身勝手な思い
「なんなんだよ……お前……」
呟きは酷く小さく、辛うじて俺の耳に届いた。
消え入りそうな、掠れるような声音。俺はすぐに振り向いて確かめたかったのだが、何分頭ががっちりと固定されているので、微動だにできない。そして眼前、至近距離の星崎には、やはりその声は聞こえていなかった。
「星崎、おい星崎!」
「なに? 辞世の句でも浮かんだ? 十秒だけなら待ってあげないこともないわ」
「いいから前見ろ前!」
「往生際が悪いわね……って、え?」
ようやく現状に気づいた星崎が、前を見て目をぱちくりとさせる。手の力が緩み、その隙に俺は素早く拘束から抜け出した。
ギリギリと頭蓋が痛むが、今は気にしている場合ではない。後ほど、ウチの癒やし系スライムさんに診てもらう必要はあるやもしれなかったが。
「どうだ星崎、こいつで合ってるか?」
「え、ええ。たぶん」
姿を現した例の彼は、線の細い小柄な少年だった。学生服の上からフード付きのパーカーを目深に被り、その下の顔も長い前髪に隠れているので、表情ははっきりとは見えない。それでもおそらくは、俺たちと同年代かあるいは少し年下であろうことが窺い知れた。
「お、お前、そんなに彼女に近づいて……だ、誰なんだよっ」
「それはこっちが聞きたいんだがな」
「うるさいっ! 僕の質問に答えろっ!」
敵意のこもった視線で、少年が喚き散らす。別段凄みはないのだが――それを言えば、先ほどまでの筋肉少女の方が十倍は恐ろしかった――暴走間近のギフテッドらしく、感情を激しく露呈していた。
「誰と言われてもな。名前か? 所属か? それともこいつとの関係性か? 質問ははっきりとしてほしいもんだな」
「う、うるさいうるさいっ!」
激高する少年を、さらに煽って挑発する。内心、俺はほくそ笑んだ。ここまではおおかた、予想どおりの展開であった。
ストーカーが対象に抱く執着など、突き詰めればニ種類しかない。恋慕か、あるいはそれが変化した怨念か、そのどちらかだ。
星崎に全く覚えがないので、今回は前者であろうと判断した。
これで第一段階はクリアだ。今回、いちばんやっかいだったのは「こちらから相手を認識できない」ということだった。ずっと隠れられたままでは手の打ちようがなく、どうにか相手の執着を俺にも向ける必要があった。
つまりは、隠れ潜む相手をおびき出すためにわざと星崎を怒らせ、彼女との過度の接触を見せつけたのだ。もちろん、相手の感情を沸き立たせ、冷静な判断力を奪うという効果も考えた上で。
これまでに、あたかも俺が星崎に懸想しているかのような言動を繰り返したのも、そのためだ。結果、相手は俺の思惑のままにフラストレーションを溜め、自ら姿を現した。
そう、全ては演技だったのだ。もちろん。当然。紛れもなく。
…………。
…………。
…………そのあたりは、とりあえずあとで考えることにしよう。
「まさか……か、彼氏とかじゃないだろうな?」
続く少年の言葉に、俺はここが攻め時だと判断する。男をいじめる趣味はないが、落ち着きを取り戻されても面倒だからな。
「まさかも何も、それ以外の何に見えるってんだ?」
ドヤ顔でそう言って、星崎の肩を抱くように寄せる。
「ちょっと、なにするのよ?」
「合わせろ。捕らえるチャンスだ」
小声で呟くと、星崎は不承不承ながら視線に了解の意を込めてきた。
「う、嘘だ! ずっと見守ってきたけど、お前は今日初めて見たぞ!」
見守ってきた、ね。もしかしたら、何やらのっぴきならない事情があるのかとも思ったが――やはり典型的な、自分勝手な思いをこじらせたストーカー野郎だな。同情の余地はない。今日中にケリをつけてしまおう。
「しばらく忙しくしてたからな。会えなくて寂しかったぜ、ハニー」
「寒けが……そ、そうね、ダーリン」
「なんだ、寒いのか? 季節の変わり目に風邪を引くといけないからな。ほら、もっとくっつけよ」
「ウワァ……アッタカイワァ……」
「ぬぐぐぐ……!」
星崎の演技が棒だが、どうやら少年には充分なダメージを与えられているようだ。恋は盲目――いや、ちょっと違うか? とにかく、細かいことは気にしないでいいだろう。
