これから
「ふむ。今時はチェーンでも、なかなかいい豆を使っているものだねぇ」
ちゅぽん、とやけに艶めかしげにストローから唇を離して、たま先輩がそう告げる。俺のものと同じ本日のアイスコーヒーなのだが、小柄な彼女が両手で抱えたそれは、少しだけサイズが大きく見えた。
再びの小休止を挟んで、もちろん俺が買ってきたものだ。当然のように全員分。紫月は二杯目。三杯目はないと思うが、もしあったとしてもこいつはそっと出したりはしないだろう。俺に対する遠慮という概念を、こいつは出会った時からドブに捨て去っている。
まぁ、そこまではいい。予想の範疇だ。それをむんずと踏み越えてきたのはあんただ、蓮さん。もぐもぐと巨大な甘味を頬張るそこの全身スライム。
「蓮さんは何か食べるか?」と冗談混じりに聞いたのが悪かったのか。
「あ、では、三枝スペシャルをお願いします」
「……なにスペシャルだって?」
「三枝スペシャルです。アドダブルホイップアドホワイトモカシロップエクストラチョコレートソースで」
なんだその復活の呪文は。自分の復活には詠唱いらないのに。
「それで伝わるはずですから」
にっこりとそう言う蓮さんに、疑問顔のままスマホのメモアプリ片手に注文しに行くと、普通にオーダーが通った。淀みない笑顔のおねーさん。
なんでこの人は、病院併設のチェーン店にオリジナルオーダーを作らせているのだろうか。通い詰めたのか? こんな場所に?
あるいは、本部から各店舗に通達が降りているのか。蓮さんなら有り得る気がした。
とにかく、そうやって出てきたのがこの激甘そうなドリンクと、アイスやらホイップやらが盛りに盛られたパイらしき巨大ホールのセットである。たま先輩の顔ぐらいはありそうなそれが、瞬く間に蓮さんの口内へと消えていく。
「相変わらずおいしいです。冬馬さんも一口食べますか?」
「ああ、うん。気持ちだけ貰っとくわ……」
満面の笑みを浮かべる蓮さんに、俺はげんなりとした顔でアイスコーヒーを啜った。無糖のはずのそれは、何故か甘みを含んでいるように思えた。たぶん気持ちが混入したのだろう。
先ほどまでの穏やかで凛とした空気は何処ヘ行ったのやら。まぁ、これも日常といえば日常か。しかし、またもや財布の中身が不安になってきてしまった。今月はせっかく、ウサギ案件をこともなげにクリアしたというのに。
「ああ、そうそう。ひとつ言い忘れていたよ」
と、そこで。無糖勢の同士たま先輩が、思い出したような仕草で掌をぽんと打つ。
「キミのそれがギフトだと、私が断定した理由なんだがね」
ああ、そういえばいずれ教えてくれるって言ってたな。俺のギフトを命名したたま先輩。思えば最初から、彼女は一歩引いた位置から事態を俯瞰していた。
「タネは単純でね。私が自身にかけている〈束縛〉を、キミのギフトが打ち破ろうとしてきたからなんだ」
「なるほど、それで」
たま先輩の〈束縛〉は、言わばファイアーウォールのようなものなのだろう。何人たりとも侵すことを許さない、心の防壁。
それが俺との邂逅によって、揺さぶられた。異常な精神への干渉。そこから逆説的に、俺がギフテッドであるとの確証を得たのだ。
「この事例は、実のところ重要な意味を持つ。キミの〈デッドハーレム〉は一見、見定めた対象を問答無用で影響下に置くように思えるが、そうではない。私のギフトでちゃんと対抗できた。その強制力は、絶対ではないんだ」
それはなんとなくわかっていた。俺のギフト。忘れられた願い。その本質は、彼女たちを盲目にすることではない。
「つまり、俺の本当の願いは別のところにある。たま先輩には、その予想がついてるんですか?」
「残念ながら、まだ情報が足りないね。候補が多すぎてなんとも。仮説の一歩手前の段階といったところだねぇ」
流石にそう簡単にはいかないようだ。まぁ、当の本人すら忘れているのだから仕方ない。
「だが、わかったこともある。より正確な、〈デッドハーレム〉に囚われるための要件。我々に共通している要素。一連の事態を通して、それがはっきりとした。私の見立てだと、とーま君にも大方掴めてると思うがね?」
「……呪い」
「正解」
再びニヤリとした顔をして、組んだ足の上のスカートをピラピラとさせるたま先輩。またパンツ権が貰えたのかもしれない。集めると尻が揉める権になったりしないだろうか。
「私たちは皆、呪いを抱えていた。死を起因とする呪いだ。〈デッドハーレム〉は明確に、呪いを引き寄せている。その目的はまだわからないが――ひとつ、確かな効力を発揮しているのを私は発見した」
