三枝蓮
三枝連さんを形容する言葉としては、凄いの一言に尽きる。
何が凄いのか。
彼女を視界に映せばすぐにわかる。
簡潔に言うと、デカいッ! 説明不要ッ! である。
分類上は、爆に属すると思われる。何故巨の上が爆なのかは、未だもって俺にはわからなかったが——爆発するのだろうか?
しそうではある。蓮さんのブラウスの第二ボタンから下はいつも悲鳴を上げていたし、どういう構造になっているのか、彼女の細かな動きに合わせて、双子山は縦横無尽にお暴れになる。
薄いレースの布地では、荒ぶる三枝山を鎮めるには能わないのだろう。
体育の時間に、ちょうどうちのクラスの男子と蓮さんのクラスの女子は体育館で鉢合わせるのだが。
ボール未所持の状態でもダブルドリブルをかます彼女は、常時レッドカード判定だ。
審判はクラスの男子全員と体育教師である。集まる視線に体操服が焼け焦げないか心配だが、隣のコートとはいえ、皆スポーツマン精神に則り不正を見逃せない奴らなので仕方がない。
おかげ様で、我がクラスの授業風景は異様な進化を遂げた。何しろ、全員が選手兼審判である。
如何に自然を装いつつ、隣のコートの山脈を目に捉えるかに全神経と技術を動員し、位置取りを繰り返す様は、最早別のスポーツであった。
ただ、諸般の事情でたまにうずくまる者が出てしまうのだが。
なお、ノールックパスと背面シュートは全員が習得した。必須技術である。
前澤などは、執念で長い滞空時間=鑑賞時間となる背面三ポイントシュートまで会得してみせた。ガッツポーズとゴールの瞬間が必ずしも揃わないのはご愛嬌だ。
大会とか出ればかなりいいところまでいけるんじゃないだろうか。もちろんチアガール姿の蓮さんを添えて。
ダメか。全員うずくまるな。相手チームも。
女子コートからこちら側に飛び出したボールを、蓮さんが小走りで追ってきた時は最高潮だった。
跳ねる三つのボールに全員が「うっ」と 声を漏らし、為す術もなくうずくまった。
俺は何とか耐えたが、帰りしな別の場所を揺らす後ろ姿にやはりうずくまった。凄い蓮さんは、後ろもすんごいのだ。
ちなみに御門学園の体操服は、男女共に白のシャツと紺色の短パンだ。
親父たちの時代にはブルマーなる素敵な衣装があったようだが、女性なんたら団体なる者たちの批判により廃止されてしまったらしい。まったくろくなことをしない奴らである。
いつだったか、紫煙を燻らせ、空を見上げながら親父は言っていた。あれはいいものだった、と。
シャツのイン状態ではぴっちりとした布地に押し込まれた尻が存在を強調し、アウト状態ではシャツの裾から僅かに覗く紺色のデルタがチラリズムを体現する、素晴らしい衣装であったと。
どうにか手に入れ、うさぎさんのアップリケを付けて紫月のタンスに紛れ込ませておこうと計画している次第である。
まぁ、とにかく。
蓮さんは凄い人である。
汎用型十八禁たる詩莉さんと並ぶ、無自覚型天然エロスとでも称せる、御門学園随一の癒し系ダメ男製造わがままボディおねーさん。
それが三枝蓮さんであった。
「んー、そうですね。確かにそういう視線はいつも感じますね」
そして本日の、蓮さんとのデート。
店内女性比率九十八%を誇る、エッ◯スン◯ングスにて、俺たちはパンケーキの山を崩していた。
壁際と柱に挟まれた少し手狭な席で、二人横並びでフォークとナイフを手繰る。
会話はちょうど、蓮さんが如何に男どもの視線を集めているかについて、俺が自覚の有無を聞いていたところだ。
切り分けた四枚重ねのパンケーキにたっぷりと添えられた生クリームを乗せて頬張ると、蓮さんはきょとんとした顔でそう答えた。
