父、直訴に赴く
両開きの大きな扉を前にして、俺はひとつ深呼吸をする。荘厳とまでは言えないが、充分に威容を誇るその門構えは、ここを訪れる者にある種の緊張感を強いるものだ。
それが初めから意図された設計なのかはわからないが、どちらにせよあの女はその効果もきちんと把握していることだろう。使えるものならなんでも使うその精神は、ある意味エコロジカルに通じているのかもしれない。ただしそこには、いちばん大事なリサイクルという概念が抜け落ちているのだが。
扉の上に掲げられたシンプルな表示。大臣室。
そう、俺だって緊張することはあるのだ。例えば、組織的にも個人的にも頭の上がらない上司に会わなければならない時とか。
今ごろになって尻尾を巻いて逃げ出したい衝動に駆られるが、生唾と一緒に飲み込んでなんとか押し止める。ああ、煙が吸いたい。この部屋の前には是非とも喫煙所を設置すべきだと、そう提言すれば多数の賛同を得られるのではなかろうか。
言い訳を考え出すとキリがないので、意を決して扉をノックする。そのまま返事を待たずに中へ。
「失礼します」
「四条室長? アポイントは受けておりませんが?」
広い室内には、秘書室所属の大臣専属である早霧と。
その奥で黙々と書類の束と格闘をする、天月夜鷹祝福大臣その人が。
「取ってないからな」
「なっ!」
棘を含んだ早霧の言葉に、にべもなくそう答える。対する早霧の反応は予想どおりだ。相変わらず沸点が低いようで、憤激を隠そうともしない。
その間に室内全体に視線を這わせ、状況確認を済ませる。視認できる範囲に異質な気配はなし。構えすぎかもしれないが、大臣を相手取る際はどうしても用心をしてしまう。癖になってんだ、周りの確認すんの。
「どういうつもりですか? 事と次第によっては――」
「はい、失格」
「っ!」
告げると同時にギフトを解除。〈停滞〉させておいた鬼灯の〈暴風域〉、その推進力を背に受け、瞬時に早霧へと接触する。
間髪入れずに、首から下の身体活動を〈停滞〉。なお、こいつはセクハラすると後がうるさそうなので、無難に脇腹あたりを掴んでおいた。
さて、軽くレクチャーぐらいはしておいてやるか。
「お前さ、一応は大臣の護衛役でもあるわけだろ? いくら身内とはいえ、通告なしにギフテッドが現れたんなら、その時点で捕縛しろよ」
「むっ、ぬぐぐぐ……」
外見はいかにも重役秘書といった感じの早霧だが、その中身は色々とうっかりが過ぎるところがあった。まぁ、こいつがいなくとも大臣に危害を加えるのは難しいのだが。
そのせいもあってか、大臣は基本、部下にそういう指導をしたりはしない。自ずから高みに登ってこれる者しか相手にせず、このままでは歴代の秘書役と同じく、早霧も切り捨てられてしまうのは想像に難くなかった。あるいはこの女は、誰も信用していないのかもしれないが。
短い間とはいえ、早霧は祝対に属していた俺の元部下でもある。故にそういう結末を辿るのは、少々忍びなくも思うのだ。
「俺が大臣の殺害を計画してたり、そうでなくとも他者支配系のギフテッドに操作されてる可能性を考えたか? 少しでも不審に思ったら無力化しろって、お前が秘書室に行く前に言ったと思うんだがなぁ」
「ま、まさかとうとう乱心を? 前々から怪しいとは思っていたんです。祝対の少女たちだけでは飽き足らず、私たちもその毒牙にかけようというんですねこのスケコマシ野郎むぎゅうぅぅ!」
「あー、やっぱちょっと黙ってろ」
段々めんどくさくなってきたので、口を塞いで黙らせる。もう少し人の忠告を素直に聞いてくれればいいのだが……直んねーかなこいつは。
「むぐーっ! やめまはいはまひまはいほのレイフ魔ーーっ!!」
「……〈停滞〉せよ」
「んふーーっ!」
駄目だこりゃ、と早々に見切りをつけて、意識も刈り取る。そうなればあとは気を遣う必要もないので、くったりと寄りかかってくる体を支えついでにひと揉みしておく。八十八。うむ、乳は中々にいいモノを持っている。
なお、感覚はそのままに時間だけを〈停滞〉させれば、解除時にそれまでに受けた刺激を一気に与えるという、それこそ「エロ同人みたい」な効果を与えることもできたりする。時間制限が厳しく、消耗も激しいのであまりやらないが。
そうして早霧の体を適当に転がし、いよいよ大臣へと向き直る。先ほどから変わらぬ姿勢で、彼女は書類仕事を進めていた。
ずっと意識を向けていたのだが、その間彼女はこちらを一瞥しただけで、書類を捲る手の動きは一切止まっていなかった。直属の部下だのに、雑に扱われても一顧だにされない早霧は本当に憐れである。
まぁ、この女のことだから、どうせ俺が来ることも予測していたのだろう。
祝福大臣、天月夜鷹。
彼女との付き合いは非常に長い。古くは大学時代から、今に至るまで様々な局面で公私を共にしている。
俺と妻と大臣、そして俺をヘビースモーカーの道へと誘ったあの馬鹿な後輩の四人は、大学で同じ研究室に所属していた。我の強すぎる我々は事あるごとに衝突したものだが、なんだかんだと言いつつもよく連むようになった。そのころから俺は鋼の精神を誇る大臣に苦手意識を持っており、未だに上手を取れた試しがない。彼女に近づくとこう、胃がキリキリと痛むのだ。
