?」
「失礼ながら姫様は、お育ちが良く、殿方は大事になさりすぎるかもしれません」
ルッカは大真面目で小瓶を示す。
「本当ならば、この半分ほどお飲み頂くと効果的ですが、姫様には刺激が強すぎて眠ってしまわれるかもしれません。陛下に一口お飲み頂いたら、お願いして全部お飲み頂くと良いでしょう」
「あの、ルッカ」
シャルンは説明が飛んだ気がして尋ね返す。
「陛下はいつ、その、一口目のお薬を飲まれるのかしら」
「姫様が口づけされた時です」
「……え…」
え。
え。
「……ええっ、あの、陛下は、その、私の口に含んだものを…」
確認しながら顔が熱くなって視界が眩んできた。
「そんな、失礼なことを…っ」
「もっと失礼なことをされることもあると思いますが」
「え?」
「いえ、こちらのお話です」
ルッカがぼそりと不穏なことを呟いた気がして慌てて問い直すと、相手は緩い微笑を浮かべた。
「とりあえず、姫様はまず一口これをお飲みくださいまし」