しかしこの生クリームの量はどういうことだ。こっちがメインなんじゃないかと疑うほど大量のふわふわは、ようやく甘味地獄を抜け出せたばかりの俺には白い悪魔にしか見えない。
どの席を見ても、ひとり一皿ずつぺろりぺろりと平らげている。やはり女性とは、身体の根本的な構造が男とは全く異なっているのであろう。
「でも、男の子ってそういうものなんでしょう? 見られて減るものでもありませんし。むしろ少しぐらい減らしてくれても構いませんし」
柔らかな口調で話す蓮さん。それは男側のセリフなんだが……あんた天使か。
ただ見られる分には、特に羞恥心は感じないようだ。いきなり三枝山バスケの前提問題が崩れてしまった。
まぁ、他の女子生徒の手前、齧り付きで見るわけにもいかないので続行されるだろうが。
「冬馬さんは?」
「へ?」
「冬馬さんも、お好きなんですか? 私の胸」
「そりゃもう。尻の次ぐらいに」
むしろ嫌いな奴がいるのだろうか。母性の象徴に抗える男など——ああ、小さい中に夢いっぱいを地でいく犯罪者予備軍もいるか。俺には理解できない感覚だがな。
分けるでなし。女体は全て、等しく素晴らしいものだ。
「あらあら、そうでしたか。じゃあ、触りますか? 流石に、ちょっと恥ずかしいですけど」
僅かに頰を染め、蓮さんはとんでもないことを言い出した。
思わず即答しようとして、踏み止まる。
店内の男はニ%、すなわち俺だけである。この場でそんなことをすれば、俺の社会的立場は即座に地べたまで落ちる。いや床を貫通して減り込む。
そうでなくとも、衆人環視の中、そんなオラついた行為ができるはずもなかった。
いやでも、この席なら柱の影になっているし、ひと揉みふた揉みぐらいなら——。
「冗談ですよ?」
そんな俺の葛藤に気づいたのか、胸を押さえ、ころころと笑う蓮さん。
瞬間、俺は呼吸すら忘れて彼女を見つめてしまう。
美人のあどけない笑顔とは、ここまで破壊力が高いものなのか。ほんの一瞬ではあるが、全てを放り投げて求婚のセリフを告げようとする自分がそこにはいた。
これは——ダメだ。オーバーキルもいいところだ。これで落ちない男が、果たしてどれだけ存在するのだろうか。
尻を出されていたら、今回の勝負は終わっていたかもしれない。
そして転校へ、である。
「あ、すみません。この三種のベリーのワッフルをお願いします」
そして水の継ぎ足しに来たフラワーな制服のお姉さんに、さらっと追加注文を頼む蓮さん。
まだ食べるんだ……。
「かしこまりました。ホイップはいつもどおりでよろしいですか?」
「はい。ましましで」
そんなマシマシは初めて聞いたわ。
というか、淀みなく対応するお姉さんからして、完全に常連さんであった。
「最初は敢えて通常のものでパンケーキの味わいを楽しみ、次でホイップたっぷりの幸せを噛みしめるのが、私のおすすめなんです」
にっこりと解説を入れる蓮さん。
それは俺にも次を促しているのだろうか。いや一皿でも多すぎるんだがな。
しかしこれだけ糖分を摂取しているのに、よく体型が崩れないものだ。おそらく栄養は全て、胸と尻に回されているのだろう。
ほどなくしてワッフル——否、ワッフルは見えない。盛り盛りの白い山脈が届けられる。
見ているだけで胸焼けしてくるそれを、蓮さんは幸せそうに頬張っていく。どこのフードファイターだろうか、この人は。
甘味に限らず、蓮さんは普段からかなりの健啖家であった。ランチに五重の塔を持ってくるぐらいだからな。たぶん、大量に食べないと胸がしぼむのだろう。
なんかもう胸が本体かのように思えてきたな。この大きさなら脳みそもまるごと入るし、ありえなくもないんじゃないか。二つあるからコアツーデュオだって搭載できるはずだ。
