父、怒る
「なるほどな、最初からそちらが本命だったということか」
大臣の言うとおり、この部屋に入る前から、壁そのものを〈透過〉させておいたのだ。なお、こちらは言うほど単純ではない。
ただ壁を〈透過〉させただけでは、異常に勘の鋭い大臣や見分役の早霧に気づかれてしまう可能性があった。故に昨夜の内に仕込みを済ませてある。
まずは香里奈の〈透過〉を壁全体に。次いでシャルロの〈絶対防壁〉で、寸分違わぬ同じ壁をそこに重ねた。これで見た目にも感覚的にも何も変わらない、元どおりの壁面ができあがる。
そして俺がこの部屋に入り、早霧を挑発すると同時に、こよりの〈歪曲〉で壁を少しずつ後方に傾けていったのだ。
あとに残るのは、最初に〈透過〉させた本来の壁のみ。少しずつ一部分の描写が変わっていくだまし絵のように、人間の知覚ではゆったりとした変化に案外気づけないものだ。
ちなみに、いちばん大変だったのは未だにぷんすかしていたシャルロのご機嫌取りであったりする。結果、例のディナー権を含めて一日あいつに付き合うことになったわけだが……まぁ、あとのことはあとで考えよう。
とにかく、これだけの事前準備をしてようやく大臣の裏をかけた。他にもいくつか予備策は用意してあったが、それらを使わずに済んだのは幸いである。可能な限りスマートに段階を進められたと言っていい。
「ふん、いいだろう。話だけは聞いてやる」
してやられたはずの大臣は、しかし悔しそうな素振りなど欠片も見せずにそう言った。まぁ、そんなものはハナから期待していない。相手をテーブルに着かせられただけで充分だ。
「ありがとうございます。では――」
「ああ、その前にその取ってつけたような敬語はやめろ。ほら見ろ、あまりに気味が悪くて鳥肌が立ってきたぞ」
「…………」
病的なまでに白い腕に粟立つ、プツプツとした突起。
……え、マジで? そんなに? 地味にショックなんだが。
そしてそんな俺の様子を見て取り、すぐ様邪悪な笑みを零す大臣。
「どうした四条、お前に傅かない女は久しぶりか?」
「ちっ……相変わらず性根までドSな女だな、あんたは」
せっかく取ったイニシアチブを奪われない内に、軽口を叩き返す。少しでも隙を見せると嬉々として攻めてくるところは、昔からちっとも変わっていない。
まぁ、俺も半ば嫌がらせで敬語を使っていたわけだが。
「じゃあ、単直に聞く。息子の件、いちばん上にいるのはあんたか?」
「そうだと言ったら?」
「もう関わらないでくれ……ってのは無理なんだろうな」
「話にならんな。アレの有用性は、はっきり言って私やお前を超えるぞ?」
肩を竦めて首肯の代わりにする。やはりそう簡単にはいかないか。
今回冬馬は、曲がりなりにも最強最悪たる「破壊の女神」の制御に成功した。あの圧倒的な殲滅力を自在に扱えるだけでも、他の組織や他国の祝福機関に対する充分なアドバンテージとなる。
加えて今後現れるであろうギフテッドたちに対しても、冬馬は切り札となる。「死に関する思い」を礎にギフテッドとなるケースは存外に多い。それはある意味究極の感情だ。そしてそんな感情を宿した彼女たちのギフトは、強力なものに決まっている。
それらを全て支配下に置けるのであれば、それは最早世界最強の軍隊となる。その影響力は計り知れず、大臣でなくとも放っておけるはずがなかった。
事は祝福省の内部に留まらない。可能であれば秘匿しておきたいところだが、我が国も一枚岩ではない以上、遠からず世界が冬馬の存在を認識する。その結果起こるのは、各国による冬馬の争奪戦だ。様々な政治的、経済的理由を隠れ蓑に使者が派遣され、冬馬を獲得しようとアプローチをしてくる。
何しろ、メリットがとんでもない。冬馬ひとりを囲い込むだけで優秀なギフテッドが多数付いてくるし、自国の抱えるやっかいなギフテッドを制御、うまくいけば組織化できる。
我が国が他国に先んじてギフト大国を名乗っていられるのは、偏にこの組織力のためである。実のところ、民主化された国家の中でも統率されたを公的祝福機関を持つ国はそれほど多くはない。またあったとしても、その規模は小ぢんまりとしたものがほとんどだ。
