感情の行方
流石に重い。重いが、もちろんそれを言葉にするわけにはいかない。表情に出すのもアウトだ。気取られぬよう、全て内々にしまっておかなければならない。
「重いですか?」
「まさか。軽すぎて驚いてるよ」
「あら、良かった。ふふ、こうしてもらうの、ちょっと憧れてたんです」
腕の中でころころと笑う蓮さんに、俺は必死で表情を取り繕う。汗が流れ出ていないかが心配だ。
いわゆる姫だっこというやつである。軽いお説教の後、「環ちゃんだけずるいです」とのことで、蓮さんの要望を叶えた次第であった。
以前、詩莉さんをこれで運んだこともあったが――ぶっちゃけ、蓮さんの方がいくらか重い。体格はさほど変わらないので、たぶん胸部装甲の差と、あとは今しがた内的宇宙に収めた巨大甘味の分だろう。余裕でキロ超えてたしな、アレ。
「ほんとに重くないですか?」
「余裕余裕」
「ふふ、夢がひとつ叶っちゃいました」
「そいつは良かった」
「あ、あと頭撫でてください」
ここぞとばかりに要求を積み上げてくる蓮さん。もちろん逆らう術などないので、従うしかない。
なでなで。
くっ……腕が攣る……!
「耳元でイケメンなセリフ呟いてください」
「君に会えたことが、俺の人生最大の幸福だよ」
「私のどこが好きですか?」
「蓮さんの柔らかい匂い、好きだよ」
「このままヒンズースクワットしてください」
「ぬおおおおおおおおっっ」
わざとだよね?
もうバレてるよね?
ひとしきり満足したのか、「ふふ、冗談です」とにっこり笑って、蓮さんが俺から降りてくれる。これ以上続けるとまたもやたま先輩のターンに入り、無限ループが続きそうだったので、俺は安堵に胸を撫で下ろす。
その横でずぞぞっ、と大きな音を立てて、紫月が二杯目のラテを飲み干した。砂糖を吐きそうな顔をしているのは、決して底溜まりの糖分によるものではないだろう。睨めつけてくる半眼が何を言いたいのかは、心が読めなくてもわかる。いつまでイチャコラしてんのよ、だ。
「あー、ごほん。まぁとにかく、これで現状の整理は済んだわけだな」
少々わざとらしく、咳払いをして区切りをつける。我が家の食卓は守らねばなるまい。
「他にはもう、俺に隠してることはないよな?」
そう言って、各々の反応を見やる。念のためを思っての確認だったのだが……。
「ええ」
と紫月が真顔で嘘を吐き。
「ハハッ、もちろんだよ」
とたま先輩が甲高い声のネズミのように笑い。
「ふふ」
と蓮さんがポーカースマイルを返してきた。
「……………………」
そこはかとなく感じる不安に、俺はあんぐりと口を開いた。魂とか出てきそうな感じだ。
前二人はともかく、蓮さん、あんたもかよ……。
まぁ、今の時点では俺に明かさない方がいいと判断してのことだろう。俺のことを思うが故のはぐらかしだ。……そうだよな?
色々と不安要素が残るが、追及したとてどうせ答えてはくれまい。一旦保留として、先のことを考えるべきか。
「ハァ……仕方ない、とりあえず終わりにしよう。んで、だ」
ため息とともに、再び仕切り直す。答え合わせは終わった。現状の把握は済んだ。ならば、あとは。
柔らかな微笑の彼女を見つめる。俺が焦がれて、失って、また会うことのできた彼女。三枝蓮さん。
「? 私の顔、何か付いてます?」
「綺麗な顔が付いてる」
「まあ」と言って蓮さんが頰を赤らめる。もじもじと顔を両手で挟む仕草、それも愛らしい。
そう。あとは、俺の感情の行方を整理しなければならない。
今回、俺の感情は複雑な経路を変遷した。
千影を失った俺を癒やしてくれた蓮さん。確かに俺は彼女に惹かれていた。だから一度は、彼女だけを受け入れようと思った。
でも蓮さんも失って、今度は紫月に縋って、全員の思いを受け止めようと思った。紫月の献身に甘えた。全部手に入れてやると息巻いた。
その紫月すら失って。されど自暴自棄にはならずに、最後には朱里だって受け入れようと思えた。その罪に寄り添う決意をした。すぐに壊され、何も叶わなかったと、一時は絶望しかけたが。
結局は、皆が無事だった。誰も欠けることなく、終わりを迎えた。始まりと同じところまで戻ってきた。思いだけが駆け巡った。ならば、この感情も始まりまで戻すべきなのか。
そんなことはできなかった。例え全てが元どおりになったとしても、その思いは戻せない。これ以上の嘘は吐けない。
全部受け入れて、全部手に入れる。俺はそう誓った。だから、今から。
俺はそれを、蓮さんに伝えなければならない。
「蓮さ――」
「冬馬さん」
言葉が重なる。優しげな、されど力強い響きを持った、蓮さんの言葉が。
「私、冬馬さんが好きです。色々あって、色んなことがわかって。それでもやっぱり、この思いだけは一度も揺らぐことはありませんでした」
「蓮さん、俺は――」
「わかってます。紫月ちゃんほどじゃありませんけど、私だって冬馬さんのことをずっと見ていたんですよ?」
ずっと見ていた。その言葉は、どこか深い重みを含んでいるように聞こえた。何故かはわからない。でも確かな年月の積み重ねが、そこには感じられた。