「あ、何か失礼なこと考えてますね?」
もぐもぐしながら、ジト目を向けてくる蓮さん。
おっとりしているようで、変なところで鋭いのだからやっかいなものだ。
「まさか、滅相もない。今日も蓮さんは美人だなぁと思ってただけだよ」
「あらあら、またわかりやすいごまかしですね。でもごまかされてあげちゃいます」
言われ慣れてはいるのだろうが、悪い気はしないようだ。実際、恐ろしいほどの美人だしな。
玉砕した男の数は、それこそ数えきれないらしい。その難関たる試練は三枝山越えと呼ばれ、数多の登山者たちを遭難させたという。
ただ、この一ヶ月でその断り文句に変化があった。「誰かとお付き合いするつもりはありません」から、「好きな人がいますので」に。
そこで俺の名前が公言されたことから、えもいわれぬ視線を感じることが大層増えた。
遭難者や遭難者予備軍たちによる、殺意すら混じった視線に、俺は神経を擦り減らすことになった。
まぁそういうのは慣れているので、いいんだけどさ。
「ふう、ご馳走様でした。腹八分目にしておきますかね」
さして時間をかけずにワッフルを平らげた蓮さんは、そんな恐ろしいことをのたまった。
俺のパンケーキはまだ三分の一ほど残っている。私の胃袋は宇宙です、なのだろうか。
もしくは胃袋が四つあるのだろう。乳牛という単語が頭に浮かび、そのあまりのハマり具合に俺は慌てて思考を搔き消した。蓮さんに気取られてはいけない。
ホルスタイン——いやだからダメだって。
「……」
蓮さんの訝しげな視線が俺を捉え、次いで卓上の伝票に向けられる。
俺は無言で伝票を掴んだ。仕方ない、虎の子の諭吉先生には犠牲になってもらおう。
「ご馳走様です」
華やかな笑顔にはその値段分の価値はあると思えたので、まぁ良しとするか。
下膳が終わり、しばらくのんびりしていると、先ほどと同じお姉さんが食後の温かいハーブティーを持ってきてくれた。少し狭い席だったので、サービスとのことだ。
ふわりと甘く香るのはアーティチョークだろうか。ギフ研の部屋に凛子が飾った、独特の形状をした花と同じ香りなので、たぶん合っているはずだ。確か二日酔いや食べ過ぎに効果があるもので、お姉さんのベストチョイスと言えた。
ゆっくりと口に含むと、香りとは裏腹にほろ苦い味が舌を抜ける。白い悪魔に毒された今は、その苦味がとても心地良かった。
「そういえば冬馬さん、昨日環ちゃんからグループラインが送られてきたのですが」
少しだけ言いづらそうに、蓮さんが尋ねてくる。
たま先輩から? ああ、例の<デッドハーレム>命名の件か。
だが続く言葉は、俺の予想の斜め上をいくものだった。
「冬馬さんは、しましまがお好きなのですか?」
ブフゥ、と俺は盛大に茶を噴いた。
そっちかい!
ってか熱っ! 熱っ!
思わず傾けてしまったカップから熱い液体が口内に勢いよく流れ込み、舌の先からじんじんとした痛みが広がっていく。
「あらあら、大丈夫ですか?」
「うう……舌、火傷したみたい」
「あら、それは大変。ちょっとこう、べーってしてくれますか?」
言い方が可愛いが、それどころではないので、言われるままに舌を出す。彼女の意図は理解できていた。
蓮さんのギフトは<再生>。自身の受けた負傷を、瞬時に治してしまう癒しの技能だ。
常駐型のため、自身の傷にしか対応できないと思われていたが、どうやら彼女が直接触れている対象にも効果が及ぶらしい。
その細い指が俺の舌に触れると思うと、何だか少し背徳的な高揚を感じる。そんな俺の思いを知ってか知らずか、蓮さんは白魚の指を俺の顔に伸ばし——両手?