ギフテッドの統率は難しい。何故ならば、言い方は悪いが、彼女たちは感情の化け物であるからだ。その点に関しては、比較的温厚で慎み深い国民の気質も相まって、我が国には他国に一日の長がある。
故に、その優位性を保つためにも、冬馬の他国への流出は避けたい。大臣もそれがわかっているからこそ、冬馬を野放しで放置しておくなどといった選択肢は取れるわけがないのだ。
あるいは国によっては、暗殺を考えるかもしれない。特に民主的でない国にとって、冬馬の存在は邪魔になる可能性の方が高い。
放置しておけば他国が国力を増し、かといって自国に取り込もうとも、冬馬たちを「教育」する労力が必要となる。その上失敗すれば、有力なギフテッドだけを掠め取られて、内乱を誘発する危険性すらある。
ならば最初から排除してしまおうという考えに至っても、なんらおかしくはない。
俺が最も恐れている展開がそれだ。冬馬が暗殺されたとして、では残った少女たちはどういう行動に出るのか。
それは火を見るより明らかだ。抑え役のいなくなった彼女たちは、その憎悪を撒き散らす。それが直接の原因となった対象だけに振るわれるならまだしも、そこで終わるという保証はない。
最悪、怨嗟の炎が世界そのものを焦がし尽くすまで――否、それでもまだ、彼女たちは止まらないかもしれないのだ。
〈貴方を愛死てる〉。
それは正に、終末を孕んだ感情の集合であった。
つまるところ、大臣としては冬馬の動向を完全に管理したい。その一挙手一投足に至るまでの全てをだ。
確かにそれがいちばん安全ではある。だがそれでは、冬馬に一切の自由がなくなる。付随して、国にいいように使われるのがオチだろう。
ようやく冬馬が、自らの足で一歩を踏み出したのだ。俺としては、なんとかその折衷案を見出してやりたかった。
「じゃあせめて、ある程度の自由を保証してくれ。当たり障りのない範囲で監視を付けるとか。どうせ今も付いてるんだろうが」
「それで国に不利益な事態が起きたらどうする? 誰が責任を取るんだ?」
「当然、俺が取る」
「お前の首ひとつでは足りんかもしれんぞ?」
「できることはする」
「自惚れるなよ」
大臣の怒気を含んだ声と、名前のとおり鷹のような鋭い眼光を受け止める。彼女の放つ圧力が一気に強くなるのを感じた。
ギフトなどなくとも、それだけで大抵の人間は竦み上がってしまうことだろう。一瞬後悔が過ぎるが、奥歯を噛み締めて受け流す。この程度で臆しているわけにはいかない。
ここが正念場、体の張りどころというやつだ。
「お前に何ができると言うのだ? 未練たらしく死んだ者を諦めきれず、力を削いでいるお前に」
「……できるさ」
決意を言葉に乗せる。それは失うための決意だ。
大臣の言うとおり、現在俺のギフトは大きく弱体化している。正確には、複数対象への常時行使により「制限」がかかっている状態だ。
年を経るごとに、守りたいもの、止めておきたいものが増えた。中でも大きなものが、妻の――六花の体に関することだ。
あの日、暴走して自身にギフトを放った六花の体を、俺はすんでのところで〈停滞〉させた。危ういタイミングだったので、ちゃんと間に合ったのかどうかはわからない。ただ確実なのは、俺がギフトを解除すればすぐ様彼女の存在は失われるということだ。
涙を流したままの六花の体は、とある場所に保管してある。そうして、俺はひとつの可能性に賭けることにした。
ギフトに対抗できるのはギフトだけ。すなわち、六花を確実に救えるギフテッドが現れるまで、俺は待つことにしたのだ。
それは細い細い、天から垂れ下がる蜘蛛の糸が如き、一縷の望みであった。
世界が人々の願いを叶えるようになってから、おおよそ七十年。人類史に比べれば遥かに短いが、確かな年月が刻まれた。古今東西、様々な願いを込めて、彼女たちはギフテッドとなった。
