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「……そんな話が」
「あるわけは、ありません……よね…」
ステルン王国からの帰りの馬車で、シャルンは沈み込んでいる。
何が何だかわからなかった。
広間に戻ってみれば、ギースは友好的な態度でシャルン達をもてなし、女官長カルミラも甲斐甲斐しく宴を仕切り、ギースから、通常なら男性が取り仕切る様々な準備も全てカルミラがやってのけていると、惚気にも近い褒めことばを聞かされた。
あまつさえ、シャルンとの婚儀を断ったのは、体調不良のため呑んだ薬が体に合わず胃腸を壊しており、シャルンを床から下がらせて不愉快な思いをさせたから、自分にはその資格がなかったのだと考えたためだと説明され、ますます混乱した。
様子がおかしいことに気づいたレダンが帰る道すがら事情を聞いてくれ、何とか話をしたものの、何が真実か信じられなくなって、シャルンは泣き出しそうになっている。
「シャルン」
「…はい……んっ」
ふいに顔を掬い上げられ口づけられて、シャルンは驚いた。
「俺は不愉快なんだが」
「は、い」
ああ、やっぱり。
シャルンは滲みそうになる涙を必死に飲み下す。
やっぱり、私は、好かれる術など知らないんだ。
「今の話だと、あなたは一度はギースにひどい扱いを受けて破談にされた。そうだね?」
「はい、でも」
口を噤んだ。
まるで悪い夢だったとでも言われたように、そんな辛い過去も始めからなかったように現実がすぎて行く。
「でも、私は」
ふ、とそっくりな感覚が蘇った。
レダンと正式に結婚して、甘やかで優しい日々が続いているけど、どこかでずっと怯えていた。
これは夢なのではないかしら。
こんな優しい暮らしなんて、あるわけがないのではないかしら。
私は今も、目が覚めたらハイオルトの寝室で一人、身支度をして父の元へ行って、新たに申し込まれた求婚の話を聴きながら、どうして好かれることがないのだろう、どうして嫌われるしかないのだろう、と胸を詰まらせているのではないのかしら。
「今の話で一番不愉快なのはね、シャルン」
そうっとレダンが震えるシャルンを引き寄せてくれた。揺れる馬車の中、膝に抱き上げ、抱きしめてくれながら、
「あなたがずっと嫌われるために頑張ってきて、なのにようやく愛されるようになってもまだ、嫌われた記憶を大事に残そうとしていることだよ」
「でも……でも…私」
見る見る溢れた涙に両手で顔を覆う。
「私…頑張って…頑張って嫌われて…きました…っ」
「…うん…」
「本当は……嫌われたく…なかったのに…っ」
「うん…」
そうっとレダンが労わるように髪に口づけてくれる。
「…何も…なかったなら…」
溢れだしたことばは止まらなかった。
「頑張った私は……っ……どこに行っちゃうんでしょう…っ」
「……うん」
「……犬に……噛まれた………ギースが……いなくなったみたいに……」
痛かったり悲しかったり辛かったりしたのに、どこにも姿がなくなって、
「……幸せだけが…残っちゃって……」
「シャルン」
レダンが強く抱きしめた。
「…なくなっていない…全部、あなたの中にある」
そうでなければ。
「あなたが俺の腕の中にいるわけがない」
「レダン……」
「そうだろう?」
低い笑い声が切なそうに響く。
「俺と出会わない運命を選ばないでくれ、シャルン」
時のいたずらか何かが起こって、ギースはあなたを敬うようになっているけれど、俺が思うに、その変化も込みで。
「あなたは俺とここにいる」
「……はい」
「そういうのもあり、にしてくれ、シャルン」
レダンが腕に力を込める。
「でなければ」
さっきギースに跪かれたあなたにぞっとした俺が、可哀想過ぎるだろう?
続いたことばが、ひどくいじけた子どもの声に聞こえて、シャルンはようやく、少し笑った。