卒業後の俺を祝福省に誘ったのが彼女で、祝対の室長に任命したのも彼女だ。その時点ではまだ副大臣の地位にいた彼女だが、既に恐ろしいほどの強権を手中にしており、その決定に抗える者は皆無だった。もちろん、当時の大臣も含めてだ。
のちに体調不良を理由に辞職した前大臣は、風の噂によると胃にボコボコと穴が開いていたらしい。その心労は推して知るべきであった。
現在、彼女の権力はさらに増しており、それは場合によっては他省庁にまで及ぶ。しがない中間管理職でしかない俺が彼女に物申そうなど、土台からして無謀の極みなのである。
でも。それでも俺は、今から大臣と対峙しなければならない。
長年燻っていた冬馬は、今回ようやく前に進む決断をした。自ら停滞を打ち破り、変化を恐れながらも一歩を踏み出した。
心をひた隠しにしていた紫月は、それを曝け出した。狂気の狭間で揺れ動く感情を孕めど、それは確かな冬馬への献身だった。
子供たちが、前を向いたのだ。
だから俺は、俺にできる全てでもって、あいつらを守る。守ってみせる。
その結果――例え彼女を、敵に回すことになったとしても。
「大臣、ちょっといいですかね?」
「四十秒待て」
空から落ちてきた少女を救いに行くわけではないのだろうが、大臣はそう言って、きっちり四十秒後に手を止めた。それはおそらく、彼女なりのユーモアの表れだと思った。
鉄血宰相、冷徹令嬢と揶揄される大臣だが、意外にも彼女はそういったジョークを好む。もっとも、それにより表象される状況は得てして「ブラックな」場合がほとんどであるため、場を和ませるどころか周囲の胃痛を増幅させているのだが。
そして今回の場合、大臣はこの四十秒を今から起こり得る展開の想定と対策に用いた。即断即決を旨とする彼女にそれだけの時間を使わせたことは、果たして誇っていいのかどうか。
といっても、それ以前に早霧を下していた時間がそれなりにあったため、逆に四十秒程度しか俺との対峙案をまとめるには必要なかったとも言えるが。
まぁどちらにせよ、まずは論戦に打ち勝たなければ先には進めないということだ。
「久しぶりに顔を見せたと思ったら、報告なしに直訴とはな。世が世なら打ち首にされてもおかしくはないぞ?」
「おや、ご存知ない? 今の世では、言葉ひとつで閣僚が首を取られてもおかしくはありませんよ?」
軽くジャブを返すと、大臣はニヤリと口元を歪めた。これは彼女が嬉しい時の所作なのだが、他の大多数の人間には獲物を見定めた邪悪な笑みにしか見えなかったりする。元の威圧感が半端ないからな、この女。
「ふん、多少は口が達者になったか。だが、私がそれを許すと思うか?」
「思いませんね。だから小細工を用意させてもらいました」
そう言って、ポケットから小さなそれを取り出して摘んで見せる。尋問などで使う、小型のボイスレコーダーだ。
大臣の眉が怪訝そうにピクリと動く。さもありなん、彼女の目にも、ましてや俺の目にも、そこには何も映っていない。俺の指に伝わる確かな硬い感触だけが、そこにそれが存在することを示していた。
言わずもがな、香里奈による〈透過〉処理を施しているのだ。
もちろん、今の会話記録だけで大臣を失脚に追い込むことは難しい。大した内容ではないし、そもそもがこの部屋から安全に持ち帰ることすら阻まれる。
だが、成功すれば嫌がらせぐらいはできる。独裁とも言えるその保持権力故に、大臣は内外に敵が多い。彼女を疎ましく思っている者はごまんといる。こんな些細なネタでも、彼らは喜んで大事にしてくれることだろう。
関連のない事案を無理矢理引っ張ってきて、意味のない答弁を強制し、くだらない問題にもならない問題でマスコミを騒がせる。いつの世でも、権力者たちは足の引っ張り合いが大好きだ。大臣にとっては、正に無駄なゴミのような時間である。
再び、大臣の口角が僅かに上がる。
「私のギフト対策というわけか。いくらか頭も使えるようにはなってきたな」
「おかげ様で」
「ふむ、むしろ褒めるのならば手駒の使い方か。なかなかいいのを揃えているではないか。なぁ、祝対のハーレムマスター?」
「ただの部下ですっての」
悪名高きあだ名は、どうやら大臣の耳にも届いているらしい。まったく、どうして誰もわかってくれないのか――いや。
そのあたりも、そろそろ精算をしなければなるまいか。
「それで、詰めはどうする? わざわざタネを明かしたんだ、よもや私の妨害を考えていないわけではあるまい?」
大臣のギフトに直接対象に取られないよう、透過処理を施したボイスレコーダー。だがそれだけでは片手落ちだ。それを持つ俺ごと対象にされてしまえば、それで終わりである。
答えは至ってシンプルだ。すなわち――
「こうします」
言いすがら、ぽいっと壁に向けてボイスレコーダーを放る。当然、乾いた音が響き、それが障害物にぶつかったことを示す。
ただし――その音は、壁の外から聞こえてきた。