ここにひとつの統計がある。すなわち、世界で最も望まれた願いとは、いったいなんであるのか。
その答えは「復讐」である。過酷で理不尽な運命に立ち向かうため、あるいは誰かを見返してやりたいという思いで、彼女たちは願いを叶えた。
だが実のところ、この統計は不完全である。何故ならば、願えど祈れど叶わなかった思いがあるからだ。
その真なる答えは、「死者の蘇生」。未だかつてその願いだけは、誰ひとり叶えた者が存在しない。
凛子ちゃんの〈具現〉や蓮ちゃんの〈再生〉のように、そこに限りなく近づいた者はいる。されど本当の意味でそれを成した例は、まだ誰にも見つけられていない。
それは究極の願いだ。強い思いであるはずの、世界中が求めているはずの願いが未だ叶わないのは何故なのか、それはわかっていない。そもそもがギフトの存在意義すら不明なのだ。神の禁忌に触れるが故としか想像のしようもない。
俺が求めているのは、そんな願いだった。見つかるかどうかもわからない、限りなくゼロに近い可能性。でも、俺は諦めてはいない。細い細い糸でも、振り返りさえしなければ人をひとり救うことはできるはずなのだ。その糸口を見つけるまで、俺は絶対に諦めないと、そう誓った。
そう――今、この時までは。
「なぁ、ヨーダさん」
古い呼び名を告げる。それは彼女の名前をもじった、俺だけの呼称だ。そう呼ぶと、決まって彼女は嫌がった。「お前には私があの緑色の化け物に見えるのか?」と、蔑みの視線を送ってきた。
でも他の人間がそう呼ぶと、彼女は必ずそいつを半殺しにした。例外は俺だけだった。場合によっては俺も半殺しにされたが。だからそこには、ある種の信頼が含まれていると思っていた。俺と彼女の間には、確かな繋がりがあると感じていた。
しかし、今。
そこに乗せる思いは決別と――そして怒りだ。
永らく止めていた感情。
そう。俺は今、怒りを示さなければならない。
「俺は選ぶぞ。もういい年だ、何もかも救えるだんて思っちゃいない。ひとつを救うために、俺はその他を諦める」
「ふん、口だけならなんとでも言えるな。できるものか、お前に六花を諦めることなど――」
「できるって言ってんだろ」
吐き捨てながら、意識を集中する。
ギフトを解除する対象を思い浮かべる。
「いいか、俺は怒っているんだ。まだこんな感情が残っていることに、俺自身驚いている。
よくも――よくも、俺の息子に手を出してくれたなァ!!」
怒りに身を任せたまま、ギフトを解除する。
押し止めていた感情。
冬華を止めていた囲い。
その他諸々の、〈停滞〉させていた細かな事象。
瞬間、溢れるように身に活力が戻ってくるのを感じる。
重しが取れたように、体が軽くなる。
だが、まだだ。
大臣に打ち勝つためには、まだ足りない。
六花の顔が浮かんだ。
こんな時だというのに、それは俺のセクハラを見咎めた時のような、ため息混じりの呆れ顔で。
これでもう、たぶんあいつには会えない。
あいつの蘇生は叶わない。
悪いな、と短く思いを零して。
断ち切るように、俺は、六花を止めていたギフトを――
「待て」
「待たない」
「待てと言っている!」
瞬きの刹那、大臣の姿が眼前に現れ、その勢いのまま俺を押し倒す。襟首を掴まれ、絞め上げられる。
構うものかと、ギフトの解除を念じる俺の目に。
大臣の――否、ヨーダさんの、酷く歪んだ顔が映る。
「この馬鹿者が! お前だけが――お前だけが憂いを抱えているなどと、思い上がるな!」
驚愕が俺を支配した。
それは俺が、初めて目にする。
彼女の表した、確かな感情だった。
大臣室を後にして。
俺は足早に廊下を、階段を駆け、その場所を目指す。
いつもの喫煙所。この庁舎において、俺が唯一心休まる場所。
入るやいなや、煙草を咥えて火を点ける。思いきり煙を吸い込み、吐き出そうとして、盛大に咽る。
「あ、アオさん、お帰りなさい……って、大丈夫ですか? すんごい汗ですけど」
先客の香里奈に指摘され、気づく。止めどなく流れる汗が、全身を冷たく濡らしていた。
「うわ、顔真っ青じゃないですか。幽霊にでも会ったんですか?」