舌を通り過ぎた両手が、俺の両頰にがしっと添えられると。
きょろきょろと周囲を見渡し。
近づく端正な顔、長い睫毛、朱色の差した頰、その柔らかな唇が。
身動きのできない俺に、そっと押し付けられた。
「んっ……」
漏れ出した声は、官能の響きをもって俺の脳を蕩けさせ。
心地良い感触が、思考を奪い、判断を奪い、感情の全てを奪い尽くし。
数秒ののちに、それはゆっくりと、離された。
名残を惜しむように、架かった透明の橋が、ぷつんと途切れ落ちる。
舌先の痛みは、嘘のように引いていたが。
熱はずっと、残ったままだった。
先ほどまでよりも、高い温度で。
「ち、治療、ですから。緊急時でしたので、致し方なく」
言い訳のようにそう呟く蓮さんの顔は、タコよりも赤い。
いやきちんと周りの目を確認してたよねとか、がっちり俺の顔を固定してたよねとか、突っ込みどころはいっぱいあるんだけど、というか差し込んでくちゅくちゅとねぶり回してきてつまりはでぃーぷなアレがコレでああもうなんだ、考えがまとまらない。
「いえ、あの、そのですね。最初はちゃんと指で触れようと思ってたんですが、冬馬さんのべーってした顔がなんだか可愛らしくて、こう、抑えが効かなくなったといいますか、あれ、これチャンスなんじゃないかしら、とか思っちゃいまして、気づいたらもう冬馬さんの顔がすぐ近くでして、あれって感じで……」
早口でまくし立てる蓮さん。なんだこの可愛い生き物は。
きっと俺の顔も、負けず劣らず真っ赤に染まっていることだろう。お互い、まともに相手の顔を見ることができない。
ちらちらと、タイミングを外してそれぞれを盗み見て、そんな状態が少し続いたが、やがてばっちりと視線が重なり合ってしまい。
そうなると今度は、その上気した顔から目を離すことができなくなり、俺はその濃緑の瞳に、柔らかさを知った唇に、吸い寄せられるように——。
「……あの、お客様。おしぼりを……」
お姉さんの声に、二人揃ってばっ、と顔を背ける。
おしぼりを携えたお姉さんを見ると、その顔もほんのり赤くなっていた。
ああ、うん、見られてましたね、これ。
もの凄く気恥ずかしい空気に、俺は小さくお礼を言っておしぼりを受け取り、濡れてしまった口まわりを拭き取る作業に没頭した。
蓮さんは赤い顔のまま、消え入りそうに小さく縮こまる。
テーブルも拭き終わると、俺はそそくさと帰り支度を始めた。一刻も早く、この空間から立ち去らねば。
蓮さんを促し、伝票を掴んでレジまで急ぎ歩く。
会計を済まし、早足で入口の扉を開ける俺の後ろから、お姉さんの声が響いた。
「またお越し下さいませ」
もう行けません。
ショッピングモールの一角にある店を出て、二人連れだって帰り道を歩く。蓮さんは隣町の駅近くに住んでいるため、御門学園駅まで彼女を送っていくのだ。
道中、会話はない。ようやく顔の赤みは引いてきたが、この空気の中、いったい何を話せというのか。
それは蓮さんも同じようで、俺の一歩後ろを歩きながら、かける言葉を選んでいるように見えた。
そうして、結局言葉が見つからないまま、駅に辿り着き。
「じゃ、じゃあ、ここで」
「あ、は、はい」
そんな短いやり取りを残して、俺は蓮さんを見送ることとなった。
鞄からパスケースを取り出し、改札に向かう蓮さん。
その後ろ姿を見送る。
一歩、二歩進んで。
くるりと、蓮さんが振り返る。
それは二人だけに声が聞こえる、ぎりぎりの距離で。
まだ少し、赤みの残った顔で。
「今度、しましま穿いてきますね」
そう言って、蓮さんは小走りに改札の向こうへ消えていった。
その姿が完全に見えなくなってからも、俺はしばらくその場に立ち続け。
空を見上げ、頭を抱える。
ああ、もう、なんだ。
やばいんじゃないか、これ。