視線に思いっきり侮蔑と嘲笑を乗せて、俺は少年を見下す。
「このとおり、俺たちはラブラブでな。お前みたいなストーカー君はお呼びじゃないんだよ」
「うわぁ……あんた悪い顔似合うわねぇ……」
失礼な感想はスルーだ。ちょっと楽しいのは否定しないが。
「ううう、嘘だ嘘だ! 星崎さんは、あいつらとは違う……あんなビッチどもじゃないんだ!」
「星崎、お前にビッチ疑惑が発生してるぞ」
「はぁ? この清純可憐な乙女聖歌ちゃんのどこがビッチなのよ?」
「可憐な乙女は人様の顔にアイアンクローをかましたりはしない。……ってか、この口ぶりだとやっぱりお前と面識ある感じなんだが」
あいつら。ビッチ。気弱な少年。男前な星崎。なんとなく構図が見えてきた気がする。
「それが、まったく記憶にないのよね。さっきから思い出そうとはしてるんだけど」
「そ、そんな……あの時、僕を助けてくれたじゃないかっ!」
「あ、わかった。お前アレだろ、罠にかかった鶴とか狐とか助けたんだろ? こいつソレだよ」
「それでなんでストーキングされなきゃいけないのよ。機を織りなさいよ機を」
「だ、そうだ。一反仕上げてから出直してこい」
「僕だよ! ほら、あの女どもに襲われていた僕を救ってくれただろ?」
うわ、無視された。まぁ、今の家庭に機織り機なんぞないか。そして女に襲われたって……確かに見ようによっては、ショタ系に見えないこともないか?
「あー……そういえば、そんなこともあったかもしれないわね」
「お前、なんでそんなインパクト大のイベントを忘れてんだよ?」
「しょうがないでしょ。いちいち助けた相手なんて覚えてないわよ」
「え、つまりなんだ、お前は日常的に絡まれてる男を助けてるのか?」
どこの主人公様だよこいつ。逆ハーレムでも作れるんじゃねぇの?
「なに言ってるのよ、男とか女とか関係ないでしょ? 普通、困ってる人がいたら助けるでしょうが。当たり前のことじゃないの」
やっぱり主人公だった! それも目についたのを片っ端から救っていくタイプの、極度のお人好しだ。反物ももらったことがあるに違いない。
「んで、こいつもその中の内のひとりだったと」
「思い出したわ。なんか女の子五人ぐらいに囲まれて、ジャンプさせられてたのよ」
「女にカツアゲされてたのかよ……」
情けない奴だな……いやでも、昨今の女子はべらぼうに強かったりもするからな。朱里たち五人に囲まれたら、俺なら即座に土下座して財布を差し出すだろうし。
思い出してもらえたことが嬉しかったのか、少年の雰囲気がにわかに活気を帯びる。
「僕、ずっとお礼がしたくて……でも僕には何もできないし……だからせめて、近くで見守ろうって。そう思って、この力を……〈君をそっと、この影から〉を手にしたんだ」
「……」
「だからさ、星崎さん。こんな奴と一緒にいちゃ駄目だよ。こいつ、他の女の子にも色目を使ってたじゃないか。あなたにはふさわしくない。
大丈夫、安心して? 僕がちゃんと、あなたのことを見守って――あなたに近づく変な虫は、排除してあげるから」
興奮気味にまくしたてる少年。前髪から僅かに覗くその瞳は、気づけば渦を巻いていた。
狂いの片鱗――こうなってはもう手遅れだ。彼を止める手立てはない。他ならぬ星崎の言葉だって届かない。またなんとも、後ろ向きに前向きな決意をしてくれたものだ。
ギフトを発現するぐらいだ、その思いの強さは認めてもいい。だが、それだけだ。独りよがりな感情は、決して相手に向いてはいない。
過去の彼女たちと同じだ。それは結局のところ、ただ自分の願望を押し付けているだけに過ぎない。俺は受け入れることに決めたが、果たして星崎はそれをどう受け止めるのか。
その答えは、彼女の表情を見れば明らかであった。
「……なによそれ。あたし、そんなこと頼んでない」
「いいんだ、気にしないで。僕が好きでやってることだから」
「そうじゃなくて!」
星崎が声を荒らげる。無遠慮に心に立ち入ってきた異物への、それははっきりとした怒りと拒絶であった。
「勝手にあたしのことを決めないで。確かにあたしはあなたを助けたかもしれないけど、それはあたしがそうしたかっただけ。ただの自己満足。見て見ぬふりをしたら、あたしの気分が悪くなるから。ただそれだけなの」