「幽霊の方がまだマシだったかもしれんな……」
どうにか軽口を返せるぐらいには落ち着いてきた。間断なく二本目を咥えて着火。やはりニコチンは偉大だ。
「……もしかして、うまくいかなかったんです?」
「……いや、思っていたよりはいい条件で落ち着いた。おかげ様でな」
もさっとした頭に手を置いて、わしわしと撫でてやる。妙な手触りが不思議と心地良かった。
「わ、もう、また子供扱いしてー」
ぷくっ、と頰を膨らませる香里奈だが、言葉とは裏腹にそれほど嫌そうでもない。ので、継続して撫でておく。
あのあと、感情を露にした大臣だったが、それも一瞬のことで、すぐにいつもの冷徹な顔に戻った。
あまりのことに毒気を抜かれた俺に、大臣は淡々と、冬馬に対する今後の対応を告げた。
監視あり、緊急案件への助力義務あり、されど俺への事前通告をするという、それはおおよそ俺の考えていた例案と一致するもので。
以上だ、と締め括る大臣に、俺は呆けたようにこくこくと頷いていた。
急すぎる展開に、俺はそれこそ幽霊でも見たような感覚を抱いた。大臣が感情を爆発させたなど、言っても誰も信じてくれないだろう。写真を撮っておけば良かったと後悔する。きっとピューリッツァー賞が取れたに違いない。
「ふん、お前はいいな。そうやって喚いていても許される」
最後にそう言って、大臣は部屋を後にした。それからしばらくの間、俺は立ち上がることも忘れてただただ呆然としていた。
部屋の隅に転がったままの早霧のオブジェが、やけにシュールだった。
大臣が本当は何を思っていたのかはわからない。だがまぁ、難題が解決したのは確かだ。とりあえずは安心してもいいのだろう。
そうして俺は、ひとつ肩の荷を下ろすことができたのだった。
「……あの、ちょ、アオさん、撫ですぎなんですけどぉ」
おっと。回想に耽っていて忘れていた。なんかクセになるんだよな、こいつのほうき頭。
見れば、香里奈の顔はプスプスと煙を上げそうなほど真っ赤に染まっていた。羞恥と歓喜の入り雑じった、いじらしい表情。
その様に、先ほど解放したばかりの俺の感情が反応を示す。ずっと考えないようにしていたが――これはやはり、そういうことなのだろうか。
手を放し、香里奈の顔を正面から見つめる。
「香里奈、お前さ」
「うえっ、な、なんですか、顔近くありませんか?」
「俺のこと、好きか?」
「へ? ――――な、な、な、何言ってるんですかいきなりちょっと待って待って待ってください心の準備がうひゃああああっ!」
わたわたと手を振りながら、香里奈がずざざっ、と俺から距離を取る。……ああ、もう、駄目だなこりゃ。ごまかしきれんわ。
正常な感覚に戻った俺の感情が、事態をありのままに感じ取る。なんともやっかいな問題だが、今までツケにしていた分、きちんと精算するのが筋なのだろう。また考えることが増えてしまった……。
六花がああなった時、俺が最も恐れたのは何か。実のところ、それは俺自身の感情の変化であった。
時を経れば、俺は少しずつ六花への思いを薄れさせてしまうのではないかと思った。なんとも情けない限りだが、そこに絶対の自信を持てなかったのだ。
故に、俺は自身の一定以上の感情を〈停滞〉させた。それにより、どんな誘惑をされても勘違いや気のせいだと思うことができていたのだが……。
冬馬が、狂おしいまでの少女たちの思いを受け止めたのだ。父親たる俺が逃げ続けていては、示しにならないだろう。しっかりと向き合って、答えを出さなければならない。
……まぁ、でも、とりあえずは。
「俺は好きだぞ、香里奈」
「ふえっ、ほ、ほ、ほんとに……?」
「ああ、なんたって――優秀な部下だからな」
「え、え、…………えええぇぇーーーっ!」
そう言って、お茶を濁す。
香里奈の顔が、今度は違う意味で赤みを帯びていく。
悪いが、少し待ってほしい。
俺にだって、心の準備は必要なのだ。
そう思いながら、目を瞑り。
迫りくる気配に、俺は左頬を差し出すのだった。