そう言って、たま先輩がゆっくりと俺に近づいてくる。自然な足取りで俺の座る椅子に並び――そのまま流れるような動作で、ふわりと膝上に跨がってくる。
「た、環ちゃん?」
「たま先輩?」
「まぁ、待ちたまえ」
突然の行動に疑問を呈する俺たちを他所に、たま先輩はぎゅっと腰に腕を回してくる。密着しても胸部の感触は無きに等しかったが、小ぶりな尻の弾力は素晴らしかった。つい膝に全神経を集中させてしまう。
しかし軽いなぁ、この人。いつも十秒チャージばかりだし、ちゃんと食べてるのだろうか。
「やっぱりね」
したり顔でそう呟くたま先輩。何かの確認が済んだらしい。俺はまったく構わないのだが、終わったのなら降りた方がいい気がする。ほら、蓮さんの笑顔がピクピクと痙攣してるし。
「とーま君の〈デッドハーレム〉。私を取り込もうとするその力は、以前よりも弱くなっている」
「そうなんですか?」
「ああ。最初のころはけっこう強めに意識しないと〈束縛〉が破られそうだったんだが、今では通常の出力でも問題ないぐらいだ」
「環ちゃん、それ確かめるのに、冬馬さんに抱き付く必要ありました?」
「ないですが、もののついでというやつです」
しれっと宣うたま先輩は、相変わらずいい性格をしている。そして俺の膝を起点にくるりと反転し、紫月と蓮さんに向き直る。今度は俺の胸に頭を預けるお子様スタイルだ。どうやら降りる気はないらしい。
なお、今気づいたがこの人Tバックだわ。ダイレクト生尻·オン·ザ·俺。素敵な感触にエンドルフィンの分泌が加速される。
「私の体感では、実際の効能としては逆だと思う。とーま君のギフトが弱くなったというより、私の呪いが薄まった感じだね」
「〈デッドハーレム〉が、呪いを薄めている……?」
「ああ。たぶんそれが、キミのギフトの本質なんじゃないかな?」
少女たちを引き寄せて、その呪いを緩和する。目的や全体像まではわからないが、それが俺の願いの一端なのだろうか?
「どちらにせよ、必要なのは時間だ。キミとの接触を繰り返すことによって、私たちは呪いを――狂いを薄れさせることができる。つまり――」
「そうか、時間さえかければ――俺は皆を救うことができる!」
「そういうことだね」
希望が。
今度こそ、淡い希望の光が灯るのを感じた。
やっぱりたま先輩はすごい。これなら、これなら俺はもう、誰も失わずに済む。今までどおり困難は伴うが、その先に救いが見えるのならば、絶望には屈しない。
俺は初めて、自分のギフトを肯定的に思えた。彼女たちを救えるのなら、俺にこのギフトがあって良かったと。
まやかしなんかじゃない。数日前、紫月の前で語った子供みたいな夢物語。荒唐無稽で無謀な思い。今ならそれを、現実にできる。
ベッドに腰かけた紫月を見やる。その赤い瞳と視線を交え、もう一度誓いを立てる。
全部だ。
いいか、紫月。
これから先、俺は全部全部救ってやる。
独りよがりなわがままを貫き通す。
だから、お前がこの先も俺の隣りに並ぶと言うのなら――覚悟してくれよ?
「……そう」
俺の決意を受け止めて、紫月が小さく呟きを漏らす。反芻するように瞳を閉じて――開く。
「わかったわよ。それがあんたのやりたいことなら、好きにしなさい。仕方ないから、手伝ってあげる」
「……ああ」
あの時と同じ答えが返ってくる。無条件の肯定。
それは俺にとって、何よりも心強い言葉だった。
できる気がした。今度こそ俺は、諦めずに、彼女たちと向き合っていく。
俺の隣りに、紫月を携えて。
「精々頑張りなさい。でもまぁ……とりあえずは、この状況をなんとかしたら?」
「――ん?」
言われて、周囲に意識を向ける。
未だ俺の膝に跨がったままのたま先輩と、そして。
「環ちゃん? そろそろ降りたらどうかしら? 冬馬さんもほら、重そうですし」
「いえいえ、私は蓮さんのように無駄なお肉はついていませんので。とーま君もむしろ嬉しそうで――」
「環ちゃん?」
「ハイ」
般若がいた。いや、蓮さんだ。笑顔の中に視覚化された青筋が見える。ただならぬ気配を感じ取ったたま先輩は、即座に従って俺から降りた。
なんとも気まずい空気が流れて、俺は蓮さんから目を逸らした。浮気が見つかった時の男はこんな気持ちになるのかもしれない。笑顔が怖かった。これはもうほぼポーカーフェイスだ。その裏にどんな顔を隠しているのか、わかったもんじゃない。
でもまぁ、これはただの嫉妬だろう。軽い焼きもち。彼女の呪いも薄まっているのだから、その瞳に螺旋模様が浮かんだりは――――あれ?
「冬馬さん」
「ハイ」
「環ちゃん」
「ハイ」
「ちょっと、お話があります」
…………
…………
…………治ってる、よな?