「うん、そうだね。僕と同じだ」
「違うわ。全然違う」
「どうして? 僕も星崎さんも、無償の善意を示しているだけ。見返りを求めているわけじゃない。まったく同じじゃないか」
押し問答が繰り返される。やはり少年にはもう、言葉は届かない。理詰めで矛盾を指摘したところで、すぐに別の解釈を自分に都合のいいように当てはめてしまう。
狂いの先にある結末は、ただひとつ。暴走だ。彼を正気に戻すチャンスがあるとすれば、それはそのあとに――感情を撒き散らしたあとにしか訪れない。故に。
ここからは、対峙の時間だ。
「言ってもわかんねぇだろうけど、言ってやるよ。お前と星崎はぜんっぜん違う。何ひとつ似ちゃいねぇ。そんなこともわからないほど、もうお前は狂っちまってる」
「うるさいな。部外者は黙っててくれよ」
「部外者じゃない、俺はこいつの彼氏だ。少なくとも今日、こいつの初めてのデート相手に選ばれた男だ。いいか、よく聞け。お前のそれは無償の善意なんかじゃない。ただの身勝手なわがままだ。子供じみた欲望の押し付けだ。そんなもんを、星崎の思いと一緒にするんじゃねぇ!」
「……ふ、ふん、それをどうやって証明するんだ? 僕の心が読めるとでも言うのか?」
嘲るように、少年が笑う。希少な感応系のギフテッドでもない限り、そんなことできるはずがないと。
そう。そんなこともわからないほど、今の彼は愚かしかった。
「じゃあお前、なんで出てきたんだ?」
「なんでって、それは――」
「見守るんだろ? 無償の善意なんだろ? なら、ずっと黙って見てろよ」
「だからそれは、お前が彼女には相応しくないからで――」
「星崎がそう言ったのか? 言ってないよな? 勝手に判断するんじゃねぇよ。お前の妄想を押し付けるな」
「……ぼ、僕にはわかるんだよ! 星崎さんは、お前なんか求めちゃいないんだ!」
「そっくりそのまま返してやるよ。お前、それをどうやって証明するんだ? こいつの心が読めるとでも言うのか?」
「――っ」
見事なブーメランが、深々と突き刺さった。語るに落ちて、自ら底なし沼にはまっていくスーサイドスタイル。
「なんだかんだ言ってもな、結局お前の思いの本質は星崎への恋慕だよ。憧憬を含んだ恋慕だ。いいか、狂おしいまでの感情を昇華したものがギフトだ。それを手にしたお前の願いが、「ただ見守りたい」だなんて、そんなお淑やかなものであるはずがないんだよ」
「う……うう……」
「知らないなら教えてやる。知っているなら暴いてやる。極端に自分に自信のない、お前の本当の願いはな、「知られることなく星崎の近くにいたい」だ。それをお前は、尤もな理屈を付けて隠した。自分でもわかってるんだろう? 星崎と連れ添って並ぶなんてことは――酷く、おこがましいと」
「ううう……!」
唸りを上げて、少年が顔を歪ませる。白日の下に心の深層を晒され、感情を処理できていない。
その外見以上に、少年の心は弱々しく、幼かった。
「……ねぇ、なんかちょっとかわいそうになってきたんだけど」
「同情はするなよ? こういうタイプはすぐにつけ上がるからな」
要は、承認欲求に飢えているのだ。だからこそ、自分を顧みてくれた星崎にこれほどの執着を見せ、ギフトまで発現させた。
そうなってしまうまでの、彼の物語もあったのだろう。とはいえ、勝手にその登場人物にされてはたまったものではない。
星崎を求めるのであれば。せめて彼は、正面から当たるべきだった。
「僕は……僕は悪くない……悪くない……お、お前がっ! お前さえいなければっ!」
「とうとうまともな対話すらできなくなったか」
論理を経ない恨み節を吐露する少年。暴走直前の兆候である。
「……アレ、大丈夫なの?」
「問題ない。予定どおりだ」
冷静なままだと、どうギフトを応用してくるかわからないからな。徹底的に挑発して、逆に行動を縛らせる作戦であった。
そして。
「これで充分、時間は稼げただろ」
そう言って、スマホの着信履歴をリダイヤルする。
さぁ、このワガママ小僧にキツいお灸を据えてやるとしよう。