「もちろん、冬馬さんを独占したい気持ちはあります。優しい冬馬さん。私の自惚れでなければ、そういう道を選ぶこともできたんだと思います。でもその選択は、結果的に冬馬さんを苦しめることになります。もっとたくさんの人を、冬馬さんは救えるはずです。だから――」
先手を打たれた、と思った。俺の思いを知り得た上で、蓮さんはそれに寄り添う形で俺を受け入れようとしている。
まったく、優しいのはどっちの方なんだか。
「だから私は、大勢の中のひとりで構いません。それが、私の選んだ答えです」
「蓮さん……」
まただ。
また俺は、蓮さんに救われてしまった。土台、俺が彼女たちを救うなんて考えはおこがましいのかもしれない。事実、彼女たちを通して救われているのは俺の方だ。
「私としても、それで異論はないよ」
そこに乗っかるように、たま先輩が言葉を挟んでくる。
「まぁ、ベターな落としどころだろう。とーま君のことだから、どうせすぐに新しい女の子を引っかけてくるだろうしねぇ」
「それこそ、無駄に増やすつもりはないんですがね……」
来るものは仕方ない。なんだか浮気を黙認されたダメ男みたいで、微妙な心持ちだが。
ともあれ、これで大方の問題は片付いたか。あとは――ああ、まだひとつだけ、大きなのが残ってたわ。
「たま先輩、朱里のことなんですが……」
「五分五分といったところかねぇ」
察したたま先輩が、そう返してくる。
「彼女の呪いも薄まっているとは思うが、何分ギフトが強力すぎるからね。抑えられるかどうかは、微妙なところだ」
「そうですか……」
「それでもキミは、彼女も助けるんだろ?」
「ええ、それはもちろん」
そこは譲れない。あいつだけ取り残したままにしておくだなんて、そんな選択肢は俺の中にはない。
時間が解決するのであればそうするが……果たして意識のない状態での俺との接触が、呪いの緩和に繋がるのかはわからなかった。
「たぶん、大丈夫だと思います」
「蓮さん?」
「なんとなく、ですけど。朱里ちゃんも色んな思いを抱えていて、それを一度吐き出しましたから。少なくとも、いきなり襲ってきたりはしないと思います」
「だといいんですがね」
「というか、実は既に意識の〈再生〉は済ませてあります」
「……いつの間に」
まぁ、いずれは頼むつもりだったのだが。手間が省けたと思えばいいか。
「まだ眠ってますけど。でも今は、冬馬さんは会わない方がいいかもしれません。女の子には準備が必要ですから。ね、紫月ちゃん?」
振られた紫月が、気怠げに息を吐く。しょうがないわね、とでも言わんばかりに。
「そうね。そろそろあの寝ぼすけも起こしてあげましょ」
「……大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。だってあの子」
ぐっ、と体を伸ばして、紫月が小さな欠伸を噛み殺す。
「ああ見えて、案外チョロいから」
「…………さいですか」
破壊の女神を、チョロい呼ばわり。
ほんと、恐ろしい奴だよ。
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夢を見ていた。
そんなに時間は経っていないはずなのだけど、どこか遠い過去になってしまったかのような、淡い記憶の夢を。
綺麗な白い髪の彼女。触れるとさらさらと、銀糸のように流れたのを覚えている。
映し出されるのは、まだ穏やかだった日々の、彼女と友達でいられた時の風景だ。
「いい、朱里? 破壊と創造は対極にある概念よ。なんでも壊せるあなたは、その代わりに何ひとつとして生み出すことはできないわ」
「それはもう、おかげ様で嫌というほどわかったよ……。でも、それでどうやって私にお料理を教えてくれるの?」
「普通なら無理ね。海○雄○でも匙を投げると思うわ」
「そ、そんな……」
私は情けない声を出して紫月ちゃんの足にしがみついた。なりふりを構っている場合ではなかった。
「先生、お願いします……! もう先生しかいないんです……!」
「ちょっと、鬱陶しいからくっつかないで。早合点しないの。普通なら、って言ったでしょう?」
「じゃ、じゃあ……!」
「ええ、あなたは能力も頭の中身も普通じゃない。手はあるわ」
「なんでついでにディスられたんだろう……」
「気のせいよ」
絶対に気のせいではないけど、今や口で紫月ちゃんに敵わないことはわかりきっていた。逆らうだけ無駄なので、大人しく黙っておく。
こほん、とひとつ、紫月ちゃんは咳払いをした。言葉に力を持たせる所作だ。
「破壊のあとに創造がある、なんて言葉もあるでしょう? 普通に考えると、ただの狂人の戯言にしか思えないけど」
「え、流石に私もそこまでおかしくはないよ。破壊はただの破壊。何かを生み出す余地なんて与えないほど、思想ごと、徹底的に、壊しきるだけ」
「……やっぱりあなた、頭がおかしいわね……まぁ、今はいいわ。でもそれが、あなたの場合はうまく当てはまるのよ」




